ルキノ・ビスコンティ『Death in Venice』を鑑賞。聖子ちゃんは、自己陶酔が強すぎてあまり好きじゃないと言っていたが、ぼくは鑑賞後にとてもいい気持ちだった。おそらくぼく自身の中にある自分なりの美を追及したいというな気持ちとか、ある種ぼくの中にも確実に存在するナルシズムのようなものが、ルキノ・ビスコンティが描きたかったもの、もしくはトマス・マンが描きたかったものに引っかかったのかもしれない。映画を鑑賞した後に使える読後感と同じような意味を持つ言葉はあるのだろうか。観後感、とか。何より、個人的にとても自分の制作の参考になるというか刺激を受けたのが、この映画が一つの物語という形ではあるものの、その物語が出来事を説明するような構成を微力に持ちながらもほとんど映画(もしくは監督に)に不要とされており、映画(もしくは監督)は、登場人物の感情の動きとそれ自体が纏う間(ま)を語るためだけに出来事を存在させているような印象を与えたところである。一見、物語中心の映画と構造は全く同じであるが、それを外す感覚がとても巧妙に出来ている。物語観ようとする鑑賞者を裏切るように出てくる夢や回想シーンや、美の哲学を語るモノローグのシーンなどが物語を進めることあるいは物語を観ようとする鑑賞者を裏切るような構造になっている気がした。ぼくは、モノローグのある映画がとても好きなので、なんとなく頭の片隅に、ぼくが映画を撮るならモノローグをやろうと思っている。それからぼくは、ミドルエイジクライシスというか、少し歳を取った男性が現実日常から逃れたいが、八方塞がりになった、その状態での心の揺らぎを捉えたような映画が好きだ。『Death in Venice』もある意味ではその構造を持っているようだし、クロード・ソーテ監督『Les choses de la vie(すぎさりし日の…)』、フラシスコ・フォード・コッポラ『The Conversation』、ウディ・アレン『Annie Hall』、ソフィア・コッポラ『Lost In Translation』だってそうとも言えるかもしれない。ぼくは、好きな映画を挙げてくれと言われると何を言おうおかとよく考えているが、なかなか一つとは言えない。「もし好きな映画は何?って誰かに聞かれたら何て答えるの?」と聖子ちゃんに話してみたら「私はKiki's Delivery Serviceかな」と言っていた。
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2026.3.26
朝は、音量を下げるのではなく、隣の部屋から聴こえるようにラジオを聴きたいと思っているので、スピーカーは自分のいる部屋の隣の部屋に置く。音が漏れているのが好きだ。
人に何か心打つものや、刺激や新しい視座を与えたいと思っている人が、誰かが良いと言ったものを当たり前のように良いと感じ、自分の力で自分の視点で何か良いものを見つけようとしないということは許されるべきではない。アーティストとか関係なく、全ての人間は自分自身の美意識を持ち、もしくは自分自身の美意識を求め探究すべきだろう。そして、自分の美意識を持ってそれが正当であることを許容する社会を作らなければならない。異文化やを排除するべきではない。自分と異なった美意識を受け入れることが社会のしなやかさを生み出すだろう。今月末にWembley Stadiumへイングランド代表vs日本代表を観に行く。Wembleyでフットボールを観れるなんて思ってもなかった。とても楽しみだ。
そういえば、気付けばお腹の痛みは消えていた。歩きすぎだったのだろうか。
人に何か心打つものや、刺激や新しい視座を与えたいと思っている人が、誰かが良いと言ったものを当たり前のように良いと感じ、自分の力で自分の視点で何か良いものを見つけようとしないということは許されるべきではない。アーティストとか関係なく、全ての人間は自分自身の美意識を持ち、もしくは自分自身の美意識を求め探究すべきだろう。そして、自分の美意識を持ってそれが正当であることを許容する社会を作らなければならない。異文化やを排除するべきではない。自分と異なった美意識を受け入れることが社会のしなやかさを生み出すだろう。今月末にWembley Stadiumへイングランド代表vs日本代表を観に行く。Wembleyでフットボールを観れるなんて思ってもなかった。とても楽しみだ。
