2100年の生活学 by JUN IWASAKI

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2024.9.5

昨日は良い天気だったが、今日からはなんともブリティシュウェザーというような天気になりそうだ。昨晩、Toklasで食べすぎたせいでそれほどお腹が空いていなかったので、朝は食事はせずEmileが淹れてくれたコーヒーにオーツミルクを入れて飲んだ。9時前に家を出てみんなでCharleston Houseへ。ステラの面倒を見てくれているアヤさんからステラの調子が悪いという連絡がきた。聖子ちゃんと二人で手当たり次第に電話をし、以前Amsterdamで行っていたVetとはなし、ひとまずかかりつけのvetがないのであれば、ペットショップで薬を飲むだけでも大丈夫だと思うという提案を受け、そのようにする。問題は、自分がいないときによく起きると、
一緒にいたHarryとEmileの友人Juliaも含めて全員が言っていた。しかし、お世話になっている時にこんなことが起きるなんてなんとも申し訳ない気持ちになってしまった。電話も繋がらないし、電波もないし、大雨に打たれるし、Charleston Houseの庭は見れないし、ステラも心配だし、なんだか心がふわふわとブリティッシュウェザーのようだった。イギリスの天気は不思議だ。それでもアヤさんの親切でなんとか光を見出したあとは、予期せぬBrightonエリアへの訪問はなかなか興味深いものに感じた。みんな大雨に打たれ疲れて、もうどこにも行きたくないという感じで最寄り駅近くのMarks & Spencerで食材を調達し、家に帰りEmileと二人でキッチンに立ち、
キノコのリゾットを作った。
HarryのパートナーEmileの父は80年代に一世を風靡したイギリス出身のポップスターで、彼の佇まいを見ているとその父の影響なのか飄々としていてユーモアと度胸に加えたスマートさがある。話を聞いていると血の繋がる父ではなく、義理の父だといっていた。それでも自分が育った環境というのは成長に大きく影響するのだろう。個人が持つ品位や価値観は、血やDNAに宿るのだろうか、もしくは身体や思考に宿るのだろうかとふと思った。Emileがどんな生活をしてきたのかは知らないが、自分にもしポップスターの血が宿っていなくてもポップスターと生活を共にすることで、身体や思考の中にポップスターのアイデンティティは染み付いていくのだろうというのが見て取れるような人間である。もしくは、ポップスターが潜在的に秘めているものではなく、後天的に授かってきたものにぼくが勝手にポップスター性を見出していて、その後天的なものに魅力を感じているのかもしれない。スマートな人間であることは周りにいる人間を気持ちよくさせる。

