2100年の生活学 by JUN IWASAKI

2025.10.4

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ハーレムの郊外で電車を降り、アムステルダムへ自転車で向かう。途中、オーガニックファームFruittuin van Westに寄る。 アムステルダム市内に入ると、またトラムが止まっていて、人々が降車してゾロゾロと歩き始めていた。こんなに寒くて風が強いのに、である。移動手段ではなく、...

2025.10.3

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 数独を終える。一つ終わらすのに2時間も3時間も費やしているが、脳の隙間に溜まった膿というか汚れを取るような感覚があり、爽快である。 昨日一昨日と書いたようなことを抱える今、変えるべきは思考ではなく、脳であり、脳が活発でないと思考も身体も全てに影響を及ぼしている。腸の調子が悪いと...

2025.10.2

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 昨日の続きだが、自己顕示欲、虚栄心というと、なかったことをあったかのように話すことを挙げているようにも聞こえるが決してそうではなく、たとえばある事実を話さないという決断さえもが、虚栄ではないかということである。言わないことを持ち合わせた人間、言えないことがある人間など山ほどいる...

2025.10.1

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「自分の生活や思考を言語化し公開することは自己顕示欲や虚栄心の道具になっていないか」ということに囚われると、文章を公開するという行為自体がとても曖昧で時に不快な行為に感じられる。 ぼくは、2100年の生活学には、事実だけを記しているわけではないことを公言してきたが、ここで書き記さ...

2025.8.31

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ロッテルダムでDepot Boijmans Van Beuningenに行ったが、ゲンナリするようなものだった。 世界で初めて所蔵されているコレクションを見せるという試みだが、見せなかったところを内臓から骨まで全てお金に変えてやろうという感覚。 何を見せ、何を見せないか。ことある...

2025.8.30

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 聖子ちゃんと、記念の祝いでロッテルダムのRestaurant LUXへ。ずっと来たいと思っていたが、やっと来ることができた。初めてくるのにどこか懐かしく、ぼくたち二人が自分の身を置いておきたくなるようなお店で、食事をしていて終始心が開けていくのが感じ取れた。 内装も立て付けも食...

2025.8.29

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 やっと日の出や日の入りに身体が落ち着くようなタイムラップになってきた。この田舎町の日の入りは20時30分。 朝6時50分ごろに目が覚めると、まだ建物も室内の家具も寝ているような色姿をしている。窓を開け口をゆすぎ、お白湯を飲み、コップ一杯の水で割ったアップルサイダービネガーを飲む...
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