2100年の生活学 by JUN IWASAKI

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2026.7.3

朝早くに海のある田舎町に到着。パリから帰って、一日中疲弊していた。2年前にこの海のある田舎町に引っ越して以来、この夏は最も季節の移ろいを感じ、見たことがないほど嘘みたいな晴れが続いている。暑いといいながらも、それがとても心地よいし、家にある5つの窓を全て開けっぱなしでいられることの喜びを感じている。やはり扉が開かれているというのはいい。扉が開かれた作品を作りたいし、そんなメンタリティーで生きていたい。暑い暑いとみんな文句を言っているし、暑いことを想定されずに何百年前に作られた土地に住む人々は、文句ではなく忍耐を覚えなければいけない。暑いならどうするか、人間が主体すぎる社会においては文句が増えるのではないかと思えてならない。冬にあれだけ分厚い雲間から漏れるような弱々しい太陽を求めてブランケットとダウンを着て太陽を浴びようとするのだから、実際には天気がいいのだから誰も文句は言えない。シモーネ・ヴェイユ『An Anthology』を読み進める。


2026.7.2

 朝、FedericoとAmbraと家の近くの57 grains Coffee Shopでコーヒー。帰りFedericoの家に少し立ち寄る。P1でクロワッサン、Epi_Epicerieで野菜とフルーツを家で仕事を続けるDonimikaに買って帰る。朝から晩まで家から出ずに働いているので、働きすぎて心が病まないか心配である。犬でもいればまた違う生活になるのだろう。BrunoとChez Nenesseでランチ。作品について少し話す。今日はフレンチフライの日らしく、前菜にエビとアボカドのサラダ、メインにステーキとフレンチフライを食べる。
その後、マルセル・デュシャンが住んでいた11 Rue Larreyへ。このところぼくはずっと開いた扉について考えていて、リサーチの過程で知ったマルセル・デュシャンが作った扉の作品11 Rue Larreyからかなり影響を受けているので、実際にそれがあった場所に来たいと思ったのだ。閉じられた扉とは、道を塞ぐものであり、開かれた扉とは道になる。そして、少し開かれた扉からは光が漏れ、未来への希望を示唆する。ざっくりと言えばぼくはそんなテーマで作品を作ろうと思っているのだが、まあうまく形にならない。フランス語の諺に、Il faut qu'une porte soit ouverte ou fermée(扉は開いているか閉まっているかどちらかでないといけない)というものがある。要は、白黒はっきりしましょうというものだと思うが、マルセル・デュシャンが制作した11 Rue Larreyの扉の作品は、一つの扉が二つの部屋の間に接続されており、一つが開けば一つが閉じる、一つが閉じれば一つが開くというような構造になっており、諺とは裏腹にも単純明快な解決策を否定していると言われている。またある人は常に開いているし常に閉じている、両義性を表現しているとも言っている。実際にマルセル・デュシャンは女性ローズ・セラヴィとしてマン・レイの作品にも登場している。それはぼくの作品からは少し離れたテーマであるが、自分の、作品を考える上で同じように扉というものが含む観念を理解しようとしているのである。そういう点において、実際に家に行けないとしても目の前まで来てその場所を知ることはとても小さいながらに大切にしたいと思うことなのである。19時ごろ、夏帆ちゃんと合流しZander GalerieMolly Springfieldのオープニングへ。その後、またPetit Lippへ。夜行バスでオランダに帰る。毎回思うが、夜行バスに乗ると自分を試されているような気持ちになるし、感情的な気持ちを抱えたまま最初の一時間くらいを過ごすことになる。そして、いつものことだがいつの間にか寝ている。途中で目を覚ます頃には、すでに窓の外はうっすらと青くなっている。

