VOICE by JUN IWASAKI

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2022.6.13

朝からランニングへ。河川敷にランニングに行くのに、ロングリードを持っていくのは面倒だなと思っていたのだけれど、昨日聖子ちゃんに「Stellaのためなんだから持っていきなよ」と言われ、まあStellaのためかと妙に納得してしまい試しに持っていくと、案の定Stellaは大喜び。家を出たのが7時を過ぎていたので、ちょっと出遅れたがそれでも充分に遊ぶだけの時間はあった。帰ってシャワーを浴びてコーヒーを淹れて、聖子ちゃんを起こして、Stellaのご飯をあげて、グラノーラを食べて、家を出る。7時45分には散歩から戻りたいとなると、遅くとも6時45分には家を出ないといけない。それだとなかなか早起きだ。
今日は、河川敷の入り口でゴールデンレトリバーのチェルシーちゃんに会う。そのほかにもたくさん大型犬がいて朝の河川敷は楽しい。昼は、中島とグルガオンでカレー。
To Find The Right Chairをもう少し多くの人に知ってもらいたいし、伝えたいので、企画書を送る。うまくいくといい。
自分の作品が人の家に届いたのかと思うと、ソワソワするし、ますますやる気が出る。ぼくは彼らのためにも継続して作品を作り続けること、それが彼らへの恩返しにもなると思う。もっと深くずっしりと根が張った作品を作れるようにならないと、と背筋が伸びる。夜は、23時前には就寝。

2022.6.12

朝6時半、Stellaとランニングに行く。今日は歩くだけではなく、ランニングをするので、ランニングウェアを着て散歩に誘うが、いつものように降りてきてくれない。何かいつもと違いを感じているようで、リードを準備しても階段の上で勘ぐった表情でこちらを覗き込んでいる。なので、再度、いつも散歩に行くときに履いているアウトドアブランドのグレーのパンツをキャビネットから出して、ランニングウェアの上から履いてみると、面白いことにとととっと何かを理解したかのように降りてきた。で、ハーネスにもそのまま自分から入ってくれた。リードをつけ、アウトドアブランドのグレーのパンツを脱ぎ、家を出る。面白いことに犬の方がぼくのことをしっかり観察しているので、ぼくが何をしたら何が起きるのかということを理解しているようだ。ルーティンを大切にする犬の性格は非常に興味深いし、思考や記憶ではなく感覚に呼応するように行動している。
nidi galleryの清水さんから「額装作品を発送しました」と連絡があった。みんなの元に届いて、家に飾られるのをいつかみてみたいなと思う。その願いは叶うのだろうか。

2022.6.11

朝からStellaの散歩へいく。ここで「の」を使うか「と」を使うかで大きく違う意味を持つなとふと思った。「の」を使うことによって、自分ではなくStellaが行きたいから言ってあげるというような上からの目線や態度を表してしまうし、「と」を使うと、一緒に行くという意味合いが強くなり、ぼく自身も散歩に行きたいから行くという意味合いになる。

せせらぎ公園に行き、その後丸子橋を対岸まで往復し、河川敷を北上し、多摩川台公園を通って帰宅。1時間半ほど歩く。今日は、カメラを持って出たので写真を数枚撮る。

最近、線がどのように物事に境界を作るのかに興味がある。一本の線が、何もない空間に空間を作ることにとても興味があり、例えば、少年の草サッカーなどは、広場に線を引くだけで、その線がスタジアムに変わる。その線を越えれば、相手ボールになるとか、そういう単純なみんなの共通認識だけで空間が完成する。それを知らない、鳥とか犬はぐいっといとも簡単に越えていく。もうその認識で生きているぼくたちはそれが当たり前だけれど、よく考えると不思議なもので、その線があるだけで、建物を立てずしても建築的な概念としての空間を作ることができる。その記録をしようと、最近よく河川敷に写真を撮りに来ているのである。

もっと撮りためるとひとつのシリーズとして完成させられそうだ。境界線というのは、国土とか国境とかそういうものとも繋がっているので、もっともっとポリティックな主題にしていくことも出来そうだなと思っているが、まだ強度がない。あくまで、ぼくの関心事として、ひとつアイデアとしては良い気がしている。その後、聖子ちゃんと家の近くのカフェPericanでカプチーノ。聖子ちゃんとStellaも連れて弘明堂へ行く。1時間ほど電車に揺られていないといけないのだけれど、Stellaが少し暑そうにしていた。バッグに潜りっぱなしは、辛いようだ。顔を出してあげると、気分良さそうに外を眺めたり、乗客に挨拶したりしている。それはとても楽しそう。

