VOICE by JUN IWASAKI

Translation

2021.3.9

自分の全てがリプロダクトのように感じる。身の回りの全てがリプロダクトのようだ。
洋服も、モノも食べているものも、全てがプリミティブな雰囲気からは遠く離れ、そのもの本来が持つべきだった色が、薄れていく。薄れていくという表現ではなく、何か添加物が混ざっていくというような表現が正しいだろうか。
自分が着ている洋服や人が着ている洋服の色、街中に溢れる広告デザインで使う色、食べている食べ物、すべて魂の抜けたオブジェクトに囲まれて生きているような気がしてならない。

2021.3.6

急に気の流れが変わったような気分である。
朝からプランクポーズをしてみたら、想像以上に目覚めがいい。これは続けるべきかもしれないが、きっとこれは続きそうもない。僕にはトレーニングが向いているとは思えないが、この時代に生きるのには体を鍛えてメンタルも強くしていくのが一番である。

2021.3.5

今日のメモには、「感謝と態度」とあった。

日々の積み重ねが基本的に全てを産む。
自分の名前の入ったTシャツを着ているということは、自己愛ではなく、名前とは何か?という問いでもなく、自分の行為は常に自分の名前の元にあり、人から見られた行為であることの証明でもある。映画『トゥルーマン・ショー』のような世界であるなとつくづく思うわけだけれど、同時にそのくらいの態度と意識がある中で人々が生活している方が楽しくなるのではと思わされるタイミングによく出会う。


2021.2.28

DSM出社。
自分のことに1日8時間時間を費やすことが出来たならどのくらいのことが出来るだろうか。
今のぼくにはリサーチが圧倒的に足りない。リサーチが仕事の中にないぼくのこれまでの仕事の仕方から少しずつ変化させていかなければいけないと実感している。
今日はテキストを書く頭が動いていないのでこれ以上書くことができない。
お昼はしゃぶしゃぶを食べる。

2021.2.27

一日京都市内で過ごす。
坂田さんのところへ行き、久しぶりに挨拶。
進々堂でコーヒーを飲む。久しぶりに来たが、奇天烈なほどの厳しいルールにうんざりする。
午後は、ケンくんにTo Find The Right Chairの物撮りを依頼する。彼に頼んでよかった。
人と作品を作るのがどのくらい辛いかということと、人と一緒に何か形を作っていくことがどのくらい興奮することか、人を巻き込んで一つのことを行うのがどのくらい楽しいかを感じている。
京都から東京に戻る新幹線の2時間くらい、ずっとどのようにこの生まれたて写真集を進めるかを箇条書きにしたり考えていたら、あっという間に時間が過ぎていた。生まれたての写真集にもっともっと羽ばたいてもらえるようにぼくたちがサポートしていく。ものは人の力でどこまででも進めるのだ、同時に、ものは人の力でしか動くことが出来ない。

2021.2.26

実家で、森の緑を前に仕事をしているのが一番仕事が捗ると思った。
夜は父親が釣ってきたイカの刺身を食べる。
歳を取るごとに父が雑だなと感じると同時にやはり父が家主であることを感じる。ずっしりとするし、ある種の心の拠り所なのである。重石のような存在。
世の中のいろんなことをネガティヴに捉えながら、文句を言って、人を嫌い生きているように見えるが、同時に子供のようで自由に堂々としている。
フィジーでも酋長と言われる人が存在していたが、家族とかグループ、コミュニティというものにはそんな存在が必要なのである。

2021.2.25

15時、製本所へ行く。ついに本が完成した。正直めちゃくちゃ完成度の高いものが出来上がった。自分が想像していた以上の雰囲気を持ったものが仕上がって自分こそが自分の作るもののファンであるべきだよなと思った。ぼくの頑張りという以上に聖子ちゃんによるものが大きい。わがままを言える関係であることがある意味良い作品を作ることでもあるのだろう。
かなり頑張ってくれたので、本当に感謝している。パーツごとには完成形を見ていたが、実際に本の形になっているものを見るととても良い。現場見学に行くと微調整もできるので助かる。
聖子ちゃんのお母さんとまろの散歩に行く。少しでも久しぶりに会えてよかった。
その後、お祝いに岡崎のDUPREEでディナー。