物騒な時代になった。さらに怖いのは、ある人はこの攻撃による株価の変動について話し、ある人は戦争に発展すると話す。私利私欲が渦巻く社会において、正義とは何か。戦後の日本人、日本の文化人たちは国際社会の中で何をするべきかを考え取り組んできた。多くの議論が行われたし、素晴らしい実践もあった。それは政府単位の大きな行動もあれば、文化的貢献も、一人の文化貢献も、名もなき市井の人間の日常における行いもあった。しかし、教育や知識や物の見解、立場が違えば、道徳も大きく変化する。ぼくは、世界は割と同じようなモラルを持つようになってきたと思っていのだが、そうではないなとオランダに来てからつくづく感じるようになった。大学まで日本で育ち、卒業後に短いながらも幾つかの国での生活をしたが、それでもこの国に根付く考え方がいかに特殊かということについて考えている。それがぼくは否定するものであるかはわからない、ぼくという人間にとって異物ー異なった考えーであるので、動物的には身体に取り込むべきではないのだが、それはぼくという人間における話であって、対象それ自体が否定されるべきではない。
日本人に対してネガティブな感情や歴史がある国でもそれを過去のものと捉える人もいれば、歴史の悲劇を社会や政治、教育、日常に組み込み、無意識下にネガティブなキャンペーンを行い排除するような国もある。デン・ハーグでアイスクリームを食べていたら、隣に座ったおばさんから「日本は戦争で酷いことをした」と言われたことは、その事実があったということ、その側面にも側面にも視点があるということを真摯に受け入れるきっかけとなっただろう。しかし、何もアイスを食べている時に言わなくてもと思ったのも事実であって、80年前の事実を、現代を生きるものとして一つの歴史とし学びにするしかないのだが、インドネシア人は侵略し占領していたオランダ人に対していまだにそんなことは言うだろうかとも口から出さないけれど心のどこかでは思ってしまう。インドネシアに関していえば、日本は彼らの土地を領土としただろうか。物事のこちら側の側面とあちら側の側面と、そして実際に起きたこととには大きな見解の違いも感覚の違いもあるだろうが、ぼくは何にせよ争いにも侵略にも大きく反対である。
ちょっと思い出したら悲しい気持ちになったので、オランダに関してネガティブなことを言うとすると、この国に他の国の持つ美しい文化を正面から理解して受け入れようとしている人がどれだけいるのだろうかと思うし、合理的な思考を持つこの国の人が、最も非合理とも思えるような美意識を持った日本の文化を理解することは出来るのだろうか。決して彼らも合理的でありたいと思ってお腹の中で育ち生まれたわけではないのであるが。それこそが、非常に悲しい事実でもある。