2100年の生活学 by JUN IWASAKI

Translate

2024.5.31

締切だったので、記憶がないほど集中して作業をしていた。13時ごろ昼食を食べたのは覚えているが、そのあと、お茶を淹れたりしているようだったが、聖子ちゃんが家に帰ってくるまで時間の経過もわからず、20時までノンストップで作業をしていた。締切に追われている最終日ではなく、細かい修正を時間が許す限り徹底的に行おうという作業だった。アワードに提出するときは、結果があまり良くないことの方が多いが、それでもひとつやり遂げたという達成感はある。

2024.5.30

朝から、ステラを連れてAmsterdamへ向かう。犬を連れていても電車に乗れるし、街は歩きやすいし、お店にもそのまま入れるし、大変なことはないのだが、一つ言うならステラはデリケートにぼくたちの感情を敏感に読み取るので、ぼくたちが少し高揚したようにどこかで出かける準備を始めると自分もどこかへいけると言うことで喜びが隠せなくなってしまう。そこまではいいが、新しい場所に行くと興奮と同時にやってくる全てを確認したいという衝動に駆られるため、グイグイと引っ張ってしまう。引っ張るステラを抑えながら歩くのはなかなか骨が折れるのだが、電車でもお店でも大人しくできるし、歩くことさえ覚えれば従順な犬である。新しい土地で引っ張ること、それさえなければどこまででもどこにだってステラと一緒に行きたいと思う。

Restaurant Amsterdamに行きランチ。その後、NickMarijnに会いステラを預け、Mark van den Brinkのスタジオへ。その後Flosのショウルームで開催されたARQUITECTURA-G + Sam Chermayeffのトークイベント。Jackieの友人でRoheでデザイナーをしているDanielに会い、話す。OficinaNaiaraを紹介される。その後、NickMarijnの家にステラを迎えに行き、電車で帰る。結局家に着いたのは、24時前だっただろうか。

2024.5.29

月末締め切りのものがいくつかあり締切に追われているので、黙々と家で作業。特に家にいると空気が変化するということもなければ、音があるわけでも誰かが来るわけでもなく、ただただ太陽の日差しが左から右へと動いていくだけなのである。その動きも確実ではあるがとてもゆっくりであるため、感覚さえ失ってしまうこともある。気付けば自分の身体に当たっていたはずの太陽の光もとっくの昔に自分の身体を忘れ去ったように壁に向かって光を当てている。太陽の光は無情である、彼らは彼らの営みをくる日もくる日も行っているだけなのだ。

2024.5.28

11時半、家でミーティング。ベルギーのゲントから紙屋さんが車で3時間もかけてきてくれた。フリーランスでこの紙屋さんのアンバサダーとして働いているらしいが、同時に彼女自身もフリーランスのデザイナーということで説明の視点が具体的で良かった。知識があるとかないとか、そういうものではなくてどんなビジョンを描いているか、どんなものを作りたいと思っているかを汲み取る力があった。日本の紙屋さんもこのくらいの規模のデザイナーがフリーランスでアンバサダーをすればいいなと思った。それほどの需要がないのだろうか、大きい方々が使っているから欲しいというようなファッションマーケティング的なアンバサダーではなく、作りたいものを具体的に叶えるために実質な態度がある。それにしてもヨーロッパの紙は湿っぽくなくパリッとしていていい紙が多い。
ミーティングが終わり、遅めのランチに家でピッツァを作って食べる。食後、Bowieで一服して、夕飯をスキップして作業を続ける。今日は一つ大きなミッションを終えたので、気楽に写真の現像をしなおす。Le cinema clubRosette1996年の映画「LES AMIS DE NINON」を鑑賞。日常生活の出来事に目を向け、その中で人間の感情が揺れ動き意気消沈している中でテクノハウスパーティが行われるお馴染みのロメール調。30分弱だったので寝る前に鑑賞して25時半ごろ就寝。