2024.9.4

朝4時に起床しロンドンに向かう。7時のSchiphol Airport発、Gatwick Airportに7時15分着。Gatwickからロンドン市内へ向かう電車の中で、The Royal Balletのスウェットを着たとても美しい少女がお父さんと一緒に座っていた。日本を思い出すような満員電車の中で聖子ちゃんと「天使のようだね」と話していると、どこかの駅で乗り込んできた40代後半もしくは50代前半のいかにも会社員というきちんとしたスーツを着た男性がiPhoneで美しい少女の写真を撮り始めた。はずかしながらThe Royal Balletを知らなかったぼくは彼女がもしくはThe Royal Ballet写真に撮られるほど有名なのかとThe Royal Balletに興味を持ち始めていたが、いやでも目に入る距離にある彼のiPhoneの画面を見ていると、お父さんを中心の構図で写真を撮っている。異国であることをいいことに聖子ちゃんに「この人、写真撮ってるよ、女の子じゃなくてお父さんの」と伝えた。エスペラント語のように世界の満員電車はどこも変わらず同じ言語をもち、嫌な空気が充満する満員電車の中で目の前にある他人のiphoneのモニターは時間を潰すのにはもってこいだったし、イギリス人がどんな風に英文を打ち込み、考え直して消すのか、そして、どんな風に書き直すのかは、英語日ネイティブのぼくからすると英語の勉強のようでとても興味深かった、それは良くも悪くも実際に勉強になった。彼は、その写真を友人たちに送り始めた「Guess who I am taking a train with this morning」さらにヒントとして、「Crystal Palace戦でゴールを決めた奴だよ…」と、最後の...で彼がCrystal Palaceファンであり、当のお父さんはライバルチームBrighton & Hove Albionの選手だということが想像ついた。チャットの中に名前が出てきて、結局ぼくはその選手のことをしらなかったので、その途端に興味は失われた。アルチームのレジェンドよりもThe Royal Balletよりも美しい少女にしか興味がいかなかったことから、知識がないと即物的なものにしか興味が持てないということをまた表現しているようだった。彼は友人たちとのチャットを楽しみながら、その元サッカー選手が持っている娘のボストンバッグのブランドの検索をし、The Royal balletの学費を調べ出した。彼は彼自身の好奇心のままにiphoneの画面を誰も見ていないという幻想を抱き、思いのままに操作している。ぼくはiPhoneの画面を見ながら彼の脳を覗いているような気になってきて、それを見ている罪悪感以上に、自分もある場面ではこんな風に人について調べたりしていないだろうかと思うと、そんな風にはなりたくないなとゾッとしてしまい焦って自分の目を閉じた。
Emileの父の家に行き、久しぶりにHarryに再会。娘のIdaにもやっと会えた。今回、ぼくたちがロンドンに来たのは、HaryyEmileとしてIdaに会うことが目的で他には特に予定がなかった。New Zealandから来ているということで、ここでしか会うことができなかった。2018年以降会っていなかったが、久しぶりに会ったとは思えないような気分で、あたかも先週一緒に家でお茶でもしていたかのように会話が始まった。しかし、同時に6年の間に彼女の生活には大きな変化があり、ぼくの人生にも大きな変化があった。20代や30代というのは自分自身の環境の変化があり、自身の人生の方向を決める大きな舵取りが必要な気がするし、その舵をどう取るかによっては知り合う人や遊ぶ人も変わってしまうことがある。6年も会っていない間に人々の人生は劇的にではなく枯れた土地に水が染み込み色を変えていくようにじわじわと変化していくのだろう。そのゆったりとした変化は大きな時間を見返した時に劇的にさえ見える変化を生み出しているかもしれない。こうやって頻繁には会えないけれど、定期的に会える友人がいることを嬉しく思うし、それは意思を持って行動している人にしか訪れないようなモーメントなのだと思った。何気ない再会ではあるのだが、一つの土地にいるだけでは決して訪れることのない素晴らしい出来事である。何気ないことの裏側には人々の度胸があることもある。家の辺りを散策し、13時過ぎに家を出てロンドンセントラルへ出た。Cafe Decoで一服し、Tateの常設を見て、夜は前にVeronicaに連れて行ってもらったレストランToklasに行き、Somerset Houseの横を通り、歩いてWaterloo Bridgeを渡り、バスで帰宅。聖子ちゃんと一緒にロンドンに来たのも2014年ぶりである。あれからもう10年もの時間が経った。

2024.8.30

昼過ぎに自転車で街を散策。
動いても、シャワーを浴びても、映画を観ても、アイデアが降ってこないので、David Campany『On Photography』、Stephen Shore『Modern Instances』を読み漁る。便秘のようにいい答えがどこかに詰まってしまっていて悩み始めている。具体的な締切はないのだが、そのようなものは刻一刻と迫っている。もう秋の空気も身の回りに馴染み始めてきた、それも焦りを助長する要因だろう。夜は、近くのお肉屋で買ってきた鶏の心臓を調理し、焼き鳥のように塩焼きし、わさびをつけて食べた。その後、漬物を食べて、慈悲深い味に心を奪われ、京番茶を飲んでいると土鍋で炊いた粒のたった白米が食べたくなった。大味ではなく、簡単に真似できそうと思わされるほどになんでもないものなのに手の届きそうにないところにある味わいを持った作品を作りたいと思った。
今日も一日中出歩いてくたびれて眠そうな辻村さんと日を跨ぐくらいまで話し就寝。

