2100年の生活学 by JUN IWASAKI

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2024.11.19

朝から、家から歩いて20分ほどの商店街にあるペットショップに行く。Pompernikkelの前を通ると火曜日なのに営業していて、窓越しに覗きみた店内ではたった1人のお客さんがパソコンを開いてコーヒーを飲んでいた。ここでたった1人と書いたところで、それが何を示唆しているかはさっぱりわからないだろう。それはぼくが去年初めてデン・ハーグに来た時に見たPompernikkelの光景で、その日はメルボルンのSchotchmer StreetにあるLoafer Breadを思い出すようで嬉しくなった。ここへ引っ越してくるきっかけにもなった。今日も同じような印象を受けて、最近は混んでいる光景しか見ていなかったので、人がいないということが不思議ではあるが、個人的には喜ぶべきだと思った。しかし、なぜ火曜日も営業しているのだろうか。
ペットショップと散歩から帰り、家の茶色い扉の前に戻るとポケットに入れたはずの家の鍵がなかった。人生で鍵なんて無くしたことがないので、自分自身でもかなり不思議だったが、先日もパリでクレジットカードをATMに吸い込まれた後、カルネで20ユーロほどをチャージしたばかりのNavigoを一度も使わずに落としたので、2度あることは3度あるという言葉の通り、鍵も落とす時は落とすんだなと意気消沈。聖子ちゃんが家にいたので、ベルを鳴らし、ステラをうちに帰らせ、一人そのまま歩いてきた道を記憶を頼りに自分の行動をなぞるように下を向きながらぞろぞろと歩いて戻った。ここでステラはおしっこをした、うんちをしたのでプーバッグを左のジャケットのポケットから取り出した、ここで一度iPhoneで紅葉した落ち葉に見惚れて写真を撮った、反対から人が来たので少し道を譲ってぼくは車道に降りた、とか、そんなことだ。ここのところ、散歩中はダウンの上にフレンチワークジャケットを着ているので、身体の至る所にポケットがある。家を出るときにiPhoneの充電が6%しかなかったので、財布も持って行こうと財布をワークジャケットの右ポケットに入れた。さらにその上から念の為グローブを捻り込んだ。ワークジャケットの左ポケットにはステラのプーバッグを入れていて、ダウンジャケットの左ポケットにはステラのお菓子が入っている。ワークジャケットの内ポケットには買い物のレシートを溜めている。iPhoneはデニムの左の後ろポケットに入れていて、イヤホンがそこから出ている。寒いので、ポケットに手を突っ込む時は、ワークジャケットのポケットではなく内側に着ているダウンジャケットのポケットに手を入れる。それはワークジャケットのポケットは垂直に取り付けられていて上から手を入れるタイプだが、ダウンジャケットのポケットは斜めから手が入れられる仕様だからだ。
鍵が、誰かが拾って木に引っ掛けてくれているのではないかとか、その辺の目につきやすいところに置いてくれているのではないかとかも思うと、自分の行動を思い起こすだけではなく、この街のこのエリアのこの時間帯に行き交う人たちの性格なども考えながら歩く必要があった。鍵といっても単体ではなく、家の鍵が2本と自転車の鍵が2本に元同僚の佐々木にお土産でもらったLONDONと書いた元々カラフルだったことがうっすらとわかる程度に色が残っているキーホルダーがついていて落としたらすぐ気づきそうだし、落ちていたらすぐに目につくようなものである。落ち葉がキレイだったところで、写真を撮ったのでその時に鍵を落としたのかと思い、深い落ち葉の中を足でかき分け入念に探してみたが、見つからなかった。この場所をひとまず諦めてさらに足を進めてみたが、どこにも落ちていなかったし、鍵が落ちていても拾ってくれそうな人ともすれ違わなかった。もちろん、他人の鍵に興味を示しそうな人ともすれ違わなかった。ぞろぞろと自分の行動をなぞるように歩いたが見つからず、ペットショップにも行ってみたが落ちていないという。鍵を落とす、こんなことがあるのだろうか。誰がどこの家の鍵かもわからないものに興味を持って持ち帰るのだろうか。それとも色の褪せたキーホルダーが欲しいと思ったのだろうか。親切で警察に届けてくれたのだろうか。時に心地よささえも感じるほどに他人には無関心である人間の多いこの街で、それほど他人の生活に加担したいと思っている人がこの街にはいるだろうか。嘘をつくことさえも非合理だと思っていそうなこの街の人々は、鍵が道に落ちていても持ち帰ったり、ましてや触ったりもしなさそうなのである。それが今ぼくがこの街の人々に感じている感情である。それは時に心地よさをもたらすと同時に、この街で自分が存在しているということを他者の眼差しを通じて実感することは全くなく大きな悲しみさえも感じさせる。そんなことを鍵を落とした街を徘徊しながら考えていると、自分自身のこの街での人生の意味のようなものを疑いたくもなった。帰り道、一番怪しいと思っていた落ち葉がキレイだった場所を再び通ってみたが、清掃員がその落ち葉をキレイに掃除してしまっていて。大きな落ち葉の山が3つほどできていた。鍵はその中に一緒にゴミに紛れ込んでしまったのではないだろうかと思って自分のこの街での人生を表しているようだった。Pompernikkelには少し人が増えていて、それでも温もりを持った店内には4人くらいのお客さんしかいなかった。
家に帰り、「どれだけ探してもなかった」という話を聖子ちゃんにすると「仕方ないね」と言われた。「火曜日なのにPompernikkelがやってたよ」と返した。手と顔を洗いに洗面台に行くとランニングで着ているasicsのジャケットが目に入った。ポケットを触ってみると、そこに周囲で何が起きているのかにも興味なさげな姿をした鍵があった。
14時ごろPompernikkelにコーヒーを飲みに行き、帰り際にDaanと話す。閉店間際で人は多くなかった。穏やかな、豊かな空気を纏ったお店が近くにあってよかったなと思う。日の入りが1645分だったので、日が暮れるまでにとランニングに出た。鍵はランニングのズボンのポケットに入れた。