久しぶりに坂井先生の施術を受ける。最近、身体が異常に痒かったので、それも相談してみたところ、姿勢が悪いから内臓の活動が鈍っていて、消化しきれていないのだと言われる。姿勢が悪いのはいいことがない。運動していると内臓が活発になるので、別に食べ物をそれほど気にしなくてもいいようなのだが、運動不足に加えて姿勢が悪いとなると、内臓の働きは悪くなって当然だ、と。この時期はどうしても身体から毒素が抜けないらしく、お風呂に浸かったり、汗を書いて湿気を身体から出したほうがいいのだそうだ。坂井先生に身体を触られるだけで、治癒されるような感覚さえある。

その後、Nidi galleryに行き、作品の証明書にサイン。これでひと段落、あとは購入してくれたみんなの家に届くのを待つだけだ。人の家やスペースでぼくの作品が飾られるというのはとても嬉しいことでとても楽しみだ。人の人生の一部になれるというのはすごく素晴らしいことだし、ぼくが継続して作品を作ることが彼ら彼女らへの気持ちにもなる気がしている。

一枚の絵やひとつの作品ででその人の価値観を変えられるようなもの、そんなものをぼくは作っていきたいと思う。

なんだか久しぶりに聖子ちゃんとゆっくりと過ごせた気がする。Stellaもいるので、車を買ってしまうのもいいのかもしれないと最近思っている。車なんて買ってしまうとどうなるのだろうか。

で、やっぱり気になったので、最初の話に戻って「と」と「の」の問題、実際のところ、今日は「Stellaと散歩に行く」という意味合いに近かったかもしれない。


2022.6.8

朝からStellaと1時間ほど散歩へ。もう1時間行くことが全く苦ではなくなった。そもそも苦ではないけれど、気づけば1時間経っているという感じ。いろんな人や犬に出くわすので、それも多分時間が早く感じる理由の一つ。
家に帰って、すぐコーヒーを淹れ、聖子ちゃんを起こし、Stellaにご飯を与えながら、自分のお弁当など準備をする。マルチタスクすぎて笑えてしまう。母親は毎日こんな感じだったのかと思うとゾッとする。
また夜になると、体が痒すぎてイライラしている。nidi galleryでの
展示で使ったフレームを整理しながら、ドイツvsイングランドを観戦。イングランドはベンチから出てくる選手が優秀すぎる。W杯で優勝してしまうんじゃないかと思うほどであるが、チームの完成度はどうだろうか。結局サッカーはチームだから、空気もあるし、何かが動けば何かが変わってしまう。いい選手が揃うだけでも全てがうまく行くわけではない。しかし、ハリーケインの代役はいないな。フォーデンがいなくてあの攻撃が成立してしまうのだから。それ以上にドイツも衝撃的に鋭い。

2022.6.7

朝からStellaの散歩へ。雨上がりなので、どうも他の犬に出会わない。最近、雨が続いているが、それでもStellaは楽しそうに散歩に出てくれるのでこちらまで嬉しくなる。
最近、夜になると、身体がリラックスしてくるのか、身体が痒すぎてイライラしてしまう。それをぶつけるもんだから、一緒にいる聖子ちゃんは辛いだろうなと思う。申し訳ない気持ちでいっぱいなのだが、それを伝える術すらを痒さが超越してくるので、どうにかならないものか。22時ぐらいに死ぬようにベッドで横になってしまう。寝落ちするように眠ること、いい加減それは避けたいのだけれど、無意識だった。もう33歳だというのに自分の眠さに打ち勝つ方法が見つかっていない、もし眠くなるのであればもっといろいろなことを早く済ませて、寝る体勢を整えておくべきだ。それなら、眠くなったらすぐに眠ればいい。動物なんだから、動けば疲れて眠くなる、単純で素晴らしいことなのだ。それを否定して夜更かしする必要は決してない。23時半ごろ、目が覚めてお風呂に浸かり、ヨガをして就寝。遅くても疲れていてもヨガはしたほうがいい、明日の身体の状態が変わってくる。


