2100年の生活学 by JUN IWASAKI : 2025.3.25

Translate

2025.3.25

旅をすること、新鮮な気持ちで思考を巡らせること、真新しい目で日常に帰ること、料理をして人を家に招いてそれらを共有すること。21世紀にぼくたち人間が出来ることはそんなことではないか。それから、たくさんの思っても観なかった失敗や、恥をかくこと、内省、許し、とか。人間に本当に何ができるのだろうか。戦争なんてするべきではない。ましてや人間不在のドローン同士の戦争など、出口はどこにあるのだろうか。
久しぶりにステラと散歩したが、滞在先がとても楽しかったのか、無法状態である。日々の小さな積み重ねなんてものは1週間もすれば忘れてしまうのだ。右へ左へ気が向くままに進み、突然何かを見つけ走り出す。野生の勘がこれほどに鈍らない動物というものに憧れると同様に、彼女が犬でよかったなとも思えた。ステラと歩くのは楽しいが、時々彼女がリードに繋がれたままであることと、ぼくも同様に彼女を離さないようにリードを掴んでいる、それはぼくがリードに繋がれている状態とも言えるが、この一本の紐を離せば、ぼくたちはお互いに違う方向へ行ってしまうだろう。お互いに自由を見つけるだろう、そして多くのストレスから解放されるだろう。しかし、長い時間の流れの中でしか感じ取ることのできない大きな愛を失うことになる。苦難や苦悩というのは、人の人生に深みを与えるのだろうか。もしくは、ただ単純に苦難は苦難で、苦悩は苦悩なのだろうか。ぼくが今そう信じたいのは、苦難や苦悩の中でしか感じることのできない確かなものが確実に存在し、その暗い部屋の隙間から漏れるような弱々しい光を掴もうとする試みだけが与えてくれるものが存在するということである。
イタリア滞在中に歩き過ぎたのか、イタリアの途中からずっとお腹が痛い。日本にいる時にも頻繁に起きていた左肋骨の裏側の痛み。肩や腰まで痛いので、姿勢の悪さからくるものだと思うが、食事をしても痛む。ストレッチと姿勢の意識。