VOICE by JUN IWASAKI

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2022.10.31

かなり久しぶりに何も仕事のない日。昼過ぎまでゆっくりと家で過ごし、午後は聖子ちゃんとStellaを連れて多摩川河川敷へ。
夜は、Yvon LambertのBrunoとマイさんと中目黒のことことへ。少し前に一瞬銀座で偶然会っただけで、彼らが招待されていたブックフェアにも参加できていなかったし、なかなかぼくたちも世の中の状況を追うようなことができずにいたので、パリから突然ここで再開できたような、自分たちがどこへいるのかわからないような気分になった。素晴らしい二人と良い夜を過ごした。普段から自分の近くにいる人たちだけではなく、世界中に本当に気の許せるというか気を許したくなるような、心を委ねられるような人がいることをとても幸せに感じられるような夜。そんなことが実感できるような時間だった。

2022.10.30

 日曜日。ものすごく天気がいい。さらに、昨日の余韻で仕事が気持ち良いなと感じられる。この感覚をみんなは達成感というのだろうか。むしろ天気がいいのも自分の気持ちが良いから、そう感じているだけなのではないか。文章はあまり書けそうにない日。

2022.10.29

朝5時45分起床。6時に出社。ホテルが会社に近いとすごく楽だなと思った。もし毎日歩いて出社できたなら、人生の多くの問題は解消されそうである。
DSMG 10周年イベント。多くのイベントが問題なく遂行されている姿を見ると、なかなか忙しく息が詰まるような日々だったけれど、やってよかったんじゃないかと思える。特に、個人的にはTOO MUCH Magazineの辻村さんたちとこうやって毎日連絡を取り合い一緒に仕事をするのも今日でひと段落になるのかと思うとなんだか寂しい気持ちになってしまった。涙は出ないまでも、こうやって毎日ああでもないと雑談ばかりを繰り返し、カフェに呼ばれたと思うと特に何も話がなかったり、忙しい時に連絡がつかなかったり、ここ数ヶ月ずっとこの日のために仕込んできたのだから、それが大なり小なり、一つのことを作り上げることができるというのは達成感がある。それに、自分の昔から好きな雑誌のローンチに携われるというのは言葉にはできないほどの充足感もある。同時に自分主催イベントではないという気持ちも少し芽生えてしまっているのも事実。この全体で起きている出来事が全て自分主催イベントだったらどのくらいの充実感なのだろうか。この先数ヶ月は動くことができないかもしれない。
DSMチーム+参加者たちでのアフターパーティ後、Aux Baccanalesで聖子ちゃん、buikのカナさん、YAECAのまいちゃん、つのぴー、つのぴーの彼女のかなちゃん、ちゃっぴーと合流。こういう人との集まり方を海外の頃はよくしていたよなと思い出すようだった。オープニング行って、色んな人に会って、友達たちと食事に行って、そこで偶然知り合いがいて、一緒に食事したり、知人たちを紹介し合ったり。

2022.10.28

明日の準備と仕事が終わらないので、会社の先輩渡邊さんと東銀座のホテルへ泊まる。
結局、ホテルについたのが日を跨いで12時45分ごろだった。そこから、なんやかんや仕事をして時計を見ると2時半。あっという間にすごい時間なっていた。夕飯も食べていなかったので、お腹すいたなと思っていると、渡邉さんがコンビニで買ったおにぎりと味噌汁があると。コンビニのおにぎりなんて高校生以来食べてなかったが、仕事が忙しすぎるのとなんだかハイになっていたのもあるのか、1時半ごろおにぎりと味噌汁を食べた。なんだか温かいものを飲むだけで一気に身体の疲れが取れるような感じもあった。まやかしか。
翌朝、朝6時に会社に行かないといけなかったので、545分起床。渡邉さん曰く、「ジュンくん、1秒で寝てたよ」と。

