2100年の生活学 by JUN IWASAKI : 2026.2.15

Translate

2026.2.15

実際的なことを意識するが故に、失っているものがある。例えば、実直に料理をしようとすると、物事が順調に進みすぎるだろう。気付けば完成している。
それは確認作業のように、日々のルーティンの中に溶けるように消えてなくなり、掃除から料理の間に確実に存在する焦りやめんどくささなどが自分の生活からするりと抜け落ちていくのである。
それらのような日常がぼくに与えてくれるものを素直に受け取ること、素直に受け取る柔軟な心を持つことこそが、ぼくの思う「生活」であり、生活実践であり、決して料理をしたり掃除をしたり、好きなインテリアや作家のカップやお皿を揃えること、フェルトを椅子の足につけたりを美徳としているわけではない。むしろぼくはそれらさえをも強く否定するように生きてきたつもりである。それでもなおぼくが「生活を大切にしている」とか、「丁寧な暮らしをしている」と言われると、ぼくのことなんて彼らは全く理解していないと思うし、その理解度の低さに正直うんざりするし、その理解度を憂いてしまうほどである。
生活とは、料理でもなければ物を集めることでもいい家に住むことでもない、一言で言うなれば人生の実践である。2100年の生活学とは、22世紀を生きる人たちに向けた市井の人間の実践の記録である。丁寧な暮らしではない。