昨日はぼくの住む海のある田舎町ではミュージアムナイトが開催されていた。町中のミュージアムや関連施設で夜中までイベントやコンサート、アクティビティが開催されるというもの。話を聞いていると、この町にはイベントが多いという、それは人々が出歩くのが好きだからなのかはわからないが、とにかくパブリックイベントが乱発している。無料ではない。国が街を起こすようにイベントを企画することは、素晴らしいのか。という疑問が湧いたので、友人に「ミュージアムナイトについてどう思っているのか?」と話を聞いてみたら、素晴らしいとのことだった。明らかに人が動き出すし、人々が協力して自分の街を作ることは素晴らしいかもしれないが、ぼくは、なんだか情けない気持ちになってしまった。実際に色々な人々が参加することによって、金銭面でのサポートもあるのだろう。市からの助成金もあるのだろう。しかし、実際にそこに存在するアクティビティの内容はどうだろうか。それらは本当にアーティストを支援するためのものだろうか、団体や施設がアーティストに機会を与えるのではなく、忙しない中で知人や身内に相談してイベントを企画していないだろうか。身近なもので固めていないだろうか。本当に満足する、企画者自身がお金を払って行くだけのクオリティを担保しているのだろうか。心躍るイベントはそこに存在するのだろうか。そんな風に考えていると、助成金をもらった施設の活動は本当に目も当てられないものがある。そこに卵が必要なのだから、卵を用意する。それがフリーレンジが、オーガニックか、ローカルなのか、美味しいのか、なんて、気にしていない。ぼくはこの海のある田舎町ににいると、どうしても、そこにあることの重要性しか感じされないのである。枠が先に決まり、そこに埋めあわれる何かが必要なので用意しているように見えてならない。本来、そこにトマトがあるからガスパチョを作ろうと思うのではないか。だから、夏にスッキリと食欲を満たすようなガスパチョができるのだ。
作品制作だってそうだ、アワードを受賞するための作品も、助成金をもらうための政策や作品も存在する。それらは、誰のために存在するのか、ぼくにはまだわからない。
ぼくは、常にオーガニックな形でありたいと思う。
作品制作だってそうだ、アワードを受賞するための作品も、助成金をもらうための政策や作品も存在する。それらは、誰のために存在するのか、ぼくにはまだわからない。
ぼくは、常にオーガニックな形でありたいと思う。