2100年の生活学 by JUN IWASAKI

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2024.4.17

英文の校正をしてもらったのだが、細かい部分の修正がとても多い。ぼくが英語が十分にできるわけではないことと、ぼく自身が持つ音やリズムなどの言語感覚と語彙力とで文章を書いているので、まあ当たり前。単純にルールを知らない部分もある。理解が難しい部分があると言われた箇所もあった。そもそも言葉の持つ意味がどのくらい曖昧なのか、意味がどのくらい正確なのか、ぼくにも正直わからないけれど、音やリズムが人に何かを伝えないのだとしたら人類の進化を否定しているということにもなるだろう。音やリズムが言語となり、言語による社会が発展してきたが、その中でも人々は音やリズムに憧れるように歌を歌う。情報としての言葉ではなく、もっと人々にとってエッセンシャルな価値のある言葉を使いたい。写真集や作品集作りにおいてもそうだ、ぼくは情報としての本よりも、本自体が言葉以上を語る写真集を作りたいと思っている。もっと簡単にいえば、ハウトゥ本よりも小説からしか学べないもものがあるということだ。そんなことを考えながら、自分の英文校正について細かく考えていると頭がいっぱいになり昼寝してしまう。最近、あまりにも家を出ていないので、モヤモヤとする感情が溜まってきた。家で音楽を聴きながら踊って少し発散。誰にも家を出てはいけないとは言われていない。

2024.4.16

朝と夕方にミーティングが2件あって、やはり1日に2つもミーティングを入れると仕事にならない。自分の集中力の問題。少しずつ学ぶしかない、ぼくは人より効率も悪いし、自分の行動や考えに納得するのに時間がかかるので、本当に自分自身も周りにいる人たちもすっきりしないのだが、ぼくはどうしろというのだろうか。もう35年もこうやって生きてきてしまったのだ。

2024.4.15

結婚記念日なので、夕方の陽を借りてドラマティックな表情を見せるBowieでドリンク。高級レストランに行くことも、ホテルのバーに行くようなこともしなかったけれど、時間ばかりある日々の中で一緒に過ごせているのは素晴らしいことなのではないか。多くのカップルや夫婦が一緒の時間を過ごすことができない生活をしたり、それを好んだりしているわけだから。
時間ばかりある日々を過ごしていると、何もしなくてもカレンダーや時計は進み続けるし、違うようだが同じように流れていくような日々の中で、繰り返され続ける日々にぼくたちはせかされ、追われたり追いかけたりしているように感じる。そんな日々の中で、朝起きる時間を決めて、仕事する時間を決めて、できるだけ自分のリズムを作ろうと思っているのだが、世界で起きる心が締め付けられるようなニュース、日常に起きた些細な揉め事に惑わされたりもして、そのリズムもまた狂ってくる。時に日本人が世界大会で優勝したみたいなニュースに希望を抱いたりもする。遠慮会釈なくぼくの中にもカレンダーの時間も染み込んでくる。そんなものにとらわれず、自分の人生の歩みを基準に計りながら、時々こんな風に記念日を目印にして、ものごとを考えていく方がずっとはるかに広い心で歩いていけるような気がするのだ。