そういえば、気付けばお腹の痛みは消えていた。歩きすぎだったのだろうか。
2025.3.25
旅をすること、新鮮な気持ちで思考を巡らせること、真新しい目で日常に帰ること、料理をして人を家に招いてそれらを共有すること。21世紀にぼくたち人間が出来ることはそんなことではないか。それから、たくさんの思っても観なかった失敗や、恥をかくこと、内省、許し、とか。人間に本当に何ができるのだろうか。戦争なんてするべきではない。ましてや人間不在のドローン同士の戦争など、出口はどこにあるのだろうか。
久しぶりにステラと散歩したが、滞在先がとても楽しかったのか、無法状態である。日々の小さな積み重ねなんてものは1週間もすれば忘れてしまうのだ。右へ左へ気が向くままに進み、突然何かを見つけ走り出す。野生の勘がこれほどに鈍らない動物というものに憧れると同様に、彼女が犬でよかったなとも思えた。ステラと歩くのは楽しいが、時々彼女がリードに繋がれたままであることと、ぼくも同様に彼女を離さないようにリードを掴んでいる、それはぼくがリードに繋がれている状態とも言えるが、この一本の紐を離せば、ぼくたちはお互いに違う方向へ行ってしまうだろう。お互いに自由を見つけるだろう、そして多くのストレスから解放されるだろう。しかし、長い時間の流れの中でしか感じ取ることのできない大きな愛を失うことになる。苦難や苦悩というのは、人の人生に深みを与えるのだろうか。もしくは、ただ単純に苦難は苦難で、苦悩は苦悩なのだろうか。ぼくが今そう信じたいのは、苦難や苦悩の中でしか感じることのできない確かなものが確実に存在し、その暗い部屋の隙間から漏れるような弱々しい光を掴もうとする試みだけが与えてくれるものが存在するということである。
イタリア滞在中に歩き過ぎたのか、イタリアの途中からずっとお腹が痛い。日本にいる時にも頻繁に起きていた左肋骨の裏側の痛み。肩や腰まで痛いので、姿勢の悪さからくるものだと思うが、食事をしても痛む。ストレッチと姿勢の意識。
久しぶりにステラと散歩したが、滞在先がとても楽しかったのか、無法状態である。日々の小さな積み重ねなんてものは1週間もすれば忘れてしまうのだ。右へ左へ気が向くままに進み、突然何かを見つけ走り出す。野生の勘がこれほどに鈍らない動物というものに憧れると同様に、彼女が犬でよかったなとも思えた。ステラと歩くのは楽しいが、時々彼女がリードに繋がれたままであることと、ぼくも同様に彼女を離さないようにリードを掴んでいる、それはぼくがリードに繋がれている状態とも言えるが、この一本の紐を離せば、ぼくたちはお互いに違う方向へ行ってしまうだろう。お互いに自由を見つけるだろう、そして多くのストレスから解放されるだろう。しかし、長い時間の流れの中でしか感じ取ることのできない大きな愛を失うことになる。苦難や苦悩というのは、人の人生に深みを与えるのだろうか。もしくは、ただ単純に苦難は苦難で、苦悩は苦悩なのだろうか。ぼくが今そう信じたいのは、苦難や苦悩の中でしか感じることのできない確かなものが確実に存在し、その暗い部屋の隙間から漏れるような弱々しい光を掴もうとする試みだけが与えてくれるものが存在するということである。
イタリア滞在中に歩き過ぎたのか、イタリアの途中からずっとお腹が痛い。日本にいる時にも頻繁に起きていた左肋骨の裏側の痛み。肩や腰まで痛いので、姿勢の悪さからくるものだと思うが、食事をしても痛む。ストレッチと姿勢の意識。
2026.3.24
海のある田舎町に戻った。この1週間空は青かったが、朝起きて寝室のカーテンを開けても空はどんよりとしたグレーだった。むしろどんよりすらもしていない当たり前の顔をしたグレーだった。
ぼくの家のリビングには天井までの大きな窓があるのだが、そこにはカーテンレールもないし、それほどカーテンも好きではないので、何もつけていない。それにそれほど日差しが強く差し込むこともない。それでも今朝はカーテンをつけた方がいいのだろうかと思った。それは、具体的に何かを遮るものとしてのカーテンであり、隠すものとしてではない。こちらに何があるのか、ではなく、あちらがわにはただ光があることだけが重要な気がした。昼食前に聖子ちゃんと二人で家のあたりをふらふらと歩いた。頭上に広がるグレーに加えて、体が縮こまるような寒さだった。ここは本当に人が住む場所なのだろうか。人々はこの土地に生まれたことで、ここを故郷と言い訳をしているのだろうか。