2024.8.29

再度、Nanni Moretti『Dear Diary』鑑賞。イタリアの壁のシリーズにタイトルをつけているが、なかなか作品のタイトルが決まらない。頭を動かすよりも身体を動かす方が新しいアイデアが思い浮かぶのだろう、ということで自転車で街を徘徊する。ベスパでローマの街を徘徊したNanni Morettiのように。
今朝、辻村さんと「いただいたお誘いを断るともう二度とお声がかからない」という話をした。この話が正しいかという話ではなく、なんとなく強迫観念と閉鎖的な世界がそこにあるような気がして腑に落ちないので、色々と考えを巡らせていた。ぼくの解釈によると、他人から誘われたことにポジティブな答えが出来なれば、自分のペースを大切にしている人なのだろうと思われる傾向にあり、誘いずらい、誘ってもこない、誘っても断られるんじゃないか、という印象になっていくという話で、どれだけ気が乗らない誘いだったとしいても「ちょうどそちらに行く予定でしたので、参加させていただきます!」と快く参加していると、楽しいことや自分が興味あることにも誘われるようになるということだった。ぼくは、お酒も飲まないので、学生の頃から誘いを断ることに慣れすぎた結果、ノリの悪い自分中心の人間となりiPhoneを数日放置しても誰からもメッセージが全くきていないということもよくある。学生時代は、そんな人間への配慮も多く、連れ出してくれるような信頼のおける友人もいたが、仕事の関係になるとそんな心に余裕がある(もしくはお節介な人)はどんどんといなくなった。海外での生活では誰にも気を遣われることもなく、遠慮なく誘いも受けるような日々であったので、そんなことを気にしたこともなかったし、今日までそんな風に社会が成り立っているという側面もあまり見えていなかった。いや、見えていたが言語化や他人からの言葉を受けてこなかった。辻村さんの本意は何だったのかは知らないし、むしろ疲れや苛立ちによって出てきた悪意のあるぼくへの本心だったのか、ただの時間潰しだったのか、おちょくられていたのかはわからない。彼の100つの無駄話の中に突然ぽっと出てくる1つの貴重な真面目な話は身になることは興味深く、いつも自分の人生を考えさせられるような気にさせるのだが、この会話の本質的な側面をぼくの思考を持って解釈したことだけを話すと、この話に半分は納得しながらも、もう半分は全く納得できずにいた。ぼくの解釈では、気分よくポジティブにいつだって誘いを断らずに参加してくれるような頼りがいのある信頼できる人間で、声をかけたいと思われる人になりましょう、そうすれば仕事もたくさん来ますし、リズムが出て人生は順風満帆になりますよということが半分、それに関しては一点の曇りなく納得できる。しかし、もう半分は、「断ってばかりいるといつしか誰からも誘われなくなり、行きたいことにも参加できず、仕事も来ませんよ」というのは、誘われる側だけの問題ではなく誘う側の度胸や気持ちの問題であって、本当にその人を誘いたい、もしくはその人に会いたいと思うのであれば、断られる可能性があっても誘うのではないかと思うのだが、どうだろうか。みんながどんぐりの背比べで同じような仕事っぷりをしていれば誘って断れない人に声をかけたいだろうが、その人にしかできないことを持っているのであれば、そして、その人にどうしても頼みたいという熱意があれば、断られようが誘うのではないだろうか。ぼくが友人と会う時、誰かに何かを頼むときは、作家と一緒に何かをするときは、そんな風に考えているなと思った。断られても、どんな風にアプローチしたらいいのかを考えている。頑固がいいという話でもないし、誘われたら全てに参加している人が悪いという話でもない。そして、相性も存在する。誘い方がとてつもなく雑な人もいれば、タイミングが非常に悪い人もいる。
ぼくが出会ってきてぼくもあんな風になりたいと憧れている人たちは、ソーシャルだろうかとふと思い出してみた。みんなメディア露出は少ないし、日常生活に足がついた生活を送り、アーティストだろうが一般人だろうが、カフェ店員だろうが奢らず、フラットな関係で、日々の中で起きる出来事に対してある種の即物性さえをも持ち合わせている。すぐに頭に浮かび上がる彼らは、地理的に都会から離れていようとも、自分のするべき仕事を続けている人たちだ。彼らが何かを断っているかは知らない、誘いがこなくなっているかは知らない、もしかすると全ての誘いにポジティブな返事をして、出向いているかもしれない。しかし、ぼくが誘った数回は断られたのを覚えている。それでも、彼らからお誘いを受けることさえもあり、突然の訪問やお誘いをもらうこともあった、断ったからと言って人間関係が崩れるわけではなかった。それ以上に、自分が続けるべきことを続けていないことによって信頼を失ってしまうのではないかと思ってしまう。継続しているということは、自分自身の存在と過去とを肯定することのようにも思う。自分にとって自分の人生を全うするための正しい答えは、自分で見つけるしかない。今日の辻村さんとの話での学びは、ぼく自身に全くと言っていいほどに比較対象を超越するほどの特殊性と信頼が足りないということだろう。

