そういえば、The Dylanでお茶をしているときにZoe Kravitzが入ってきてTylorと話していた、奥にHarry Stylesもいた。その日のライブに誘われていたらしいのだが、ビジネスミーティングがあると断っていたのに、偶然同じホテルに泊まっていて驚いたと話していた。映画っぽいといえばそれまでだが、まあ大した嘘ではないが、嘘を見た。ぼくは最後までいろいろ何も分かってなかった。
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2026.5.18
昨日、みんなにCairo Apartmentの本の説明をしていて、単純なことを話しすぎていると思った。張りがないのは自分のせいなのではないか。昨晩、終電が遅延しDen Haag Central駅から歩いて帰る最中に、cairo Apartmentの本とは一体なんなのか、と考えていた。
家で、叔父にもらった一保堂の黒い急須を使っている。いつもそれを使っていると、形状やサイズ、簡易さなど細かい部分にちょうど良さを感じる。お茶屋が作る毎日お茶を飲むための急須である。ニュージーランドの友人Carterが美味しいサワードを作っていた。彼女は、美味しいパンが作れるからそれに合ったオリーブオイルやアボカド、卵、バターなどを自身のお店で売っていた。クロワッサンやバゲットや他のパンを作るわけではないのだが、自分の作れる美味しいパンを食べてもらうために、その美味しいパンを食べるための提案をする。結局のところぼくが本当に憧れる本作り、Cairo Apartmentを通じて行いたい本作りというのは結局のところお茶屋が作る急須やCarterがやっていたWere Brosみたいなものだろう。お茶自体がアーティストの作品で、それをどのように淹れるかは、自由であるし、煮ても、煎じても、別にどんな方法でもその茶葉自体が美味しければそこそこにおいしく飲める。しかし、どのように淹れるかによって味も大きく変わる。Cairo Apartmentはそれである。アーティストの味をぼくたちが思う一番美味しい方法で提案する。
昨日のThe Dylan、今お茶がブームだと言っても洋風のポットでお茶を淹れている。それが決して悪いということではないが、人々が細やかに配慮し研究してきたものが大きく欠落しているように思えた。そして、それらは決して誰かに何を言われることもなく当たり前に社会に存在していくのだろう。本来、お茶であれば、茶葉によって温度が違ったり、そのお茶にあった急須やポットがあり、形状もある。その上に趣味嗜好が積み上げられてくる。それがぼくが本当にCairo Apartmentでやりたい本作りである。
そんなことを、遅延して25時前に到着した終電を降りて家まで歩く40分ほどの間に考えていた。
家で、叔父にもらった一保堂の黒い急須を使っている。いつもそれを使っていると、形状やサイズ、簡易さなど細かい部分にちょうど良さを感じる。お茶屋が作る毎日お茶を飲むための急須である。ニュージーランドの友人Carterが美味しいサワードを作っていた。彼女は、美味しいパンが作れるからそれに合ったオリーブオイルやアボカド、卵、バターなどを自身のお店で売っていた。クロワッサンやバゲットや他のパンを作るわけではないのだが、自分の作れる美味しいパンを食べてもらうために、その美味しいパンを食べるための提案をする。結局のところぼくが本当に憧れる本作り、Cairo Apartmentを通じて行いたい本作りというのは結局のところお茶屋が作る急須やCarterがやっていたWere Brosみたいなものだろう。お茶自体がアーティストの作品で、それをどのように淹れるかは、自由であるし、煮ても、煎じても、別にどんな方法でもその茶葉自体が美味しければそこそこにおいしく飲める。しかし、どのように淹れるかによって味も大きく変わる。Cairo Apartmentはそれである。アーティストの味をぼくたちが思う一番美味しい方法で提案する。
昨日のThe Dylan、今お茶がブームだと言っても洋風のポットでお茶を淹れている。それが決して悪いということではないが、人々が細やかに配慮し研究してきたものが大きく欠落しているように思えた。そして、それらは決して誰かに何を言われることもなく当たり前に社会に存在していくのだろう。本来、お茶であれば、茶葉によって温度が違ったり、そのお茶にあった急須やポットがあり、形状もある。その上に趣味嗜好が積み上げられてくる。それがぼくが本当にCairo Apartmentでやりたい本作りである。