2026.7.1

 朝、Dominikaの家の近くのGamine Bakeshopにクロワッサンとパンオショコラを買いに行く。その後、自転車でFondation Cartinerへ『Exposition Générale』展。11時から15時くらいまで、途中であまり魅力的でないミュージアムカフェでお茶を飲んで、結局合計4時間も過ごしていた。すでに偉大な作品を持った美術館が新しく作品を購入し保管するということは、同時に所蔵作品を保管する場所も増えるということだろう。そして、各キュレーションは壮大になり展覧会で展示される作品数も増えるということは、同時に展示規模も大きくなる。
時代を生きるぼくたちの多くは、忍耐力と集中力を失い始めていて、スポーツ、特に野球やフットボールに見られるように時間短縮や、観客の集中をどう維持するかを考えた上でピッチクロックやハイドレーションブレイクなどがルールに適用され、野球もフットボールも形を変え始めている。ルールが変わればチーム戦術も選手のスタイルも変化する。我々鑑賞者が、忍耐力と集中力を失うと、それに合わせた作品や展示に変わるだろう。複雑で難解なキュレーションを見て圧倒されるようなことはなくなり、いつしか一点ずつに強度があったり、物質的に圧倒的であったり、その関係性などを不要とするような作品展ばかりになるのではないか。それが、近年企画展が減り、一人のアーティストの大きな個展が目立つ理由かもしれないと思っている。もしくは、展示される機会を失い保管されてる作品が増えるだけである。たくさんの作品を所蔵するには、そしてコンプレックスな展示を成功させるには、鑑賞者の忍耐力と集中力を必要とする時代がきた。瞑想が美術館を救う。もし作家として、自身の作品を美術館に所蔵されたいのであれば、自分がまず忍耐力を持つ必要があるし、複雑なキュレーションを読み解く楽しさを持つ必要がある。複雑で難解なキュレーションを楽しむ人が減れば所蔵される作品も、そして展覧会も痩せ細っていきはしないだろうか。そういう点においても、Exposition Généraleは見応えのある良い企画展だったし、彼らの態度を感じるようでぼくはある種の安堵を覚えた。『Exposition Générale』という名称は、1855年の第1回パリ万国博覧会のために建てられたオスマン様式の建物、現在カルティエ財団が入居している、19世紀後半からグラン・マガザン・デュ・ルーブル百貨店が主催してきた博覧会に由来するのだそうだ。この建物は、歴史を通じて展示スペースとして絶えず姿を変え、その変遷とそれに伴う空間構成の間に深い連続性を示している。歴史の上に成り立つモダニズムにぼくはいつだって強く共鳴するが、この展示は、パリでしか成立しないという点においてもすごく魅力的だった。そんな風に色々と思いを馳せていると気付けば4時間が経過していたのだ。
近くのLe Petit Cafeで遅めのランチをしようと向かうが人で溢れていたので諦める。Librairie Galignani、Galerie Crèvecœur、に立ち寄り、Petit LIPPでかなり遅めのランチ、もしくはとても早いディナー。サーモンとラタトゥイユを食べる。DSM Parisで渡邉さんに会う。夜は、Librairie Yvon LambertTeaのブックローンチへ。メールで何度か連絡していたSaskiaと会う。Bar MartinTeaDavid Anti Public Libraryで働くMariyaらとドリンク。Dominikaの仕事が忙しいのか、連絡がつかず、家に入れないので、家の近くのバーガー屋でバーガーを食べて、ベルギーvsセネガルを観戦。バーガー一つとっても、ブリオッシュの風味も、ブリオッシュのカリカリも、バターの香りも、なんでもない街のバーガー屋なのに、とても美味しい。日常に見ているものや食べているものがいかに人の質を担保するのかを改めて実感。パリ18区はアフリカ系の人種が多いからか、帰り道もすでにセネガルを応援するだろうファンたちで道が溢れていたし、Dominikaの家の近くのパブも、白人たちが多いので、ベルギーファンかと思いきやみんなセネガルを応援していて、この土地でアフリカ系の人たちがきちんと生活してきた証を感じたような気がして、何故か妙に誇らしくなった。

2026.6.30

 パリへ。ユーロスターが欠便遅延を重ねに重ね、満員電車に揺られアムステルダムまで行き、アムステルダムから電車に乗り込むも、かなり遠回りをして3時間で行けるところを、5時間以上かけてパリに到着。近くのパブでフランスvsスウェーデンを観戦。ほとんど全てのお店のテレビで上映されているので、わざわざどこかに足を運ぶ必要もない。フットボールの強国とは、こういうことだと思った。勝利やゴールに関してはお祭り騒ぎだが、観戦する行為自体がお祭りではない。Dominikaの家に泊まる。以前住んでいたのと同じアパートだが、上の階にある広い部屋に越しており、彼女の人生の変化を感じられて羨ましくなった。しかし、そんな想いに耽るのも束の間、「仕事が溜まり過ぎているので続きをしないといけない、申し訳ない」と言いながら彼女は仕事場に戻って行った。


