昨年、Standart Magazineから刊行された写真集『A Measure of Life』の序文を書いてほしいとDavidから連絡をもらってからひたすらにコーヒーにまつわる本を読んでいたのだが、その中に片岡義男『珈琲が呼ぶ』を読んだ。ぼくは片岡義男にハマったこともなければ、そもそもちゃんと読んだこともなかった。結局、半分くらい読んでみて自分が書きたいものとの親和性やきっかけを見つけられなかったので、序文を書き上げるまでに全てを読み終えることはしなかった。今日体調が優れないのでベッドの中でまた最初から読んでいたら黒澤明監督『素晴らしき日曜日』についての描写が描かれていたので、『素晴らしき日曜日』が観たくなり鑑賞。今まで観たことがなかったことを恥じるほどに、素晴らしい映画だった。戦後の生活に困窮した厳しい現実に直面しているくたびれたカップルが、失いかけていた夢と希望、自分たちのベーカリーカフェを持つこと、を再び持つことによって、更生していく姿を描いていた。
劇中では、女性は人生を悲観的に捉えているのではなく、夢や希望を持つことによって人生を肯定的に捉えているように描かれているように見えたし、さらに女性には基本的に度胸があり楽天的で、その特有の力は、困難から人間が更生するには必要不可欠なのではないかと感じられた。それは男女の話ではないかもしれないが、度胸と楽天性はぼくが人生において持つべきだと常々感じている要素の一つである。自分には、持ち合わせていないので、子供がいたら、学業よりも何よりも、真っ先にその二つを育てるような教育をしたいとずっと思い描いている。
劇中では、女性は人生を悲観的に捉えているのではなく、夢や希望を持つことによって人生を肯定的に捉えているように描かれているように見えたし、さらに女性には基本的に度胸があり楽天的で、その特有の力は、困難から人間が更生するには必要不可欠なのではないかと感じられた。それは男女の話ではないかもしれないが、度胸と楽天性はぼくが人生において持つべきだと常々感じている要素の一つである。自分には、持ち合わせていないので、子供がいたら、学業よりも何よりも、真っ先にその二つを育てるような教育をしたいとずっと思い描いている。