2022.6.6

夜は、国立競技場で、日本代表vsブラジル代表の親善試合。もちろん現地に行くわけではなく、PCで観戦。中田英寿が小野伸二とスタジアムで観戦しているのがモニターに映り、なんだか心にぐさっと来るものがあった。ブラジル戦を最後に現役を引退したサッカー選手がブラジル戦を観戦しているというのもなんだか素敵な景色だし、中田英寿という人間のサッカーへの想いみたいな本心のようなものが、メディアによって紛糾されそうになっているのだなと感じた。
ネイマールだってそうだ、彼はメディアによって驚くほどのバッドイメージを付けられているが試合中の試合に対する姿勢とか、フリーキックの壁に入っている姿とかを見るとサッカー少年だし、素直に自分が活躍して勝ちたいんだろうなというのが感じられる。もちろん、親善試合なので、リラックスしているとは思うけれど、それでもメディアによるネイマール像とかけ離れていたので正直驚いた。ぼく自身ネイマールをそれほど追ってきた人間ではないので、余計にメディアイメージに侵されていた一人なのだろうけれど。
そんなことを考えていると、やっぱり本物を見ることが一番だなと思った。それについての考察とか噂とか、そういうものはたくさんあるけれど、何よりも自分の目で確かめるというのが一番だ。それはスポーツだとか作品だとかだけではなくその土地に行くとか、食べるとかそんな単純なことにも同じように当てはまる。
試合自体は、もちろん日本代表が勝てば嬉しいし、ゴールを見たかったけれど、0-1の敗戦。正直、森保さんになって無得点での惜敗っていうのが多い。オリンピックだってそうだった気がする。印象的なのは、スペイン相手に0-1の惜敗。守れるけど勝てない。プレミアリーグで、スパーズがコンテと組んでやっていたようなサッカーが強豪国相手にはうまく機能するのではないかといつも思ってしまう。だけれど、ソンフンミンもいなければハリーケインもいない。個人的には、古橋はシュートの質やテクニックなどを見ていると、ソンみたいになれそうな気がするんだけどな。個人的には、南野、古橋、伊東の3トップが見てみたい。その下に守田、田中かな。相手に合わせて守田、鎌田も良さそう。鎌田、守田はかなりうまく行く気がしてる。
今日の試合は、後方からのしっかりしたビルドアップを意識的にしていて、個人的には嫌いではないけれど、いつから森保さんがこんなトレンドのサッカーをするようになったのかと少し不思議に思った。中継で見ているともう少し持ち出したらいいのにと思うシーンが散見できたが、きっとプレーしている当事者は、威圧感とか個人間の距離とか、持ち出しの不慣れさとかそういう部分を感じながらプレーしていたのだろう。疲れると視野も狭くなるし。あとは、単純に持ち出すということは視野や角度を変えるということだし、対峙する選手だけではなくて、ブラジルチームの連動性に恐怖を感じていたのかもしれない。聖子ちゃんが見ながら「ブラジルはフォーメーションが崩れないね」と言っていて、確かにと思わされた。それほどチームとしてのルールというか決まりや意思疎通が明確なのかもしれない。ブラジル代表のようにいろんな国のリーグで戦っている選手を一つのチームにまとめて試合をするのはそう簡単ではないはずだから、一人一人のサッカー理解度が高く優秀な選手が多い印象。昔のこの力で派手なブラジル代表とはまた違って、抑制の効いたいいチームだなと思った。
さて、日本代表の中継のつまらなさは無視するとしても、メディアの煽り方含めとにかく日本では何事にも幼稚すぎる。それは日常生活においてもそういう風に見える。本物がないのでは?と思ってしまう。いや、ある。本物は日本にもたくさん存在する。歴史を見ればそれは明らかだ。突然サッカーを語る、か?

2022.6.5

朝からStellaの散歩へ。650分に家を出て、ゆっくりと1時間くらい。途中少しランニングをする。今日は書けない、なんで書けないんだ、書けないのは頭が痛いからか、もう頭が働かないので、書くことを許して欲しいと言いそうになるが、誰に頼まれているわけでもなく、ただ自分のために自分の思考の整理のためと、罪を償うかのように続けているのだから、誰かに許可を得る必要も全くないのにそれでも許してくれとか言いたくなるのは、自分が矛盾しているからなのか。
ぼく自身、日記を書くことで快感を得て、心の充足を得ているはずなのに、それと同時に辛い、今日は書けない、頭が動かないんだと感じる。それは、ランニングとかと同じで、毎朝もう辛い、もう行かないと思っても、一歩家に出て動き出してしまえば、気づけば走っていたりするもんだ。そして、ランニング後、家に着いて結婚祝いでいただいた安藤グラスで水を一杯飲み、暑くなった身体に、冷たいシャワーを浴びせながら、「あー最高だ、今日もいい一日になりそうだ」とか思っているのである。
だから、書けないと思っても、「今日は書けない、なんで書けないんだ、書けないのは頭が痛いからか、もう頭が働かないので、書くことを許して欲しい」とか書き出すと少しくらいは言葉を残せるものである。現に、今日も一行しか書けてなかったのに、もうここまで書けた。学校とかもそうだったよな、もう本当に起きれないし行きたくないと思っても遅刻しないように無理矢理体を起こして電車に乗り込めばなんとかなっていた。