2100年の生活学 by JUN IWASAKI : 2026.2.27

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2026.2.27

そういえば、seikatsuでのI MURI IN ITALIA最終日に、アーティストの加瀬透くんと本田千尋さんが展示に立ち寄ってくれたようで、メッセージをしていた。先日、加瀬くんがgraphic tripというポッドキャストに出演していたので、聴いたのだが、彼が自分自身の具体的な社会の立場みたいなのを認識できてることにうらやましくなった。ふとした言葉だったかもしれないけど、彼の口から出た「自分がやることで、みんなもこれもやっていいと思える」ということを話していて、その何気ない言葉が自分のいる場所とか自分のいる流れとかが認識出来てるんだなと感じさせた。ぼくは彼に超個人的な事象を愛しながらも、社会的な側面への意識があるのではないかと感じていたので、その言葉によって「やっぱり」と思ったのと同時に、彼が一個人として社会的な役割を果たしてる気がしてうらやましかった。
他人と比較する必要もないけれど、ぼく自身のことを考えてみると、自分の作品作りも出版社もそうだけど、社会や未来のためになることを大きくは目指しながらも、やっぱり超個人的な事象とか趣味に囚われている。誰かが見つけてくれたらと思ってしまってるので、鑑賞者からするとどこから手をかけてどう理解していけばいいのかと感じるのではないかとよく考える。
というようなことを話していると、彼から「直接、影響が表象に表れる訳じゃないかもだけど、その姿勢というかに刺激を受けている」と返事が来た。さらに、「結果は常にわからないというか、今は良くてもあとでダメになったりとか、後で良くなったりとか、人生は時期によって色々だと思うし、結果はいくらでも書き変わっていくから、なんだかんだ大切なのは、姿勢とか態度だと思ってる。」
結果を着実に積み上げているように見える人からその態度の重要性を学んだような気がしたのだが、というような会話が直接言葉を交わさずにコミュニケーションできることにどこか悲しさを含みつつも、同世代で同じ土地を知る人が意思を持って活動しているのがぼくはとても嬉しい。