2100年の生活学 by JUN IWASAKI : 2025.12.14

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2025.12.14

 旅先には何があるのだろうか、家族や友人のいる街から離れる寂しさを普段はあまり感じないのだが、今回はみょうに悲しくなって空港に向かう途中涙が出てきた。聖子ちゃんがいるオランダにぼくは戻るわけだが、二人にとってのオランダは憧れている、住みたい土地だろうか、本当に帰るべき場所だろうか。だれらか頼まれたわけでもない、そこにいないといけないわけでもない。ただ、そこに自分の意思で家を借り生活をしている。そこを住まいとし仕事をしている。何かもっとポジティブなものは存在するのだろうか、その街に自分の持っている全てを捨ててでも住みたいと思うようなものはあるのだろうか。そんなことを考えていると涙が出てきた。はっきり言って、ぼくが住む海のある田舎町にはぼくが好きなものなど全くと言って存在しない。好きなパンもなければ、好きなコーヒー屋もカフェも、映画館も、ギャラリーも、好きなフォトラボもない。家はまあまあ気に入っているが、これだけの家賃を払っていれば好きという気持ちさえ失われる。家にある家具ももちろん好きだが、もっとあるだろう。気候だって好きじゃなければ、乗っている自転車だって、好きじゃない、ステラの散歩道だってそんなにいいところもない、友人もいない。それなのにぼくはその場所に何の理由があって住み何の理由があって戻るのだろうか。
家に帰り扉を開けると、懐かしい香りがした、懐かしい風景がそこにはあった。そこには自分の家だなと思わせてくれるものがたくさん存在した。日本ではどこにいっても感じられなかった。実家に帰っても、安心はするが自分の場所ではないと思ったし、ホテルに泊まっても友人の家に行っても同様だった。オランダに何も好きなものはないかもしれない、だけれど、ぼくが実際に住んでいる家がそこに存在し、その家は扉を開けると懐かしい風景を見せてくれ、懐かしい香りをさせている。それは自分の家だと思った。