2024.5.27

家の整理をして、久しぶりにToyoフィールドを取り出し撮影。月曜日なのに、週末のような雰囲気で、街に人がいない。

2024.5.26

今日も聖子ちゃんが外で仕事のため、家で一人で過ごす。家の近くでマーケットがやっていたので、立ち寄る。イチゴが2パックで4ユーロだったので買った。マーケットで昼食の食材を買おうと思っていたが、特に良いものが見つからず、雨も降り出したので急いで帰る。家に帰ってハンパになっていてステラにあげようと思っていたチーズの塊でリゾットを作る。今日も、家であれこれとしているが、ずっとモヤっとした感覚が抜けない。4月末くらいから辛気臭い雰囲気が強く漂っている。いや、おそらくもっと前からだろう、もっともっと前だ。生まれてからずっとかもしれない。夕方また机の上で寝てしまったので、場所を変えそのままベッドへ。19時半ごろ目を覚ます。晴れていて気持ちよさそうだったのでカモミールティーを飲んだ後、自転車に飛び乗りビーチに夕陽を見にいった。オランダのどこまでも続く水平線に富士山がないのを不思議に思うようなことがあるほど葉山のビーチを思い出すが、それは決してここが葉山と似ているというわけではなく、ただ同じ方向を向いているということだ。陽が沈むの砂の丘から見ていると、自分の喜びはどこにあるのか、心が満たされるということは何か、何をするのが好きなのか、何をすれば他に何もいらないと思えるのか、気分が不安定な時にそれを掴み続けているだけでも自分を見失わないのだろうが、大体気分が不安定になるとぼくはすぐに掴んでいるはずのそれを手放してしまう。何か心の底から自分の喜びのためにできることとは何かを見失っているような気さえする。自分の心の底から満たされることとは一体何なのだろうか。
ぼくは、自分の継続力のなさと、成長のなさと、集中力のなさに常に落ち込んでいる。それから、お金で解決できることで悩みすぎてるし、この世の中にはお金で解決できることが多すぎるように思う。いや、恥ずかしいことに自分の見ている世界がお金で解決できることが多すぎるのだ。しかし、自己欲求を満たすためだけにお金を使うのはつまらないと思うし、それで同時に自分を苦しめるくらいならお金使えばいいと言われる。あまりお金を含め自分の外のものとの関係を作るのが上手ではない。
最近の話ではなく、思い返すと2019年から何となくずっと苦しさを感じている。もしかすると、高校生の頃からそうかもしれない。30代というのは苦しいが少しでも積み上げていくしかない。20代の頃は、30代になればきっと何か実を結ぶなんて思っていたが、そんなものはない。自分がやってきたことしか実を結ばないのだ。苦しい中でも、しんどくても度胸を持って一つ一つ自分のペースで積み上げていくことによってしか実を結ばない。継続力と集中力と度胸、ぼく自身に明確に欠落したその3つ。
こんなふうに話すと辛気臭いなと言われる。辛気臭い雰囲気を纏いながら生きていると、自分が書く文章も撮る写真も作るものも全てが辛気臭い。自分でも自分の作るものを見てられない。辛気臭くてもそれが今のぼくであれば、全てを曝け出し辛気臭い作品を作る他にはないのである。しかし、きっとその辛気臭い雰囲気に嫌気をさして作品を見る人はいなくなるかもしれない。それでも、唯一はっきりとわかっていることは、ぼくは何かを作ることでしか自分自身を満足させることはできないし、作ったものに対してもその時点では全く満足できない。しかし、後から自分の人生を見返したときにあんなことは考えていたけど何も作らなかったし、何も社会に向けて自分の意思を伝えようとしなかったという恥ずかしい羽目にはなりたくないと思っている。それに作ることによって反応してくれる人たち、作品を買ってくれている人たちがいることはぼくの継続性を保ってくれる生命線のようなものである。

