2100年の生活学 by JUN IWASAKI : 2026.7.30

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2026.7.30

フォトラボFotovaklaboratorium De Verbeeldingへ。Arjanと話していると、いかに自分のスキャン技術が杜撰かということを思い知らされた。しかし、彼はそれを否定するわけでもなく、スキャンなんてものは結局プリントを作るための技術や道具であって、それがどうプリントこそが表現なのだから気にしなくていいとのことだった。
彼は、単純な疑問として、「なぜJunは
William turnerを使うのか」と聞いてきた。ぼくは、このドイツ製のコットン100%の紙が、用紙表面に荒さを持ち、信頼に値するような丈夫さを持っているように思うこと、マット紙でありながらシャープネスを失っていないという点に惹かれている。そして、経年変化に対しても耐えうる。カラーのデジタルプロセスはぼくにとってはこの紙が全てである。オランダでは、わたがみに代表するような日本の紙を使いたい人が増えているそうで、それらの紙への印刷は、作品を柔らかくしてくれることが好まれる理由なのだという。ぼくは「それらの日本の紙はシャープさが失われるので、ぼくの曖昧な写真は、実体のないものになってしまう気がするので、信頼できるようなシャープネスを持ったWilliam turnerを使っている」と話すと、「ある人は『シャープさを失う』とネガティブにいい、ある人は『ソフトになる』とポジティブにいうという」と笑っていた。同じものでも人によって捉え方がそれぞれ違う。まさにそうだ。ラボ作業を終え、アムステルダムに戻り、Café De Lindenで先週オランダに引っ越してきた森くんと話す。1週間ほど家から出られなかったということだったが、初めての場所に引っ越してきてすぐに風邪を引いてしまうのはついてないし辛いだろうなと思った。海外生活にはある種の運と体力が必要だから、一刻も早く体力が回復することを願う。ピッツァも半分残しいていた。