自身の身体からの言葉ではなく、思考によって作り上げた言葉にしがみついて生きているのだろうか。ぼくは、学校も仕事も、何の当てもなく、移住先としてこの海のある田舎町を選んだわけだが、ぼくの野生の勘がずいぶん鈍っているということだろう。「豊かであること」を美徳とした時代と国、そして家族に生まれたことが今ぼくがこの海のある田舎町で苦悩している理由だろうか。そこに当たり前に山があり、太陽があり、海があった。厳しさの中でも、道徳や流儀を好み、基本的なものをさらに美しくするために目の肥えた意欲的な人間が創意工夫したものや哲学を持って作られたもののある国で育った。 そんなものがなければ、今ぼくはこんなに苦悩することもなかったのだろうか。未来は、ますます苦しくなるのだろうか。そんなことを考えながら歩いていると、隣に昨日までと全く違う物憂いげな表情があった。「元気ないね」というと、「昨日までは朝からきちんと髪を整えて、シャツを着ていたのに、今日は朝からフーディを着ている」と言われた。
ぼくの家のリビングには天井までの大きな窓があるのだが、そこにはカーテンレールもないし、それほどカーテンも好きではないので、何もつけていない。それにそれほど日差しが強く差し込むこともない。それでも今朝はカーテンをつけた方がいいのだろうかと思った。それは、具体的に何かを遮るものとしてのカーテンであり、隠すものとしてではない。こちらに何があるのか、ではなく、あちらがわにはただ光があることだけが重要な気がした。昼食前に聖子ちゃんと二人で家のあたりをふらふらと歩いた。頭上に広がるグレーに加えて、体が縮こまるような寒さだった。ここは本当に人が住む場所なのだろうか。人々はこの土地に生まれたことで、ここを故郷と言い訳をしているのだろうか。自身の身体からの言葉ではなく、思考によって作り上げた言葉にしがみついて生きているのだろうか。ぼくは、学校も仕事も、何の当てもなく、移住先としてこの海のある田舎町を選んだわけだが、ぼくの野生の勘がずいぶん鈍っているということだろう。「豊かであること」を美徳とした時代と国、そして家族に生まれたことが今ぼくがこの海のある田舎町で苦悩している理由だろうか。そこに当たり前に山があり、太陽があり、海があった。厳しさの中でも、道徳や流儀を好み、基本的なものをさらに美しくするために目の肥えた意欲的な人間が創意工夫したものや哲学を持って作られたもののある国で育った。 そんなものがなければ、今ぼくはこんなに苦悩することもなかったのだろうか。未来は、ますます苦しくなるのだろうか。そんなことを考えながら歩いていると、隣に昨日までと全く違う物憂いげな表情があった。「元気ないね」というと、「昨日までは朝からきちんと髪を整えて、シャツを着ていたのに、今日は朝からフーディを着ている」と言われた。
2026.3.23
朝6時に起床し、カメラを持って街を歩く。昨日は6時半に起きたにも関わらず、すでに遅くなっていたので、さらに早く起きた。と言っても6時半が早いと思っているのは、毎日8時に起きているぼくにであって、珈琲屋やパン屋、アナウンサーなんかはもっともっと早く起きている。
街を歩いていると、ある時期からこの街は観光客を呼び込むことでしか、街を維持することができなかったのではないかと思った。細く静脈のように広がる運河があり、建物がその景色を遮るようにびっしりと立ち並ぶこの街の構造や環境から、最も簡単に劣悪な生活環境や治安になるだろう。観光客を呼び込むことでしか治安を維持することができなかったのではないか。そんなことを考えると、ぼくはこの街が一時期からどれだけ観光で失敗したと言われようとも、それがその街を維持するために必要であった美しい国の彼らのことが気の毒になる。もちろん同情することは正しいことではないだろう。
午前中にPeggy Guggenheim Collectionへ。その後、誰も何の不安も抱かないほどに快晴だったので、ふらふらと歩いているとGelateria Nicoがあり一服。今月オープンしたばかりのレストランDo Faraiでカルチョーフィのフリットと、ボッタルガのスパゲットーニ、トスカンケールとフィオラーロのスパゲットーニ。その後、Brunoとマイさんと街を散策。Pasticceria Rizzardini、Yali Glassなど。