2024.8.28

朝は、辻村さんと聖子ちゃんと家で食事。Pompernikkelで辻村さんのクロワッサンも買ってきたが、動物性の食べ物をあまり摂らない彼に「お酒を飲まない人にまあ1杯くらいどうと、グラスにワインを注ぐのと同じではないですか?」と言われ、ドキッとした。良かれと思っていることも相手にとっては気を遣わせることになっている。「お酒まあ1杯くらいどう?」みたいなのにくたびれている自分がいるにも関わらず、それでも自分はクロワッサンを動物性の食べ物を摂らない人に買ってきて朝食のテーブルに並べているのだ。昨晩は寝れなかったと言いながらクロワッサンをちぎりながら食べ、コーヒーを飲み干し、しばらくして辻村さんは家を出た。滞在中も東京にいる時と変わらず忙しそうである。
今日で、聖子ちゃんと付き合って12年がたった。8月28日は結婚記念日ではないし、入籍日でもない、ぼくが好きな音楽家であり写真家でもあるSteve Hiettの命日であるが、この日はぼくと聖子ちゃんにとっては大切な日である。あの2012年以降、8月の後半はいつだってぼくをエモーショナルにさせる。2012年の暑い夏の日々も鮮明に思い出せる。鴨川で寝ていたぼくは、大した荷物も持たず、ましてやコンタクトも持っていなかったが京都駅の窓口へいき、東京行きのチケットを2枚買った。仕事に向かおうとしていた聖子ちゃんを無理矢理東京にまで連れ出した。あれほど勢いを持った暑い夏をもう2度と経験することはないかもしれない。東京から帰って付き合ってもいなかった彼女にメルボルン行きの片道チケットを勝手に買い渡したのが8月28日、9月1日にぼくは一人でフィジーへ飛び立った。マルセル・モースの『贈与論』に異常なまでに魅了されていた。12年後の同じ日にデン・ハーグに住んでいるとは考えもしなかった。今日は、気温は28度まで上昇したが日本やアジアのそれとは違い特別暑すぎもなく、カラッとして夏の終わりを楽しませてくれるような気温だった。Nanni Moretti『Dear Diary』を鑑賞して、夕方からビーチに行き、家に帰りシャワーを浴びて19時からRestaurant ñへ。ビーチで少し泳いで、シャワーを浴びてシティセントラルにあるテラスの気持ち良いレストランでディナー、ビーチ沿いの道でPompernikkelのDaanとすれ違い「Heey!」とだけ言葉を交わした。そんな風な時間を過ごすとこの土地で生活しているなと実感して嬉しくなった。デン・ハーグに来てから、夜に食事に行くことがめっきり少なくなってしまってこんな風な時間がこの街にも流れていることをすっかりと忘れていた。
家で辻村さんと話していると、昨晩寝れなかったのは昨夜のリリ世ちゃんが作ってくれた食事にガーリックが入っていてそれを食べたせいだといっていた。吸血鬼ドラキュラはガーリックが苦手だが、辻村さんもその類だろうか。イタリアの壁のシリーズの作品をYvon Lambertに送らないといけないが、タイトルが決まらずにいる。なかなかいいタイトルは見つからない。