2024.11.18

日が暮れた頃にゆっくりビーチまでの片道3km弱を往復45分ほどでランニング。もう少し家からビーチまで近ければ、ビーチ沿いを走るなんてこともできるのだろうけれど、今の体力ではビーチまで走るので充分だと思ってしまう。自転車であればビーチまで大体10分なので、自転車で行ってしまって走るというのも一つだが、ビーチだけを走るというほどにはぼくはまだランニングに注力していない。今はランニングが、1日の中では「気分転換」の一つくらいでしかない。この街の寒く暗い冬を乗り越えるための秘策として、ランニングを始めたくらいのことなので、まだ継続できるのか、そもそも走り続けたいと思えるのかすらわからない。ぼくの生活から走るという習慣がなくなって久しいが、また5年以上前の頃のように毎日10km弱走ってから仕事をするというようなことになるのだろうか。あの頃は走らないとどうも心が落ち着かなたった。人の人生というのは5年でどのくらい大きく変化するのだろうか。この5年で社会は大きく変わったし、自分の身体も変化した気がする、表情も、体から放たれるエネルギーも変化したような気がするが、自分のやっていることはそれほど変化していない。むしろ、同じようにまだ悶々としてお金を稼ぐことと自分の仕事を作ることがまだ形にならないという堂々巡りをしている。5年前と同じように自分の社会における意味とか人生を生きる意味みたいなものを考えながら生きていても、自分がどれほど社会に価値があるのかなんて想像もつかないし、人生でぼくが何を得ることができるのかすらわからない。少しくらいは社会に価値があったり役に立っているということを願うが、具体的にいうとお店に行ってもそれほどお金を使うわけでもなければ、人の作ったものの全てを買っているわけでもないので、経済すら回せていないかもしれない。しかし、「何かをやろうとする意思」みたいなものはきっと人々に伝わっているのではないかと時々知人や友人らと話していると思う。最近、同世代の友人らから「ジュンは勇敢だ」ということをよく言われるようになった。別に自分自身では勇敢だとすら思っていなかったが、そうやって勇敢だと思ってくれている人がいるということは自分自身を誇らしく思えることであると思うし、ぼくもその形で人に何か刺激を与えているといいなと思う。
希望を語ることをぼくはそれほど自分がしたいとは思わないが、それ以上にやりたいことに向かっている姿や、冬のヨーロッパみたく暗く先の見えないところで忍耐強く自分のやりたいことができるように火を絶やさない姿は自分らしくもあると思うし、そんな風な姿をしている人からは大きな刺激をもらう。誰かにとって自身もそんな存在であればいいなと思う。
5年間の変化とか、成長、そんなことを考えるのならもう少しこの文章だって丁寧に書けばいいのにと言われそうだし、自分でもそう思った。まあ、これは、これだ。
22時にベッドに入り、大江健三郎『河馬に噛まれる』を読みながら就寝。koboは読みやすいが、そのまま寝落ちをしてきちんと寝れているのだろうか。