BrunoがGoogle mapを紙の地図を使うように使っていて、ぼくがいかにただ歩く行為をタスクのように自分自身に課しているのかと思った。誰もそんなことは思わないかもしれない。昨日見た女性とは真逆の思考を持っていた。
街を歩いていると、ある時期からこの街は観光客を呼び込むことでしか、街を維持することができなかったのではないかと思った。細く静脈のように広がる運河があり、建物がその景色を遮るようにびっしりと立ち並ぶこの街の構造や環境から、最も簡単に劣悪な生活環境や治安になるだろう。観光客を呼び込むことでしか治安を維持することができなかったのではないか。そんなことを考えると、ぼくはこの街が一時期からどれだけ観光で失敗したと言われようとも、それがその街を維持するために必要であった美しい国の彼らのことが気の毒になる。もちろん同情することは正しいことではないだろう。
午前中にPeggy Guggenheim Collectionへ。その後、誰も何の不安も抱かないほどに快晴だったので、ふらふらと歩いているとGelateria Nicoがあり一服。今月オープンしたばかりのレストランDo Faraiでカルチョーフィのフリットと、ボッタルガのスパゲットーニ、トスカンケールとフィオラーロのスパゲットーニ。その後、Brunoとマイさんと街を散策。Pasticceria Rizzardini、Yali Glassなど。
BrunoがGoogle mapを紙の地図を使うように使っていて、ぼくがいかにただ歩く行為をタスクのように自分自身に課しているのかと思った。誰もそんなことは思わないかもしれない。昨日見た女性とは真逆の思考を持っていた。
2026.3.22
朝6時半に起床し、カメラを持って街を歩く。8時過ぎにホテルに戻り、朝食。シスターが朝食を用意してくれていた。
Laguna B。その後、Piazza San MarcoにあるNegozio Olivettiへ。行列が出来ていて、不思議に思ったが、無料開館日だった。列の前は40代半ばのカップルが並んでいた。男性はのんびりした雰囲気だったが、女性は細かそうな服装をしていて、背中からもその性格が伝わってくるようだった。ちらっとiPhoneを覗き込むと、Google Mapが開かれていた。そこには、A 地点からG地点までびっちりとその日訪れる場所が経由地として記されていた。経由地を追加できるのは知っていたが、A地点からG地点まで一気に入力している人を初めてみたので、驚いた。その使い方が便利なのかはわからなかった。今はC地点だったようで、よく聞こえなかったが「D地点に行くには10分かかる、ここで待つ時間はない」というようなことを話していた。数分悩んでから、二人は列を外れD地点に向かった。その1分後、突然列は一気に動き出し、ぼくは館内に入った。そして、Carlo Scarpa建築空間を楽しんだ。コンパクトなショウルームなので、15分くらいで充分だった。Google Mapに縛られた旅をする二人を憂いた。
Laguna B。その後、Piazza San MarcoにあるNegozio Olivettiへ。行列が出来ていて、不思議に思ったが、無料開館日だった。列の前は40代半ばのカップルが並んでいた。男性はのんびりした雰囲気だったが、女性は細かそうな服装をしていて、背中からもその性格が伝わってくるようだった。ちらっとiPhoneを覗き込むと、Google Mapが開かれていた。そこには、A 地点からG地点までびっちりとその日訪れる場所が経由地として記されていた。経由地を追加できるのは知っていたが、A地点からG地点まで一気に入力している人を初めてみたので、驚いた。その使い方が便利なのかはわからなかった。今はC地点だったようで、よく聞こえなかったが「D地点に行くには10分かかる、ここで待つ時間はない」というようなことを話していた。数分悩んでから、二人は列を外れD地点に向かった。その1分後、突然列は一気に動き出し、ぼくは館内に入った。そして、Carlo Scarpa建築空間を楽しんだ。コンパクトなショウルームなので、15分くらいで充分だった。Google Mapに縛られた旅をする二人を憂いた。
