2100年の生活学 by JUN IWASAKI : 2025.11.17

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2025.11.17

Paris PHOTOで作品みて、自分が制作で試みていることがいかにParis PHOTOやギャラリーが作品を販売することに不向きかということを感じた。世界には偉大な作家がたくさんいて、有名無名、制作方法、手法に関わらず多くの素晴らしい作品がある。何をどう捉えるかは人それぞれだろうが、時代も趣味も飛び越えて本当に色々な作品が存在している。一貫しているのは、作品としての魅力があることだ。何よりも単純に写真がとても上手だなと思う。上手とは何か、という話はさておき、上手なのだ、そんなことは大前提である。ぼくもいつか自分の作品をこの場所で見たいし、お客さんがどんな風に見てくれるのかに興味がある。誰かに見てもらうには、継続するしかないし、そして発表し、誰かに見せる以外に方法はない。そしてギャラリーに所属するしかParis PHOTOで作品を見せることはできない。
Burnoとマイさん、Nigelと、聖子ちゃんと、5人でApres Midiでランチ。この通りには、昔ウォーホルが住んでいたのだという。ぼくもこの通りに住んでいたことがある、と思ったがみんなの前では口に出さなかった。食後みんなでLe Bon Marche Grand Epicerieへ。お土産を買った。最初、マドレーヌやフィナンシェを6個くらい手にとっていたが、聖子ちゃんに「お土産いつ渡すの?多分パサパサになってるよ」と言われ、そっとそれぞれを元々あった棚に戻した。Nigelはそこで別れ、4人でCafe de Florへ。またBrunoがコーヒーを出してくれた。金の切れ目は、縁の切れ目だと渡邉さんの話を聞いて考えていたので、なんだか申し訳ない気持ちになってしまった。お金だけが人間を繋いでいるわけではない、とても幸せなことに配慮や気配りができる人々がに囲まれているのに、ぼくはなぜそれほどまでに気が回らないのだろうか。いつもたとえばご馳走してもらった人にはお礼しか言えないが、それをまた他人にしてあげようと思える。本当にそれでいいのだろうか、もしくはそれが社会のあり方なのだろうか。もう今日においては何をすることもできない。自転車で、Gare du Nordまで走り、18時半のユーロスターでオランダへ向かう。