そんなことを、遅延して25時前に到着した終電を降りて家まで歩く40分ほどの間に考えていた。
2026.5.17
昨日かなり疲れていたのか、もしくは単純にベッドに行ったのが遅かったこともあり、朝10時に目が覚めた。ブランチを家で食べて、昼過ぎにアムステルダムに向かった。NYの友人Carlと彼の泊まっているホテルThe Dylanで待ち合わせ。Carlの友人TylorとCarlの弟とドリンク。東京で最後に会ったのが、多分2022年くらいだったと思うので、もう4年も会っていなかったことになる。
「Would you like coffee?」とウェイターに聞かれ、「We are tea people」と返事をしていて、コーヒーを第一に提案してくる形式的な接客へのアンチテーゼのようでかつ流行っているのだろうお茶の文化にどっぷりとハマっているという姿も面白かった。ぼくも午後はコーヒーを外であまり飲む気になれない。水を2本注文し、Carlは玉露、ぼくとTylorは烏龍茶を注文した。弟はミントティを飲んでいた。特段高級なものではないにせよ、その注文のリズムだったり、声のトーンだったりに触れただだけでも注文したいものを何も気にせず注文しているように感じNY生活者の旅先での姿を垣間見た。互いの近況報告とCarlのブランドA LAの雑誌広告を見てそのまま読み込む。Tylorの他社の広告写真に対する批評がとても興味深かったし、これくらい自分の視点を軸に物事の判断ができれば人生は楽しいだろうなと思った。その後、Athenaeumに立ち寄り、Tylorの友人Markも合流してSOHO Houseでドリンク。西村有さんの作品をDavid Zweinerで見てきたところだったのか、彼の作品の話で盛り上がる。「西村有さんは最近まで実家の喫茶店で働いていて夜は絵を描いていたんだって」という話をすると、Tylorは「そんなの当たり前だよ、アーティストはみんなは働いている、マルセルデュシャンだってグラフィックデザイナーだった」と言った。その後W杯の話になった。フットボールは共通言語である。支払いの際に、Tylorがクレジットカードを差し出した。そこにはTylor Mitchellと書かれていた。彼がTylor Mitchellだということにそれまでぼくは全く気づかずにいた。夜は、他の友人たち5人ほども加わり、Weinlokal Sternでディナー。英語話者か、もしくは生活時間の保持の仕方の違いなのか、圧倒的な知識量の違いに圧倒され、なんとなくモヤっとした気持ちで終電に乗り込み、海のある田舎町に帰った。ぼくは、知識量に対してあまり心が揺れることがなく、自分の好みがあれば良いと思っていると思っている方だったのだが、今日は心に何かが詰まったような気になった。さらに、電車は遅延し、そのせいでDen Haag Centralに到着した頃にはすでに最終のトラムは発車しており、仕方なく歩いて家まで帰った。
「Would you like coffee?」とウェイターに聞かれ、「We are tea people」と返事をしていて、コーヒーを第一に提案してくる形式的な接客へのアンチテーゼのようでかつ流行っているのだろうお茶の文化にどっぷりとハマっているという姿も面白かった。ぼくも午後はコーヒーを外であまり飲む気になれない。水を2本注文し、Carlは玉露、ぼくとTylorは烏龍茶を注文した。弟はミントティを飲んでいた。特段高級なものではないにせよ、その注文のリズムだったり、声のトーンだったりに触れただだけでも注文したいものを何も気にせず注文しているように感じNY生活者の旅先での姿を垣間見た。互いの近況報告とCarlのブランドA LAの雑誌広告を見てそのまま読み込む。Tylorの他社の広告写真に対する批評がとても興味深かったし、これくらい自分の視点を軸に物事の判断ができれば人生は楽しいだろうなと思った。その後、Athenaeumに立ち寄り、Tylorの友人Markも合流してSOHO Houseでドリンク。