2024.4.13

天気がいいので、ランチを済ませ、Scheveningse Bosjesへステラを連れていく。公園の中を歩き、デン・ハーグのまた違う側面を見た後、Scheveningse Bosjesの入り口にあるカフェのテラスで一服していると、アヤさんから「夕方、ビーチへ行きませんか?」と連絡があった。ここのカフェは、元々カプチーノが2.5ユーロだったので犬を散歩する人たちのオアシスとして名を馳せていたのだが、値上がりして3ユーロになっていた。それでも街のコーヒーに比べると安いが、これが2.5ユーロのカプチーノと言われれば、やはりまだ2.5ユーロのカプチーノなのである。もう少しコーヒーが美味しければ、このカフェで一日中時間を過ごせそうな場所である。まあ、あくまでコーヒーが美味しくて安ければ、ということなのだが。自転車でビーチへ行き、あやさんと合流し、4月中旬の土曜日18時と呼ぶのにまだ慣れないような空気の温度と光のなかを強風を浴びながら歩く。砂に腰を下ろし、いくつかのくだらない話と近況のアップデート。夕日を背中に浴びながら帰宅。帰り道、潮風を浴びるとだいたいチップスでも食べて帰ろうという話になるのだが、この街、特にぼくらがいるエリアは19時半にはもうどこも閉まっている。仕方ないので、スーパーマーケットでポテトチップスと、ハムと安いバゲットを買う。家に帰り、半分にスライスしたバゲットをトーストし、片面にマスタード、もう片面にバターを塗った。トマトとレタスとハムのサンドウィッチとポテトチップスを食べた。時々、大衆スーパーでパンを買って食べたくなる、それはぼくがニュージーランドでFlotsam and Jetsamというアンティークショップで週末だけ働いていた時に100kgを超えるような巨漢のオーナーのキャメロンが作ってくれたサンドウィッチを懐かしく思うからなのだ。
Flotsam and Jetsamで働いていると、昼過ぎになると、食材リストが渡され、近くのスーパーマーケットに買い物に行った。袋に入ったキャベツ、ポーチされたチキン、パン、ハーブ、そのほかにその都度必要なものがリストに追加された。初めて買いに行った時、ぼくは躊躇していた、なんせオーガニックや優良食材店がこれだけ普及している街でなぜスーパーマーケットで買い物をしないといけないのかわからなかったからだ。しかし、それを一つの生活の風景として描かれていることを捉えるのには時間はかからなかった。キャメロンは、元々自分のレストランを持ったシェフであった。その名残でアンティークショップのレジの裏にエスプレッソマシンのあるキッチンを持っていたので、食材を買って帰ると、ぼくがレジに立ち、彼がそのキッチンに行ってサンドウィッチを作ってくれた。パンは片面にバター、もう片面にマスタードを塗られ、キャベツもポーチされたチキンも、冷蔵庫からマヨソースのようなものやオリーブオイルや塩、ペッパーなどその時々によって味を変えながら袋の中で和えた。サンドウィッチの基本は、全てにきちんと味をつけること、バターが塗られるのは下にくる片面のみで、それは水分がパンに染み込まないように、とか面倒なことを言う人間ではなく、言わなかった。食事に対する熱量なども語ることもなかった。控えめで何か突出したものに頼るわけではなく形状や味、それを食べる場所や時間など、全体的感をうまく掴んだバランスの良いサンドウィッチだった。それは、まさに今のリバプールの中盤のように世界一のエースはいないが個々のキャラクターが個々のキャラクターとして適材適所で生かされるだけで特徴と深みさえある空間を作り出すようなものだ。アンティークショップの奥で食べるその控えめながら造形美に優れたサンドウィッチに、キャメロンという人間のこれまでの人生や生き方が垣間見えた。ぼくは、ニュージーランドに行く前にはパリに住んでいてRose Bakeryで働いていた。そのおかげでサンドウィッチを作るのには、片面にバター、もう片面にマスタードを塗る光景をあたりまえのように見てきていた。それがイギリス人の作るサンドウィッチの基本なのかどうかは誰からも聞いたこともないが、少なくともキャメロンはどんな食材も基本さえ忠実であれば美味しくなるのだとその大柄な体型で飄々とそれを体現していた。キャメロンが作るサンドウィッチがぼくの週末の味となっていたことは間違いない。ぼくのサンドウィッチ史の中ではこれからも記憶に残り続けるのだろう、そして時々こうやって大衆スーパーマーケットで食材を買って憧れるようにサンドウィッチを作りたくなるのだろう。