2024.11.17

なかなか天気の良い日曜日。10時にアヤさんがうちに来る。聖子ちゃんがシナモンバンズを焼いてくれたので一緒に朝食を食べる。聖子ちゃんのシナモンバンズを久しぶりに食べたが、さらに一段とパワーアップしたように思うけれど、きっと聖子ちゃんのことだから毎回少しずつレシピを変えていて、同じものを二度と作らないのだろう。だから、今日の味を再現するということはない。久しぶりに会ったこともあり、また仕事っぽいことまで話していたので、結局14時半過ぎまで話していて、穏やかな日曜日の昼だった。その後、聖子ちゃんはデッドラインの近い仕事を終えるために机に向かったが、ぼくはどうも眠くて仕方ないので昼寝をして、18時ごろに起きて買い物へ行く。焦ることややることはあるけれど、それでも諦めて寝てしまったりパソコンを開かなかったりする日も大切だなと思いたい。
夕食後、Wim Wenders『Perfect Days』を鑑賞。今年は、会う日と会う人、日本人だというと、みんなこぞってこの映画と安藤忠雄の話をするもんだから、とてもイライラしていたが、そのまま見ないでイライラしていても仕方ない、と思いつつyoutubeでレンタルして鑑賞。映画を観ている途中から、最近ぼくが持っている「ある感覚から打破できない」というような自分自身をふわっと纏っているモラトリアムとでも言い換えられる空気がこの映画によってさらに膨張したような気がして少し落ち込んだ。それに加えるように、鑑賞する前からトレーラーや人から話を聞く中でぼく自身がかなり警戒していた高齢労働者や独身生活の賛美、特に高齢者が「自由」に悠々自適に生きることを美化するような構図が美化された形で表現されていて、日本の社会の不透明さを表しているようで嫌気がさしてしまった。「自由」というのはそんな意味ではないはずだというのがぼくの意見だ。ぼくたちは、自由の意味を取り違えはしないだろうか。もちろん、このような生活スタイルは、日本に昔からある美意識ではあるとは思うが、同時に、これが大企業や何かの国の政策やプロジェクトによって称賛される構図はどうにも気に食わない。さらにエンディングに流れる協賛をみていると、大手企業がお金になりそうなことに同じように飛びついているように見えて悲しくなり、いや、大手企業が中小企業のように手を取り合ってお金を生もうとしている姿に日本という国の国力低下を見るようでどうも悲しくなったというべきか。映像に映り込むコンビニの食事や、社会性のない親、しつけのない子供、意固地になった老人、自然に振る舞うが故のホームレスという生き方、今日本が持っている閉鎖感をただ映しているというように感じた。社会の歪みや個々人の忍耐へ背を向ける姿が、孤独を生んでいるというようにも捉えられたし、孤独であるが故に社会との隙間を埋めるような存在として子供に笑顔を浮かべられたり、ガールズバーの女の子から気に入られたりするという
意固地で孤独でその瞬間を生きるおじさんを勇気づける側面を持った映画でいいのだろうかとも感じた。現代の日本が抱えているだろう社会問題との関係が見えてしまい、ぼくはこの映画をやはり素直に良い映画だとは言えないし言いたくないと思った。観ながらなんとなくWalker Evansが、労働者を撮影した背景にはルーズベルトのニューディール政策を正当化するための写真であったことを思い出した。それは労働を賛美するだけのものではなく、有権者たちに政策を認めさせるものであった。そういう側面では、Walker Evansの写真がきちんと写真の価値を持っているのかなとも思えた。まだいうならば、もちろん自分自身がこうなりかねないという同族嫌悪のようなものを感じたことも、強く否定したくなる一つの要因でもあるのだろう。笑み、悲しみなどの表情が妙に大袈裟であるし、それを見せないまでにも想像できるだけの物語が語られていて、鑑賞者の余白のない、映画だなと思い、映画ではなくこれは映像広告だと思った。役所広司演じる平山の多くを話さない男らしい時々声を出した時の声の掠れ具合は素晴らしかった。
自分の書き記したことから、逃げるようで申し訳ないが、とりあえず、今はこう思っているのだと言っておきたい。ぼくは個人的な感情や今自分がいる現状、抱えている悩みを大元にしか何かを見ることができない。だから、自分が変わればものの見え方も大きく変わると思っている。心が大きく、豊かに真っ当に生きれるようになればこの映画の新たな側面も再発見できるのかもしれない。

