犬の散歩中に他の散歩中の飼い主とすれ違いの時に話すことがある。犬同士がまず挨拶をして、クンクンと匂いを嗅ぎ合い、それを眺めながら、Hello!などと飼い主と挨拶を交わすのだが、ここはオランダなので大体Goedemorgenなどと言われる。彼らがオランダ人かどうかは知らないが、エクスパットだとしても挨拶くらいはオランダ語でしようか、みたいな調子の人もいる。で、まあ大体その後、犬同士が相性が良さそうなら、君の犬は元気だねとか、美しいねとか、若いのか?とか、男か女か、などという定型的な質問なり会話の導入部に差し掛かる。
ぼくはもうすぐで2年になるのにオランダ語を話せない、いい加減失礼極まりない人間なので、少々のオランダ語さえも覚えようとしていない。英語しか使わないエクスパットである。遠慮もなく、日本で英語で注文などしてくる人がいたら少し悲しい気持ちになってくることもあるのに、である。まあ、それは今日のトピックではないので、話が横にそれる前に戻すと、ぼくもみんなの例に漏れず、犬同士の様子をみて、「Is your dog, Boy or Girl?」など聞いているが、ご存知の方も多いだろうが、ぼくは舌足らずで日本語の発音にも問題があるように、英語でも音が出せないものがある。一般的にRとLは日本人には難しい発音だと言われるが、ぼくにはその本当の音すらわからない。Male or Femaleというと、Lの発音が難しいぼくにとって、Boy or Girlしか口にできないのである。しかし、Male とBoyの間に具体的な輪郭を描くニュアンスが確実に存在していて、ぼくの英語会話にはそれが欠落しているのである。学校で英語の勉強を頑張ってきたとかいうわけでも、英語の特訓を受けたとか、そういうのではないものの、それなりに英語で話すことに親しみなり、日々の中でコツのようなものを掴んできたように、自分自身ではおそらく無意識の中で自分の話し方を掴んでいるので、別に何かするのが嫌なわけではないのだが、慣れてしまっていることで、自分がどんな風に話すと伝わるのか、何か自分の語彙力なり、発音の悪さなりを補填する動きとか、道具とかを無意識に利用しすぎて、ぼくの英語での会話ではMaleとBoyの間に具体的に存在するニュアンスを失い始めているのだ。
おそらく、日本語でも語彙力の幅とか、話し方の癖とか、話したい方法とか、口調とか、そういうものは存在していて、失われているニュアンスは存在しているのだろうが、もしエクスパットが慣れだけを頼りに非英語圏で英語だけを使用していると、語彙の幅も、具体的に存在する曖昧さを表現できずに生活を送ることになっているのではないだろうか。ぼくは、それに非常に警戒をしている。そうやって捉えられないグレーからしか得られないものを受け取らずに生きてしまっているのではないか。
今日も朝の散歩中に、Is your dog, male?と尋ねてみたが、ポカンとした表情で聞き返された。Boy?と言ったら、yesと言われた。
ぼくはもうすぐで2年になるのにオランダ語を話せない、いい加減失礼極まりない人間なので、少々のオランダ語さえも覚えようとしていない。英語しか使わないエクスパットである。遠慮もなく、日本で英語で注文などしてくる人がいたら少し悲しい気持ちになってくることもあるのに、である。まあ、それは今日のトピックではないので、話が横にそれる前に戻すと、ぼくもみんなの例に漏れず、犬同士の様子をみて、「Is your dog, Boy or Girl?」など聞いているが、ご存知の方も多いだろうが、ぼくは舌足らずで日本語の発音にも問題があるように、英語でも音が出せないものがある。一般的にRとLは日本人には難しい発音だと言われるが、ぼくにはその本当の音すらわからない。Male or Femaleというと、Lの発音が難しいぼくにとって、Boy or Girlしか口にできないのである。しかし、Male とBoyの間に具体的な輪郭を描くニュアンスが確実に存在していて、ぼくの英語会話にはそれが欠落しているのである。学校で英語の勉強を頑張ってきたとかいうわけでも、英語の特訓を受けたとか、そういうのではないものの、それなりに英語で話すことに親しみなり、日々の中でコツのようなものを掴んできたように、自分自身ではおそらく無意識の中で自分の話し方を掴んでいるので、別に何かするのが嫌なわけではないのだが、慣れてしまっていることで、自分がどんな風に話すと伝わるのか、何か自分の語彙力なり、発音の悪さなりを補填する動きとか、道具とかを無意識に利用しすぎて、ぼくの英語での会話ではMaleとBoyの間に具体的に存在するニュアンスを失い始めているのだ。
おそらく、日本語でも語彙力の幅とか、話し方の癖とか、話したい方法とか、口調とか、そういうものは存在していて、失われているニュアンスは存在しているのだろうが、もしエクスパットが慣れだけを頼りに非英語圏で英語だけを使用していると、語彙の幅も、具体的に存在する曖昧さを表現できずに生活を送ることになっているのではないだろうか。ぼくは、それに非常に警戒をしている。そうやって捉えられないグレーからしか得られないものを受け取らずに生きてしまっているのではないか。
今日も朝の散歩中に、Is your dog, male?と尋ねてみたが、ポカンとした表情で聞き返された。Boy?と言ったら、yesと言われた。