2100年の生活学 by JUN IWASAKI : 2025.12.6

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2025.12.6

新しい展示をする時には友人を失っていっているような気持ちになる。今展示の準備をしていてそんな気持ちになりそうだなと少し感じている。それから、自分が行ったことのないような場所に一人で行くのも同様である。仕事でロンドンに行き、予約してもらったホテルに泊まった時もそうだった。今日も天王洲のホテルに泊まってもそんな風に思えてしまった。仕事できているのだから、と思うと同時に自分になんとなく似つかないようなところに泊まっているような気分になって、友人を失っているような気持ちになる。
エミさんの展覧会に中目黒のdessinへ。クリスとアンダースくんにも会えた。ぼくが23歳の頃に見ていた彼女たちは伸びやかで控えめで美しかったし、彼女たちとの出会いは、人生の中でも全く小さくない衝撃だった。聖子ちゃんとお互いに違う場所で素敵なカップルを見たという話になり、その後、Piedimonte's というスーパーマーケットで見かけたので声をかけた。ぼくが手に持っていた1Lのアイスクリームが溶けるほどに長話をした。その後、ある昼下がりにTerra Madreというビオショップで、スイカを抱えてレジに並ぶクリスと出会った。彼に誘われるままに家に行き、また話が盛り上がって夕飯にラムショルダーとクスクスまでご馳走になったのをいまだに鮮明に覚えている。その後も何度かお家にお邪魔したり、Phoenixのライブの後にアイスを食べに行ったり、お茶をした。そんな方々とまた再会出来て、特にクリスとはあの頃よりも話せるようになっていることがとても嬉しい。ぼくがあの頃に比べると英語が少しくらいは話せるようになったことだとか、自分のやっていることがあの頃よりもかなり具体的になったことだとか、そんなぼくの個人的な理由のみであるがあの頃以上に今の方が幸せを感じられるほどに会話ができる。背筋をただしてくれるような、自分の錨をどこに落としていたかを思い出させてくれるような、立ち返ることができる場所のような存在でぼくにとってはとてもじゃないけれど届きそうもない特別な方々である。
次の予定まで時間潰しのように中目黒と代官山で店に入ると切ないまでにクリスマスソングが流れている。当たり前の生活をする人たちの横をかき分けて、ヒルサイドテラスのヒルサイドパントリーの自動ドアを開けた。扉が開いたと同時に立ち込めたヒルサイドパントリーの香りに一気にここに帰ってきたのだという気分にさせられたし、なんとなくぼくが幼稚園児の頃に親と友達と北山に遊びに行っていた頃のような気分にさせられた。本当にその香りがあったわけでもないだろうし、ましてや幼稚園の同級生と北山に行っていたのかすら曖昧な記憶である。それでもこの香りは、ぼくを北山にいた幼稚園児の気分にさせてくれる。マキアートを注文し、丸テーブルに腰掛ける。次の予定までの30分程度の時間、ふとぼくの心の中におどろくほど静かな時間が忍び込んできた。ぼくは新しい展示や活動をすることによって本当に強くしなやかな人間関係を築けているのだろうか。慌ただしく過ぎ去る日々の中でたくさんのあるべきだった、もしくはそこにあった感情を失ってはいないだろうか、とふと物思いに耽った。
代官山蔦屋書店の15周年イベントにご招待いただいたので参加。いつも担当してくださる坂西さんとひたすら話す。石山さんとも会い、何人かを紹介してもらった。3週間という短い間に、きちんとした食事を食べたいと思うが、毎回予定している以上に時間がすぐに過ぎ去るし、人情を捨てて大胆に話を切り上げて次の予定に進むことを得意ではないので、結局少しずつ予定が狂うか、もしくは自分を犠牲にして、移動にタクシーを使ったり、終電を逃してタクシーで帰るような羽目になるのである。今夜は、食事をするタイミングを失い、なんとなく消化不良のまま天王洲のホテルに戻った。