2024.11.15

 朝、近所に住むアヤさんとLisaに誘われていたが、早く起きれず。朝起きると、彼女たちから「10時に待ち合わせしましょう」と連絡が来ていた。起きたのは9時過ぎだったが、色々していて結局メッセージを見たのが9時45分だった。聖子ちゃんも寝ているし、ぼくもまだ何の準備もしていないので、時間をずらしてもらって、10時半くらいに準備ができたので目的地に向かって歩いていると、話を勘違いしていることに気付いた。目的の場所は歩いて15分くらいの場所ではなく、歩いて30分のところだった。すでに約束の10時から30分遅れて出発していたので、さらに30分、合計1時間も待たせるのは、どうも申し訳なくなり断りの連絡を入れた。二人で少しその辺を散歩して家に帰って、コーヒーを淹れて、Du pain et de ideesのPain des Amisに、Galerie planète rougeでいただいたノルマンディーのハチミツを塗って食べた。
今日もひたすらに営業メール。どのくらい返事があるのかはわからないが、送らないことには何も始まらないし、ぼくたちのような小さな出版社が恐れることなどは何もない。本が売れないことには、書店に並ばないことには作家も悲しむのではないだろうか。もしこれを趣味でやっていると思うと、趣味に時間を費やしているような人生は豊かだなと思うけれど、もしこれをお金稼ぎとしているのであれば儲けの少ないことに対してもっと悲壮感を漂わせていないといけない。趣味なのか、金稼ぎなのか、そんなことを決めたところで、人々の態度が変わるわけでもないけれど、自分たちの考え方が変われば人の態度も変わる。現状、趣味か金稼ぎかどちらかに決めることなど非常に難しいし野暮ではある気もするのだけれど、少なくともアーティストと本を出したいという熱意と、良い本を作りたいという気概があり、自分たちの未来に対する少しの提示ができればいいと思っている。それから、自分が穴に落ちずに転がり続けることができるのか、もしくは一度穴に落ちたとしてもその穴から何をきっかけに這い上がることができるのかを、自分の体を持って体験する以外には人生が自分に与えてくれるものを受け取ることができないのだから、趣味だろうが金稼ぎだろうが継続するしかないのである。
昼は、昨日のスープの残りとクスクス、こんな食事を与えてくれる食堂がうちの近くにあればいいのになと思った。そのお店に行けば毎日日替わりのメニューがあり、何を食べても信頼できて、毎日行ったとしても飽きないお店。
今日も昨日に続いて夕方ランニング。今日はほとんど歩かず30分くらいを通しで走った。22時ごろに布団に入り、大江健三郎『河馬に噛まれる』を読み進める。

