2100年の生活学 by JUN IWASAKI : 2024.9.25

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2024.9.25

昼から電車でユトレヒトへ行く。シュレーダー邸を目的にした日帰り旅行。
世界の至る所にまだまだ見るべきものも、見たいものがある。そう思うと、世界には自分が知った気になったものは多数存在していて、情報という寝転んだ状態から、実際に目の当たりにすることで、経験として立体感を持たせむくむくと立ち上がらせる必要がある。
先週末にVan Gogh Museumでゴッホを見た時にも思ったが、自分が小学生の頃に憧れていた絵画の現物がここに存在しそれを実際の肌に浴びせるように見るということが自分の人生の盾となるのではないかと思っている。
しかし同時に、ぼくは小学生から大学生までの欲求によって蓄積されてきたものをすり合わせるような作業を20代と30代初頭で行った結果、ここ数年間過去に執着し始めようとしているような度胸のない自分の感覚さえをも垣間見るような気がして、ゾッとするのである。それは、老化の始まりであり、死への第一歩である。世界は成長し、文化は受け継がれ、新しいものはどんどんと生み出され淘汰され、過去のものは新しいものたちの価値観によって再発見される。それは、何もない広大な砂漠に家が立つことによってそこに三角形の影ができたかのように。
そんな中で自分自身の10代、20代に受けた影響をひきづったまま人生の折り返し地点とも言われるような35歳を迎えたくはないと思ったのである。筋肉は、30歳を超えるとどんどんと少なくなっていくというが、文化への意識とか知的欲求とか、そんなものは10代、20代、30代はほっておいても筋肉同様に存在するのだが、いつの間にか過去にしがみついたような、「ぼくは昔は毎日10km走っていたんだ」というような過去を賞賛するものへと変化するのである。常に現代のアップデートされた自分の感覚によって新しいものも古いものも関係なく自身にとっての新発見に喜びや好奇心を抱き探求することをやめてはいけない。それが自分自身の今後の人生の食糧となっていくような気がしている。
言葉で言うのは簡単なんだけどな。