2022.9.19

大江健三郎『ピンチランナー調書』を読み始める。
聖子ちゃんが何もなかったかのように予定通り帰宅。「少しはゆっくりできた?」と一言言われたが、声を失うとはこういう感覚なんだなと思ったし、同時に、聖子ちゃんの照れ屋の一面を垣間見たようで、いつも通りの聖子ちゃんで安心。
昼食を一緒に食べる。
昔のようには戻れない。もちろん、過去の栄光にすがり、あの頃思い描いていたものに向かっていくこともできない。それは、大きくも小さくも誰一人として昔のようには戻れない、いや戻るべきではないのだ。今という時は平然と存在し、未来へ向かって歩むしか道を与えてはくれない。過去の、あの頃のよかったもの(それは良かったと思えているもの)に尾を引かれながら、それでも新しい希望をつくること、そして現状を変革することができるのが人間なのである。もし機械であればそれ自身で過去の華やかな栄光を捨て、過去に決めた目標も捨て、新たに未来を決めてそれに根拠もなく希望を感じ、現状を変革することができないのである。人間はそれができる、過去に見ていたあの素敵な未来と今が決して違ったとしても、その今ある時を受け入れ、そしてそれを明るい希望を持って耐え凌ぎ、未来への歩を進める。少なくともそれが人から見て辛そうでも、自分自身が困難に感じても、実際にとても大変でもぼくはその絶望的な気分の中でも一筋の輝く光を見つけ出し、それに希望を感じ、進んでいくのである。ぼくは、とてもポジティブである、絶望を感じながらもそれを放棄しない。必ずニューフロンティアとでもいうべき場所へ行きつく。その過程がどれだけ困難であろうとも放棄せず、どれだけ辛くとも逃げるように決断せず、それがどれだけ自分にとって不幸だと他人が言おうとも、自分はそこに希望を見出し、その過程を進むこと、プロセスにある種の光のような、温かみを感じることを喜びとしたいのである。

2022.9.18

日曜日。黙々と新作の制作。19時、ケンケンにStellaを迎えにいく。数日間お泊まりをしてくれていたので、なんだか静かに過ごすことはできたが、とても寂しかった。Stellaといると、日々の限られた時間の中でタスクが増えて大変だなと日々思うけれど、大変だというのはいいことなんだよなとこの数日の無音に似た時間の流れで実感。久しぶりに会ったStellaはおどおどと挙動不審にしながらも、ぼくの存在をはっきりと明確に認識している。綺麗好きで慎重な控えめな女の子。
夜は、豆腐となめこの味噌汁、漬物、水餃子、納豆、ひよこ豆と玄米。
食後、ブレントフォードvsアーセナルを観戦。アーセナル、昨年と比べて異常に強い。一人の新しい選手が空気を変える。優秀な選手を取ったチームを見て、他の選手がチームへの信頼を回復する。グローバルなチームである以上、一人のコミュニケーションを取れる人間がいることで、コネクターになり、その選手の本来の姿を見せることができる。例えば、英語の話せないブラジル人が、英語の話せるブラジル人の加入により、これまで言語の壁で閉じこもっていた殻から出れたとする。そうすると、他の選手たちも言葉が話せないなりに、「ああ、この選手ってこういうキャラなんだ」と認識し、どんどん楽しくなっていく。そういう間に入れる選手というのもサッカーの能力とは別に必ずしも存在する。コミュニケーションというのは能力である、適材適所というものがある。
大江健三郎『日常生活の冒険』読了。聖子ちゃんにまた一人暮らしの男の子の匂いがすると言われないように、キャンドルをつける。が、つけたまま寝てしまっていた。また火事になってしまう、キャンドルはぼくの人生における、何か不思議な単語として存在してしまいそうである。体に力が入ってしまう。

2022.9.17

聖子ちゃんがいない、Stellaもいないので、自分の時間があるかと思うのだが、決してそうではなく、大体において突然できた自分の時間というのは、自分の欲望が溢れすぎて計画がオーバーフロウしてくるのだ。力を入れて勢いをつけて投げられたこまのように、大体うまく回らない。程よい力で力まずに、自然体で投げてみるとすごく上手くいく。ぼくの今日の計画と過ごし方は完全に力を入れて勢いよく投げられたこまのようで、安定せずに失速した。
「気分転換を兼ねて誰かと遊ぶ」とか、「一人で好みのレストランに行く」とかではなく、「自分が今やるべきはやはり制作だ!」と思い、黙々とパソコンに向かう。思いついていたものがやっと進む。大体、制作するときには、自分の日記を読み返していて、今日も自分の日記を読み返していると、今日が2019年にコペンハーゲンに行った日だったようだ。あの時も辛い気持ちだった。あれから長い月日が経った。人生はこんなに苦しいものかと思ったけれど、あれから角度は変わってまた自分自身で首を絞めてしまったようだ。だけれど、悪い出来事を一撃で対処するなんてことはできず、一つずつ解決するしかないのである。みんなスーパーヒーローを求めるようなった。ゴッドハンドを求めるようになった。しかし、実態は、そんな簡単に物事を好転させることなんてできない。
コップに溜まった無色透明の水に一滴の黒いインクを垂らす。その瞬間に、無色透明は黒を帯びる。どんどんとインクを垂らすとどんどんといとも簡単にその水は濁っていく。しかし、一方で、それを無色透明に戻すのはとても大変である。どれだけ水をすくっても無色透明には近づかない。すくって同時に、新しい透明な水をたくさん注ぎ入れるのだ。
もしあなたの人生に黒いインクで濁ってしまった水があるのであれば、すくいながら、新しい綺麗な水をそこに注がなければならない。
制作と作品の発表は、綺麗な水をそこに注ぐことととても感覚は近い。