2024.8.27

リリ世ちゃんがうちにきて、夕飯に3種類のパスタとサラダを作ってくれた。26時ごろまで辻村さんとリビングで話して就寝。
辻村さんの自分の愛娘リリ世ちゃんへの眼差しを見ると、今後、昔のように一緒に住むことはないだろう自分の子供との時間はきっととても愛おしくて大切なんだろうなというのを強く感じる。親子の関係の中だけではなく、多くの人生の中でも言えることではあるが、あの頃あった過去と同じようには生活できないし、形はどんどんと変わっていく、親としての感情と多感で人生の基礎となるような10代後半から20代という時間を過ごす子供の感情とが複雑に混ざり合い、時に恥ずかしく、時に恥ずかしがったことを悔いるような時間をお互いに過ごしているのだろうか。何も深くは考えずにただそこにある今という時間に目を向けているのだろうか。親からすると、
子供がなんと感じようとどれだけ嫌がられようと求められようとも、子供への感情が大きくは変わるものではないだろうし、子供は目に入れても痛くないという溺愛する意味の諺があるからには、それはどんな時代でも普遍の感覚なのだろう。自分もいつかそんな感情を抱くことはできるのだろうか。彼らがその大切な時間を過ごせるのであればぼくは邪魔をしたくないし、それがうまく遂行されるように何か手伝えることがあれば手伝いたいと思っている。それがただのお節介であることは重々承知した上で。

2024.8.26

朝、聖子ちゃんが起きてきて第一声で「自分がコントロールできることだけを頑張るわ」といった。どんな夢を見たのだろうか。
朝7時過ぎに起き、ステラの散歩へ行く。昨晩は、早めに布団に入ってYorgos Lanthimos監督『Dog Tooth』を鑑賞。 Michael Haneke監督『Funny Games』のようで、ぼくが好きそうな映画だと聖子ちゃんにおすすめされたが、疲れのせいか途中で寝てしまった。結果的に早め寝ることになったからかいつもより少し早く起床。トーストとフィルターコーヒーを飲んで、溜まっていた作業をして、インタビューの翻訳をして、画像の修正。昼は、聖子ちゃんがトマトのリゾットを作ってくれて食べてからは集中していたのか大した記憶もなく気づけば夜になっていた。20時ごろ辻村さんが家に帰ってきたので話す。お茶を淹れて椅子に座っていると、「椅子に座って何をぼーっとしているんですか?」と言われた。ぼーっとしている認識はなかったので、そんなことを言われるとは思ってもおらず返す言葉に困った。それでよく思い返してみると昔からずっとぼーっとするのが好きなのかもしれない。カフェでぼーっとしたり、家の椅子に座ってぼーっとしたり、それは大学生の頃から全く変わらない一つの趣味だとも言える。ぼーっとできるスポットを探すためによく街を練り歩いていたような気もするし、ぼーっとするために生きているような気もしてくる。ぼーっとしながら思い耽ってみたり、カフェで道ゆく人を見ていたりするのがぼくがとても好きなのだ。そんな時間をみんなが持つことができるわけではないと辻村さんに言われたが、そういうふうに考えると少しくらいはぼくも自分なりの人生のやり過ごし方を持っているような気がした。
みんなが寝静まってからYorgos Lanthimos監督『Dog Tooth』の続きを鑑賞。夜中に一人でイヤホンで鑑賞するには向かないような恐怖に煽られるような映画だった。27時過ぎに就寝。