2100年の生活学 by JUN IWASAKI

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2025.8.14

一昨日ビーチに行き損ねたのだが、今日はまた一段と気温が下がった。日本はお盆で夏本番だろうが、このままオランダの夏は終わってしまうだろう。

2025.8.13

 命を大切にしないと全ては崩壊する。命を大切にしないとその上に成り立つ精神も身体も思考も、趣味も、意思も、空想も全ては無意味である。どれだけLevis 501のW32とW31の間で囚われたかのように悩んだとしても、裾を1 cm切るか切らないかを悩んでも、命がないことには意味がない。身体をどれだけ鍛えたところで命を大切にしないとその身体というものはないのだ。
昨日、聖子ちゃんには「明日も同じ場所にビーチはあるし行ける」と言われたが、今日は曇りだったので、行けなかった。いや、行かなかった。行かなかったということはそこにないと同じであるか。いや、近くにあるというだけで心が救われるということだってある。そのいつだってすぐにできるんだ、と思わせてくれる存在というのはとても大切だ。家族や心を許せる友人がいるというのは、そういうのと近い。

2025.8.12

驚くほど快晴なので、夕方からビーチに泳ぎに行くつもりが行けなかった。
事情があり、行けなくなってしまい自分でもあまり感じたことのないような身体がソワソワと全身がこしょばいというような感覚を感じた。時間にも焦り、海で泳いでから家に帰ってやりたいと思っていたこともあったが、待っている間に、時間だけが経過した。そうやって行けないことに薄々気づき始めた時には、身体が動かなくなりベッドに寝転がって天井を眺めていた。最近このように金縛りにあったかのように身体がいうことを聞かないことが頻繁に起きる。実際には不貞腐れたわけではないのだが、他人から見ると不貞腐れたように寝てしまっていたようで時計を見ると23時半だった。聖子ちゃんは隣の部屋で映画を観ていた。シャワーを浴びて、濡れた髪のまま裸でソファに座った。そのまままた天井をボーっと眺めていた。後ろの方からキーンという耳鳴りが聞こえた。
36歳という人生の折り返し地点を迎えた今、ぼくは一体何をしているのだろうか。したい仕事も思うように出来ず、貯金ばかりが減っているように感じ、住みたい街にも住まず、着たい洋服も着ず、食べたいものを食べないような日々。隣の青い芝だけ眺めて、自らの身体を泥にまみれさせている。今ぼくが抱えている人生の本当の楽しみはなんだろうか。このままではいけない、このままでは生きる価値すら見出せない。生きていくには自分の心を喜ばせるしかない、人生は暇つぶしだとよく言われるが、ぼくはそんな風には考えられない。ぼくは心の底から好きなものに囲まれた生活をしているだろうか。そういうもののために生きるか、そういうものを生きる糧にしない限り、生きる意味さえも見出せない。損をしている気分になっていることに悲観しているわけではない、同時に得したいわけではない。美しく華やかな人生の形だけが素晴らしいとも思っていない。同時に教訓のある日々だけが良いとも思っていない。しかし、真っ暗で前がどちらかもわからないような日々だとしても、その中で差し込む一筋の光に向かって勇敢さと信念を持って歩みを進め、その歩の進め方に自分の意思を宿らせたような人生を過ごしたい。もし、結果その光の先に出口がなかったとしても、だ。それでもぼくの意思を持った歩みは少しの光に導かれ、小さくもその光によって照らされ、薄暗いか神々しいかは捉える人それぞれだが、見える形になればいいと思っている。それが美しく華やかになるのか、教訓になるのか、はただの結果にしかすぎない。

2025.8.11

 ちゃっぴから突然電話があった。お盆休みだから暇だということと、人の犬の世話をしていてなかなか楽しいという内容だった。ああだこうだと話す。こういう話をしていると10代からほとんど変わってないと思う。
電話というと緊急の急ぎの内容や要件があるようなことしかなかったのだが
年を重ねると、何か要件があったりする際にしか人と連絡を取らなくなってきている。特に、電話やメールなんかはそうだ。返事に困るようなメールや電話はないと思っていたが、返事しなくてもいいような内容の電話やメールが友人から来るというのは自分がいかに堅苦しい頭を持っているかということに気付かされる。ぼくにとっては電話やメールはいつだって質問されることが多く、電話なんてものはできるだけ受話器をあげたくないと思ってしまう。
ぼくは、ソファでスイカを食べながらテレビをみたり、お風呂に入りながら電話をするような時間の過ごし方をこれまでの人生であまりしてこなかったので、そんな生活ができる人に羨望の眼差しを向けている。忙しかったり、仕事に出て、家に帰ると自分のしなければいけないことが待っていたりするからだ。自分が今抱えている生活か良いかどうかなんてものは誰にも判断される必要はない。しかし、何もすることがない、スイカを食べて暇だから友人にでも電話しようかという時に確実に存在するだろう心の余裕が少しくらい欲しい。