2024.11.14

コーヒーを淹れるとひんやりとする部屋に香りが充満して、一気に幸せな気持ちになった。冬の空気はツンと張り詰めていて、香りの流れを邪魔しないようである。
日本に帰る前くらいから、なぜ世界中でコーヒーが飲まれ、世界中にコーヒー屋が乱立しているのか、不思議な気持ちになっていた。コーヒーが世界を均一化しているような気がしてならなかった。そんなことを思う日々の中でも、家でコーヒーを淹れている。冬の空気に充満するコーヒーの香りは感情的である、それは旅の道中にあった笑えるトラブルの雰囲気さえを蘇らせて感じさせるし、日常にありながら、不要とさえ思えるほどに感情を蘇らせる。不要な感情など存在するのだろうか。コーヒーを飲みたくないと思いながら、京都で一保堂へ行った。2024年の一保堂の茶房は、閉店時間30分前でも満席で、数人が席を待っている。15年前に持っていたがらんとした暇そうな雰囲気はない。よく母と行っては、テーブルの上に置かれたポットから延々とお湯を淹れ続け、お茶を飲み続けたような空間はもうすでに存在せず、ただただそこで行われるすべてのことに羨望の眼差しを向けた人々か、あたかも慣れていますよと下調べしたメニューを手慣れた手つきで注文するぎこちない人々ばかりだった。社会は非日常のような場所が増え続けているが、一保堂も悲しいけれど非日常の場所と化しているように感じた。もちろん文句を言う自分自身も気づけばその一人であることには紛れもなく、以前と同じように薄茶をオーダーしてみたが、(それは慣れた手つきだったはずだ)自分の慣れた手つきさえも嫌味に感じてしまうほどにその環境は崩れている。ぼくのせいではない、全てが少しずつずれ始めていて、うまく噛み合わないのである。丁寧すぎる接客でお馴染みの一保堂においてさえも「こちらは京都限定のメニューでございます」という一言によって、その丁寧すぎる接客が故に初めての方に向けた言葉と同意義をなし、不思議なまでに気分が萎えてしまう。そんなことを言われないほどに通うべきなのか、それともそれを気にしないべきなのか、もしくは大きな心で社会を捉えるべきなのか、大きな心で社会を受け止めたいと思っていても、目を瞑る以外の方法はそこには存在しないような気がした。社会の変化を受け入れ、それを楽しむだけの心の余裕をどこかに持ち合わせていたいもんだ。15年前にあった雰囲気をそのまま維持することなんて21世紀にはありえないのだろう。Cafe de floreでさえも、ただの観光のカフェである。観光名所として「どんな風に文化を継承するか」ということである。そこに生活の延長にカフェは存在するのだろうか。日本には、独自の文化として引き継がれる茶の文化があってよかったなとつくづく思う。それでこそ日本でのコーヒーという文化の価値が際立つのだ。マイさんとBrunoからAlain Ducasseのタブレットというチョコレートをもらった。それは、ぼくの勘違いだということは置いておいたとしてもAlain Ducasseには感激した。紐のついたミニバッグ型の紙袋に入ったタブレット型のチョコレートには2020年代の雰囲気を感じさせたし、チョコレートはアーモンドがキャラメライゼされ、タブレットサイズのチョコレートに埋まっている。その見た目はまさに13000年前の地層から掘り起こされた化石のようで、見た目にも興味を惹かれたのだが、その佇まいが持ちあわせるプリミティブさに相反するように、チョコレートは繊細な味わいと鋭いテクスチャの楽しみを持ち合わせていた。日本滞在を経て、パリから帰ったぼくには本当にタイミングの良いギフトだった。ただ美味しいものや美しいものではなく、知性と品位があり優雅でユーモアのあるものを追い求めていきたいと思っていたから、このチョコレートはまさに、派手でなく日常的で無意識下に作り手が持ち合わせる性格を形作るようなものであった。Alain Ducasseのチョコレート自体は、日常的ではないのかもしれない。夕方、ランニング。17時半に走り出し、歩いたり走ったりを繰り返し1時間ほど。もう日は暮れていて、街灯も多くはないので思っている以上に暗い。ライトの付いたジャケットを着ている人をちらほらと見かけた。