2026.6.29

マイク・リーへのフラストレーション以降、ぼくが発見したのは、やはり自分の言葉を、自分自身の身体から出る自分の言葉を語る以外には、誠実な態度というものは表現できないのではないだろうかということだ。たとえ、どれだけ想像力を駆使しても、どれだけ聞き込みをしても、身体的、精神的な疲労、葛藤や苦悩に対峙していない人間にはそれを語ることがとても難しいのではないかと思う。しかし、同じ体験をしていない人間にも「ともに立つ」ことはできるだろう。
しかし、一方で最終的にシモーネ・ヴェイユのようになってしまったら、誰がその言葉を持つことができるのだろうか。シモーネ・ヴェイユの言葉は鋭すぎるが故に自己に向き過ぎていたのではないか。ぼくも持つ言葉は違えど同じ道を歩みつつある。

2026.6.28

自分しか知らない罪の意識は表情にも風貌にも行動にも現れる。
自分の生活のために飼っていた犬をなくなく見捨てて、自分の生活の向上を選んだ友人を知っている。それは、ぼくには到底理解できない行為だった。彼女のことはとても好きだったが、それ以来彼女の自分を世界の中心に据えて世界を形作る思考にうんざりすることもある。そのほかにも臭いものに蓋をしたり、なかったものとしたりしながら生きている人も知っている。それはメンタリティの話ではない。臭いものを臭いものとして、その臭ささえをも神が与えた自分の人生への試練だと真正面から受け止め苦難を乗り越えようとする友人も知っている。全てを受け入れてなすがままにするのが正しいのか、もしくは自分の意思で色々なものを簡単に捨てたりしながら自分の意思を貫くのが正しいのか、ほかにも無限の選択肢があるが、どれが正しいのか正直わからないが、ぼくは臭いものも大変な苦難も全てを諦めることなくなすがままを自分なりに正面から対峙し受け入れることで、そこに希望の光が差し込むことを信じながら自分なりに乗り越える解決策を模索するような道を選びたいと思う。他人からすると自分から入り込んだ真っ暗なトンネルだとか思われるかもしれない。そこにはそのトンネルを捨てて違う道をいく方法もあった、と言われるだろう。それでもぼくはそのトンネルが目の前にあるのであれば、それがぼくの人生に降りかかってきたのであればそれを受け入れ、出口があることを信じ、自分の力で苦難を受け入れていきたいと思っている。とにかく何が言いたいかというと、オランダに引っ越して以降、自分がうまくいくだけの人生をヨーロッパの人もしくはこのオランダという移民の多い国に住む人は選択しすぎではないかと思えてならないし、ぼくはそこに未来があるとは到底思えないのだ。簡単に排除することを覚えるべきではないのではないか。排除することを覚えると、明日にはあなた自身も排除されるだろう。ぼくは全ての人の受け皿になれるような人間ではない、しかし自分が選択した困難や思いがけず降りかかる受難を自分の世界に現れた異物だとは思わず、それをも自分の人生の中で耐え抜くべき試練として受け入れたい。世界のことはわからないが、飄々した姿で勇敢な精神を持ってぼくは自分自身のことをよく知りたいと思う。

2026.6.27

 人と同じようなことをしている人や人が撮ったものを同じようにそのまま撮っている人のおすすめを信頼できない。その人のおすすめは風情に欠け、ユーモアの抱える負の部分を無意識にそしてはっきりと排除している。
そうしたい人はそうすればいいし、それを評価する人も必要とする人もいることも理解するし、その人たちを否定もしない。ただ、ぼくはそんな彼らを信頼はしないだろうし、もし信頼している人がそのようなものを作り始めたりしたらその人に疑いの目をむけ軽蔑してしまうかもしれない。あなたが本当に持っていたはずの自由で無邪気で勇敢な心を手放してしまったのかと、軽蔑してしまうかもしれない。