2025.8.10

家で昼ごはんを食べて、自転車を15分ほど漕いだところにあるボートハウスへ行く。家に帰り、一眠りしてからトラムに乗ってビーチへ。3人でピッツァを食べて、そのあとは、ビーチチェアの上でフレッシュジンジャーティーを飲みながら毛布にくるまってサンセットを眺める。寒くても外で毛布にくるまって温かいお茶を飲みたくなるのは、人間らしいと思う。A Song from the Lanudry Room #3は、矛盾というものを受け入れるということをテーマにしていたが、まさに今日もそんな情景の中に自分たちを描いた。
Cairo Apartmentからやっと5冊目の新刊を刊行する。三好耕三『A Long Interview with Kozo Miyoshi』のアナウンス。耕三さんの子供のような無垢さを軸に据えた作品集である。オランダにもぼくが知っているような風情のある夏はないし、日本も暑すぎて風情を感じるということさえもできないような夏になっている。夏の写真ばかりではないし、時代も色々なのに、どこか懐かしい夏休みのような雰囲気さえ感じるような、とても風情のある写真集ができたと思う。

2025.8.9

6日から3日後の8月9日も原爆が長崎に落とされた。考えたくなくても考えていることは多くあるが、日付というものは、ぼくたちの記憶に残すのに簡単なキーワードとなる。
ある物事についてきちんと考えたり想いを馳せたりするような人が増えれば増えるほど、その出来事は記憶され続けるだろうし、もし考えたくないとしてもいやでもそれがその時期や場所に残ってしまうのだ。
例えば、正月。毎年みんながお節料理を楽しみにして、それについて話せば話すだけ、正月にお節が食べられないということが起きた時に不思議な気持ちになるのである。
8月といえば、そんなプログラムがあったり、ドラマや映画がテレビでやっていたり、戦争について考えたり、平和について考えたり、する機会が増えるべきだろう。ぼくが小さい頃はそんなイメージがあった。8月15日とお盆の死者が帰ってくるという言い伝えがなぜか関係している気さえしていた。そうやって、死について考えたり、過去と今の自分の関係性をその間にある長い時間というものを通り越して見つけたり、ご先祖さまがいつでも自分の頭の上にいることを感じたり、いつだって自分自身を見てくれているような気にさせてくれていた。そんなことが、ぼくにとっての8月だった。
話は、ずれたが、やはり8月6日と9日という日本人にとって忘れられない、そして忘れてはいけない日付けは常にどんな時代になろうともどんな形であろうと語られ続けるべきだ。そして、ぼくたち日本人は世界で唯一の原爆被曝国だということをきちんと記憶し、その被爆国として亡くなった人間たちの命を掬い取るように生き続けることができるのではないか。
夜はカレー。なんだかんだと作業が溜まっていて、始めてしまったら一気にやることになった。夜中3時ごろまで起きていたら、途中坂田さんが起きてきた。目をこすりながら「まだ起きてるの?」とだけ言ってトイレに行かれた。

2025.8.8

去年坂田さんが家に来てくれた時は、シュウマイを作ってくれたのだが、今回は餃子を作ってくれた。昨年のシュウマイのおかげで、蒸し器を買い、それ以来うちに欠かせない調理器具である。
家のIHと長く使っている鍋底の歪んだ鉄鍋の相性が悪く、なかなか満遍なく火が通らない。さらに他人の家の使い慣れないキッチンでの調理も相まって、ファーストラウンドは餃子の底が鍋にくっついて坂田さんは申し訳なさそうにしていた。底がくっつき、火加減も思いの外に強かったので、黒くなっている部分があった。焦げていると言われれば焦げていたが、真っ黒焦げではなく、フェンネルと引きたて豚にバジルの香りが調和していてとても美味しい。まだまだ、たくさん作ってくれていたので、セカンドラウンド。もう一回り小さいが同じ鉄鍋を使って再度焼いてもらった。一回り小さい鉄鍋は鍋底の歪みが少なくうまく焼けるのではないかというぼくたちの遅すぎる提案と、IHの火の強さを理解したという坂田さん。焦げることを警戒しすぎたのか、焼きが甘いとまた納得いってなさそうだった。ぼくは焼き餃子を作れないし、焼きが甘いとすら思わなかった。フェンネルと引きたて豚にバジルの香りが調和していてとても美味しい。まだまだ、峠を越えたくらいの量があったので、「水餃子にしてみますか」という話になった。サードラウンドは鍋にお湯を沸かし茹でてみた。またフェンネルと引きたて豚にバジルの香りが調和していてとても美味しい。それでも坂田さんは、まだファーストラウンドとセカンドラウンドの焼き餃子を引きずっているようなどこか浮かない表情をしているように見えた。ラストラウンドとなった。みんなでどちらが食べたいかという話になり、ぼくはこの味わいを楽しむには焼きがいいなと思っていた。引きたての豚肉の香りとフェンネルの食感が焼くと際立っていたように感じていたし、坂田さんの浮かない表情を晴れやかにするには、焼くしかないじゃないか、とも思っていた。しかし、二度の坂田さんの納得いっていなさそうな姿を見て「坂田さん決めてください」と彼女の決断に委ねた。ぼくも聖子ちゃんも手伝いもせず、焼くのも任せっきりだった。坂田さんは、少し悩んで「焼きます」と言った。
ぼくは、坂田さんの作るお菓子からは、彼女の性格をいつも感じさせられる。