西村有さんの作品をDavid Zweinerで見てきたところだったのか、彼の作品の話で盛り上がる。「西村有さんは最近まで実家の喫茶店で働いていて夜は絵を描いていたんだって」という話をすると、Tylorは「そんなの当たり前だよ、アーティストはみんなは働いている、マルセルデュシャンだってグラフィックデザイナーだった」と言った。その後W杯の話になった。フットボールは共通言語である。支払いの際に、Tylorがクレジットカードを差し出した。そこにはTylor Mitchellと書かれていた。彼がTylor Mitchellだということにそれまでぼくは全く気づかずにいた。夜は、他の友人たち5人ほども加わり、Weinlokal Sternでディナー。英語話者か、もしくは生活時間の保持の仕方の違いなのか、圧倒的な知識量の違いに圧倒され、なんとなくモヤっとした気持ちで終電に乗り込み、海のある田舎町に帰った。ぼくは、知識量に対してあまり心が揺れることがなく、自分の好みがあれば良いと思っていると思っている方だったのだが、今日は心に何かが詰まったような気になった。さらに、電車は遅延し、そのせいでDen Haag Centralに到着した頃にはすでに最終のトラムは発車しており、仕方なく歩いて家まで帰った。
そういえば、The Dylanでお茶をしているときにTylorはZoe Kravitzが入ってきて話していた、奥にHarry Stylesもいた。ライブに誘われていたらしいのだが、ビジネスミーティングがあると断っていたのに偶然同じホテルに泊まっていて驚いたと言っていた。ぼくは最後まで色々何も分かってなかった。
2026.5.15
日本代表のメンバーが発表された。ぼくはなぜただの発表を心待ちにしているのだろうか、と思った。最近、自分の高揚感に対して不安を覚えるようになった。世の中に起きる全ては自分がそれに関心を抱かなければ存在しないものとしてみなされるような気がするのだ。ぼくは人間不在の社会について深く考え、興味を持ってきたはずだった。少なくとも、家を引越しするときはそこに残された空っぽの空気を纏った建てつけの家具にたくさん会話をして別れの挨拶をしてきたほどには、人間不在の社会の存在を肯定的に捉えてきた。それでも、積極的な社会参加を拒むような生活のせいか自分の高揚感に不安を感じるのである。意味なんてものを求め過ぎているのかもしれない。そして、自分がそれに関心を抱かなければその出来事は存在しないという考え方も頭の中によぎるようになった。
夜、MeesとJoyとJannahとドリンク。Meesは多感な若者で、JoyとJannahは大学に通っている。Joyは映画を勉強し、Jannahは音楽を学んでいる。彼らはこれからパーティに行くと言っていたが、ぼくは家に帰った。家に到着したのは24時半ごろだった。
夜、MeesとJoyとJannahとドリンク。Meesは多感な若者で、JoyとJannahは大学に通っている。Joyは映画を勉強し、Jannahは音楽を学んでいる。彼らはこれからパーティに行くと言っていたが、ぼくは家に帰った。家に到着したのは24時半ごろだった。
2026.5.14
最近夜に寝られず、昨晩も最後に時計を見た時には26時半か、それを過ぎたような時間だった。今朝も目は覚めたものの10時までベッドから起き上がれずにいた。明日は日本代表のW杯に向けたメンバーが発表される。
2026.5.13
自分が好きではない方法で、社会を渡っていく人がいる。それが善とされるのであれば、ぼくはそれを否定するのではなく、自分自身が正しいと思うやり方で、自分自身が社会を渡っていかなければならない。現代社会はある種、闘争のような構図を不幸にも抱えていて、自分の中で何かうまくいっていない時は、他の何かがうまくいっているように感じる。自分の正しいと思うやり方で、船を大陸に到達させなければならない。自分自身の方法が偏屈だとしても、正しいと信じていたとしても、もしくは他者が情けない方法で航海をしていたとしても、だ。大波に攫われて難破していてはいけない。特に偏屈である場合には、そして、他者が情けない方法で大陸に到着しているときはなおさらである。
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