2024.4.12

午前中は、執筆。ランチに、サラダを食べる。また青空が広がる快晴なので、ビーチに向かう。今日はいつも以上に風が強いので、ビーチに腰を下ろして、本を読むなんてことはできない。歩いていても風の「ザーザー」という音が耳の中で鳴り続ける。それでもステラは楽しそうだし、ぼくたちを含む人々は自然と一体化していくような感覚を得ながらビーチを歩いていたのではないだろうか。自然界に存在する音と圧を感じながら歩くことは、一種のメディテーションのような感覚さえ覚える。
帰り、アイスクリームを食べる。Albert Heijnで全ての買い物を済ませそうな50代女性と隣り合った。「彼女にはアイスクリームは食べないの?」とステラを指差すようにして聞かれたので「多分食べないですね(Maybe,she doesn’t)」と言うと、「私の犬の先生からは、飼い主が何か食べるときは同じように食べさせてあげないといけないと言われているの」「リンに、ビスケットをもらってあげようか」と言ってきたが、「まあ、多分、大丈夫です」と言った。ぼくがあまりにもはっきりと答えないからか、聖子ちゃんが「初めてのオランダの夏だから色々実験しないといけないんです、スナックがあるので」何かを遮るように言ったが、その女性は、「引っ越してきたばかりなの?」と話を続けた。ぼくは「そうです、まだ日本から来て2ヶ月で、ぼくたちも彼女もデン・ハーグを知らないんです、新しい土地では色々気になってしまって、今もビーチに行ってきました」と嗅ぎ回すステラをリードで抑えるようにしながら返事をした。「長く滞在するの?」「多分(Maybe)、1年か2年くらいかな、、、」というと、「日本人にとっての多分(Maybe)はNoに近い意味でしょ、アイスもMaybeだったし」「日本人は、Noと言わないことを知ってるわ、オランダは残念ながらYesかNoしかないストレートな国民性よ」と。話している途中に、アイスクリームを食べ終えた3人の青年たちが何も言わずに店を出ていった。「あれがオランダ人、挨拶も何もない。日本人だったら店員にありがとうの一言くらいいうでしょう?」と残念そうな顔を浮かべながら話した。話すのに夢中になり、彼女のブラウスにアイスクリームが溶けて落ち始めている。それでもなお「今、テレビドラマShogunを見ているわ、あの日本語の言葉の響きや日本人が精神性はとてもエレガントね」と興奮したように話を続けた。「徳川将軍の時代から続く日本とオランダの歴史のことも学校で学んだし、『イキガイ』の精神性も、ヴァン・ゴッホがヒロシゲやホクサイの絵を気が狂ったように収集していたことも美しい歴史を持つ国のことをリスペクトしているわ」「私の好きな作家はミシマよ、彼の裸で腰に布を巻いたポスターをキッチンに貼っているの。彼は切腹して死んだわね」と矢継ぎ早に話してくれた。「戦争ではあまりいいことはしなかったけれど、それでも歴史や精神性の美しさは認められるべきだと私は思うわ」ふとぼくはにこやかな会話の中に、彼女が常に日本に抱いている払拭されることのないサッドネスが存在したことを思い知らされた。日本人が世界で良い印象を受けているだけではないということに一言で気付かされる。同世代のグローバル化する社会で生きているだけでは気付かないような、ある世代が持つ何かに対する印象を垣間見た。やはり、第二次世界大戦では日本という国は世界的にもネガティブなイメージが持たれている。終戦から80年が経とうとしている今でもなお、その歴史は消えることはなく、人々の感覚の中にその菌を宿しているのだ。ぼくたちは、いや少なくともぼくが第二次世界大戦を考えるとき、恥ずかしながら原爆が落とされた唯一の国として、戦争の被害国と思っている傾向にあるが、実際は世界的にはそんな印象はそれほどなく、ドイツと手を組んでいた世界を侵略する国という認識を持たれているのだろう。敗戦という言葉に違和感を抱えながら、これまで生きているのだが、やはり敗戦ではないのだと改めて感じさせられるようだった。戦争はある側面から見ると、被害者でも加害者でもあり、何も生み出さない。本当に世界から戦争がなくなって欲しいと強く思っている。ものの見方というものは本当に違う、同じものを見ていたとしてもそれが全く違う捉え方をされている可能性もあるし、歴史や伝承によってまた違う世界の見方が生まれる。それを否定する必要はないし、肯定し物事のユニークさとして世界の多様性や、人間の好奇心の源泉として大切に愛でる。歴史を美化するわけではない、しかし先人が残した全世界への悲しみを少しでも取り払い、新世代を生きる人たちに尻拭いをさせるような社会にはしたくないと思うのだ。「明日は今日よりも、天気がいいらしいわ」「でもデン・ハーグの天気予報当たらないですよね?風も強いし」「そうオランダのカミカゼよ」と笑いながら話していた。笑えない人もいるだろう、しかしぼくは受け入れあった親友との会話のようにこんな言葉でも笑い合っていたいと思うのだ。