10年前に聖子ちゃんとベネツィアに来たのだが、その時は途中から別行動だった。ピアッツァに面したピッツァショップでピッツァをテイクアウトし、ピアッツァのベンチで食べたのだが、その時ぼくがオリーブオイルを彼女のBurberryのコートにこぼしてしまった。今では正直詳細は全く覚えていないのだが、その時ぼくは謝らず大喧嘩になった。彼女はその場を立ち去り、一人で街を散策した。あの頃ぼくたちはパリに住んでいて、ぼくはiPhoneとは別にガラケーを持っていた。簡単にSIMフリーにするような時代ではなかったような気がする。だから地図は全て彼女任せだったし、wifiがなかったらぼくのiPhoneは何でもなかった。首からはKyocera Slim Tをぶら下げていた。そんな街で地図もないので仕方なくふらふらしていた。特にぼくは街に行っても歩いてお茶する以外にやりたいことがない、それは今でも大きく変わらない。どのくらい経ってからだっただろうか。おそらく2時間ほどしてからだった気がするが、そんな風にのんびりした気持ちで歩いていると、迷路のような街の中で偶然彼女を見つけた。嬉しいことに彼女はこちらに全く気づいていないようだったので、ぼくは尾行することにした。首にはちょうどKyocera Slim Tがぶら下がっていた。突然カチンコが鳴らされ、探偵のような気持ちになり、映画俳優がいかにもな姿で私立探偵を演じるようにぼくもあの街でカメラを片手に私立探偵を演じた。時にウィンドウショッピングをし、時に壁を興味深そうに眺めたり触ってみたり、時に全く知らないカフェに入った。その時の写真はまだ発表したことはない。
今回10年前にそんなこともあったので、同じピッツァショップを探してみたが、見当たらなかった。Pizza2000という名前だったというのだが、そのピアッツァにはなかった。違うピッツァショップがピアッツァにはあった。違う場所に位置したPizza2000でマルゲリータを買って、10年前と違う広場でピッツァを食べた。何かあの時に忘れ去ってきたものを拾いに来たようなつもりだったが、拾ったものはあの時に忘れてきたものではなかったような気がする。ピッツァの箱に描かれていた男性も箱から立ち去り、代わりにレモンの木があった。
今回10年前にそんなこともあったので、同じピッツァショップを探してみたが、見当たらなかった。Pizza2000という名前だったというのだが、そのピアッツァにはなかった。違うピッツァショップがピアッツァにはあった。違う場所に位置したPizza2000でマルゲリータを買って、10年前と違う広場でピッツァを食べた。何かあの時に忘れ去ってきたものを拾いに来たようなつもりだったが、拾ったものはあの時に忘れてきたものではなかったような気がする。ピッツァの箱に描かれていた男性も箱から立ち去り、代わりにレモンの木があった。
かなり疲れたので、ホテルに戻り、夕方15分瞑想。シャワーを浴びて再び街へ繰り出した。Bea Vitaでドリンク。夜、ホテルに帰ってiphoneの歩数計を見たら33,000歩を超えていた。
2026.3.21
Veronaに行き、その後Veneziaへ。夜は、Vini Da ArturoでHaniさんの接客を浴びる。久しぶりに人が律することと、その即興性の中に曖昧に存在するリズム、それからウェイターとお客の信頼関係やお互いのユーモアによってお店が成立しているようなお店に来れてぼくは誇らしくなった。来たお客さんを楽しませるだけではなく、誇らしくさせるお店というのはとてもいいと懐かし気持ちにさせられた。このところ全くそんな気分になっていなかった。
お店はパンパンだったが、Haniさんが一人でサービスしているので、手持ち無沙汰にならないようにと、隣に座っていた一人のドイツ人男性にはドイツ語で書かれたビリビリなるほど読み込まれた哲学書を渡し、ぼくたち日本人にはガイドブックを渡し、アメリカ人には何かに表彰された?のか名誉な新聞記事を渡していた。国によって安心の仕方や物を見る基準が違うのか、信じるものがちがうのか。とても考えさせられるサービスだった。夜は、修道院に泊まる。
お店はパンパンだったが、Haniさんが一人でサービスしているので、手持ち無沙汰にならないようにと、隣に座っていた一人のドイツ人男性にはドイツ語で書かれたビリビリなるほど読み込まれた哲学書を渡し、ぼくたち日本人にはガイドブックを渡し、アメリカ人には何かに表彰された?のか名誉な新聞記事を渡していた。国によって安心の仕方や物を見る基準が違うのか、信じるものがちがうのか。とても考えさせられるサービスだった。夜は、修道院に泊まる。
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