2024.11.13

やっとデン・ハーグに戻った。10月15日に家を出て、上海でOiviaに会い、千葉の三好耕三さんのアトリエに滞在し、実家のある京都に帰り、再び東京へ行きDover Street Market Ginzaでのイベントに参加し、再び京都に戻り残りの日本滞在を家族と過ごし、デン・ハーグに一瞬戻り、パリへ行きParis PHOTO、Polycopies、Librairie Yvon Lambertでのブックローンチと怒涛の日々を過ごした。
久しぶりに帰った家は、ぼくに落ち着きをもたらし、そしてヨーロッパにいるということを再確認させ、がらんとした空間にヨーロッパのクリーナーの香りが立ち込めた静かな空間からは、どこか自分らしいなとも感じさせられた。
実家も、滞在させてもらった友人たちの家も、自分のいる場所ではないという感覚があった。それがどれだけ刺激的でも快適でも、ぐっすりと眠れようがそうでなかろうが、自分の空間などは1ミリもそこには存在できないほどにその場所にはそこの生活が充満していて、気を抜くとその圧力で追い出されそうなほどであった。人の生活を覗くと、人間の営みが存在する限り良い生活とか悪い生活とかそういうものは決して存在しないようにも思うが、ぼくが滞在した場所には自分の居場所なんてものはどこにもなかった。しかし、家族を含め彼らはみんな自分のベッドや寝室、時に部屋を譲ってまでぼくたちを滞在させてくれたのである。そんな一ヶ月を過ごしたぼくに何をいうことができるというのだろうか。全ては人の家であり、自分の居場所は自分自身で作るのだ、そこは四角い部屋であったとしても、動けば形が変わるバブルのようであった。
昼下がりに日本で買って帰ってきたkoboで大江健三郎『親愛なる手紙』を読み、読了。大江健三郎には、忍耐と思考こそが人間が未来に向かうためには必ず必要なのだと感じさせられ、希望とか勇気という形ではなく、彼の文章には自分の人生のダイレクションをしてくれるような強い言葉がある。そのあと、Paris Image UnlimitedのDavid M. Skoudyと一緒に作った『The Pictures on My Wall』を初めて心の穏やかな状態で読んだ。完成してから、いや完成する前からも何度も見ていたはずなのだが、恥ずかしながら初めて心で感じながら読むことができたというべきだろうか。なんと良い本なのだろうか、デイビッドが写真を選ぶ際に提示していた「オルタナティブメンズウェア」というコンセプトなどはっきり言って意味を持たないほどに、写真選びに芯があり、そして写真一枚一枚が時代の荒波を乗り越えてきた強度としなやかさとを持ち合わせた竹のようで、竹林のような作品群を目の前に自分たちはすごいものを作ったんだなと感じたし、これをきちんと伝える責務が存在するということを改めて感じて、すぐにDavidに感謝と今の気持ちを綴ったメールを送った。

2024.10.11

家から5分ほどのところにある在オランダ日本大使館に行き、免許のピックアップ。
別に悪いことを言うわけではないが、大使館の受付スタッフの態度が気になった。オランダ人なのだろう、英語で話してくれることはありがたいが、全ての言葉が単語でそして命令である。「come」とか「passport?」「put key in the locker」とか、指差しながら「back back」とスキャナーを通らされる。別に意味だけ捉えればなんと言う事もないのだろう、用事を済ませることだけを考えると単純明快だ。しかし、少なくとも何か理由があって来ている人たちであり、そこには困っている人も多いのだ。そして、オランダ語や英語ができない人だけではなく、全ての国籍の日本に関係する人が来る場所である。
競争とまでは言わなくとも、新しい風が吹くことはなく、在オランダ日本大使館の競合他社ができるわけではない。独占することによって怠惰なことが罷り通る社会になるのではないかと今の社会を生きていると思う。自分で自分自身を律することができる、自分自身の価値観を維持することができるのであれば、独占でもいい。
別に、ぼくにとっては免許を取りに行ったくらいの大した急を要する用事でもなければ生活に困るほどのことでもなかった。しかし、在オランダ日本大使館でしか受け取る事ができず、それ以外の選択肢はない。そして、しょっちゅう用事があるわけでもないので、気分が悪くてもまた必要になれば来る必要があるのだ。カフェだとかレストランであれば、気分が悪ければ他のところへ行ける。同時に、ここに来ないといけないのであれば文句を言う権利さえもある。
なぜあんなに丁寧にすら話してくれないような方が受付をしているのかは不思議だったか、とにかく一度中に入ってしまえば窓口の方はとても親切である。他の国の在オランダ大使館の受付も見てみたいものだ。