2024.4.11

同じような日々の繰り返しで、思考ばかりが巡り続けているような気がするが、そんな中でも何か生産性のあるものを少しずつでも積み上げていくことができるはずだと信じている。同じような日々の繰り返しが人の成長にどう影響するのだろうか。自分の人生を使った実験をしていると思うと全ての出来事が笑い話のように感じられるし、ぼくが立ちはだかっている壁というものは大して大きいわけではなく、四方八方が塞がれているわけではないことに気付く。そもそもぼくの場合には、目の前に壁などは存在せず、壁があると思い込んでいるだけであって頭をその壁にぶつけることすらしていないのだ。走って壁に激突して、その壁を実感するのであって、ぼくの場合は壁を目視しているだけか、もしくは壁があるような錯覚に陥っているだけなのかもしれない。実際、目の前にある壁(もしくはあるように感じている壁)は、触ってみると
ただの紙切れに鉄の印刷が施されただけのペラペラのものかもしれないし、砂のように脆いかもしれない。触ろうともしていないのが今のぼくなのではないかと感じてしまう。頭から突っ込みぶつかってこそ、その壁の価値を感じ取れるのであって、今のような状況では壁を語ることすら不毛なのだ。壁があるから、自分の行動を認識することができるし、壁があるから絵を描き、自分の世界を広げることもできる。
Foam写真美術館のプレスマネージャのオタリーと電話で少し話す。その後、気分転換にPompernikkelへ行く。聖子ちゃんもぼくもカプチーノを注文する。平日の午後のPompernikkelは午前中や週末の慌ただしいものと違いかなり穏やかな時間を纏っている。穏やかさとは、忙しさの後に突然やってくるものなのか、それともこの世の中に元々存在するものなのだろうかとこういう時間を過ごしていると考えるようになる。例えばよく似た言葉で静けさというものもあるが、静けさはこの世の中に元々存在するのだろうか。静けさは「嵐の前の静けさ」という言葉があるように、息を止めるような緊張感を伴うものであるが、穏やかさは人間の安らぎとか、息遣いすらを感じる。穏やかさとは疲労や運動、温かさというものを必要とするということでもある。温かさは地球上に存在するので、この地球に動物が存在する限りは、穏やかさは存在する。穏やかさを感じるのは自分自身なので、たとえ彼女や犬の表情や佇まいが穏やかさを持っていたとしても、それを感じるのは、ぼく個人であり、自分がいないことには穏やかな世界というものも存在しないのではないだろうか。ぼくがいなくても彼女と犬の間に穏やかな世界は続くだろうか。
夜、卵チャーハンを食べて、ソフィア・コッポラ監督『Priscilla』を鑑賞。何かを期待するように見ていたせいで拍子抜けしてしまった。

2024.4.10

市役所に行き、住民手続き。二重構造になっており、実のところビザが降りていない状態でも日本人であれば住民登録ができるというのだ。一つずつ手続きを済ませていかないいけないと思っていたが、決してそうではないようで自分のこれまでの生産性のない日々が全く無駄だったということに気付かされる。そんな風にネガティブに考えていても仕方なく、気付きがあり、少しでも前に向かって進んだというのはとてもいいことのように思える。どんなことがあっても、どれだけ苦労をしても前進するということはとても素晴らしいことなのではないだろうか。前がどっちだということは置いておいて。
自転車を漕ぎながら青空を見ているとやはり海の近くに住んでいるという気になる。メルボルンやオークランドに住んでいる時にもそうだったが、海が近いというのは、
「家の鍵を忘れたから1時間後くらいに家に帰るから開けて欲しい」とメッセージがあり、しかしこの家の構造は玄関の先にさらに個人宅の鍵があるので、どういうことだろうかと不思議に思っていた。玄関の鍵を忘れたのか、それともうちでティムの帰りを待つつもりなのか、しかしオランダ人が22時過ぎまで仕事をするとは思えないし、などと色々と考えながら、とにかく家で待つことになったとしても、今まだディナーの後片付けが終わっていなかったので、キッチンを急いで片付けた。チャイムが鳴る、やはり鍵はないようで、不思議な表情を見せそうになると、ぼくらのキッチンドロワーに彼女の家の鍵もあるというのである、納得。全く気づいていなかった。久しぶりにオーナーのリーズベスと話す。
今読んでいる安部公房『壁』の序文として、作家石川淳が、壁があればぶち当たるのではなく曲がればいいというのをドストエフスキーが発見し、安部公房はその壁にチョークで絵を描くことを発見したと書いていた。そもそも壁というのは位置を固定し精神の死を表すものとして存在したが、ドストエフスキーが提示したように、人々がぶち当たることをやめ壁を前にして曲がるということは、壁は人間の運動を示唆するものとして存在しているということになる。しかし、いつか四方八方が壁に囲まれどうしようもなくなることがある。そこで安部公房が壁に絵を描くということを発見した、絵を描くということは人間の精神の運動に表現を与えているということで、壁があるから絵を描くことが出来、壁は動きを制限するものから、人間の生活が始まることを示唆するものへと変化するというのである。壁があるから物事が生まれるのだなと思うと、ぼくが今立ちはだかっている壁もぼく自身が何かを生見出すために必須なのではないかと思えてくるのである。人間とはいつの時代でも壁が立ちはだかり、その壁に対していかに立ち向かうかということを考えてきたのだ。ぼくの人生にも先人たちに漏れず、同じように壁が立ちはだかっている。