2024.5.25

今日は、聖子ちゃんが仕事で家にいないのでステラと家で過ごす。どちらかというとぼくが家を出ていることが多く、あまり家で一人になることに慣れていない。いつも家に一人になるとだとどうしようもないほど無性に掃除がしたくなる。全てをキレイにして、そのフレッシュな空気の中でリラックスしたいのだろう。それは、ぼくの母に対する記憶と関連しているかもしれない。母も仕事が休みの時は思いっきり掃除をしてリビングで映画を観ていた。ぼくは、その時の感覚が今でも忘れられない。
普段と違う雰囲気に心が騒ぎ、あまり何かに集中することもできない。聖子ちゃんも基本的に家で仕事をしているので、ここ5年くらいは家で一人過ごすということがなくなっている。家の掃除をして荷物の整理をして、マルクトプラーツで家具を探す。ずっと修理しないといけないと思っていた木の箱を修理した。廊下と呼ぶことができないほど小さい廊下に椅子を置き座り、スピーカーでBBC SportsFAカップ決勝を聴き、抹茶を飲んだ。夕方は、晴れたので、夕日の中1時間半くらいステラと散歩。夕方は太陽の光と影が具体的に現れるので探すように歩いているとどこまでも遠くへ行ける気がした。Eric Rohmerのサウンドトラック、プレイリストというものをspotifyで聴きながら、ビールを飲んだりただただ水の動きを眺めている人々が腰をかけるカナル沿いを歩いていると、もしかしていつかまたフランスに住むのも楽しいんだろうなと思った。2年後にはまたオランダのビザを延長して、そうすると5年のビザが降りるので、その間にヨーロッパの違う国のビザを申請することだってできる。イタリアだって、フランスだって、ベルギーだって、仕事がうまくいってまとまったお金があればビザの申請ができるはずだ。オランダに来てから、なぜぼくは自分が昔から影響を受けたり憧れていたものに対して素直に生きようとしないのかと感じるようになった。これまでパリと東京に住んだ以外は、大きな都市に住まないでどんな風に生きていけるのかという実践のように思っていたし、今オランダにいるのも自分の生活の実践なのだ。しかし、それに何の意味があるのかと思ってきた。ぼくにとって自分自身とぼくの周りの人間の世界を広げることはとても重要で、なぜ常に文化的先進国はフランスとかイタリアとかイギリス、アメリカなのかと疑問を持っていた。例えば、ぼくがデン・ハーグに住んでいると、オランダに来てくれる友人がいる、オランダを考える友人がいる。オランダの文化が特別好きで住んでいるわけではないと思う。文化に焦げるような恋をしてそこに住むというのはどのくらい楽しいことなのだろうか、いつまでもぼくはそんな風に生きることができない気がしている。しかし、小国ではないにしろ、オランダに住むということそれがぼくは平和だと思うし違いを受け入れることだと思っている。誰かが作った生活がある場所に住みたいと思ってこなかった。常にぼくは自分の趣味や嗜好いうものを疑っているし、そんなものは人間の冒険欲を失わせるものでしかないと思っている。自分の心の底にある、ルーツに触れ続けるような人生という冒険をしていたい。誰かの作った生活に憧れ続けていると、人生の全ては確認作業であり、自分の本当の力とか自分が何を本当に発見できるかというものに出会えないのである。世界を本当に広げるためには、本当に自分のこれまでの生活の中で関係を持たないような場所でどんな風に生活できるかということも人間の力の証明として必要なのである。ぼくは自分が何も得なかったと思いながら死ぬのは嫌だが、同時に自分のためだけに生きようと思っていない、隣にいる人のために、近くの人のために生きていると思っていたが、こうやって多くの人たちと関係を持たないような生活をしていると、自分は自分のためにだけ生きようと思ってくる。それがオランダの問題だ。自分のために生きようと思うと、素直になるのだろうか、いや、書いていてもぼくの選択はどれだけ考えてもこれだったんだと思う。
少しお腹が痛いのと耳鳴りがする。ここのところ急に寒くなったからなのだろうか。夏には友人が来るので、それまでにもう少し落ち着いた生活ができるようになっていればいいなと思った。別にそれは家具が揃うことでも、お金に余裕が生まれることでもなく、心の充足とこの街を楽しむ余裕の話である。