2100年の生活学 by JUN IWASAKI : 2025.10.5

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2025.10.5

季節のせいか、エネルギー不足である。エネルギーがないので何も考えずに体を動かすくらいしかできない。ステラとビーチまで歩く。
最近、人や犬が死んでしまうことばかり考えているように思う。もしくは、死ぬとまで言わなくとも、今ある状況が続くわけではないということをよく考えている。
今日、ステラと散歩をしていると足の悪い犬が遠くからやってきた。左足に黄色い包帯を巻いた毛のふわふわした明るい茶色のポメラニアンだった。その足を歩を進めるスピードをみて、ステラもいつか、足が悪くなったりするのだろうかと思った。歩くのを嫌になったりするのだろうか、そして生き物である以上最後には息もしなくなってしまうのだろう。そんな風に考えていると涙が出そうになるし、胸がギュッと締め付けられるような感覚になり、息も苦しくなる。ぼくはよくできた人間ではなく、卑劣で欲張りだ。時々、ステラがいなかったら旅行にだって簡単に行けるし、家探しだってもう少し楽にできるんじゃないかとか、邪魔という言葉はかなり乱暴すぎるが、もしいなかったらということを考えることがある。損得だけではないが、いることによって自分が楽しまされていることを差し置いて、だ。そんな下劣なことが頭に浮かんだときは、「卑劣な考えしか持てないなんて悲しい人間なんだろうか」と自分の思考を叩き割るのだが、それは今の現状を打破したい、停滞している自分自身への不甲斐なさを何か周りのものに責任を転嫁させているだけなのである。そうやってステラなしの生活ならこんなことができるという可能性を考えていることはステラにさえ伝わっているだろうし、ぼくが帰ってきたら吠える理由の一つになっているのかもしれない。それなのに、もし足が悪くなったらとか、動かなくなったことを考えては胸を締め付けらるなどと言っている、欲張りな人間である。そんなことを考えていると、遠くからこちらに向かって歩いてきていた足のに黄色い包帯を巻いた明るい茶色のポメラニアンがステラの前に来た。ステラは彼の足の包帯なども気にせず、一目散に彼のお股に遠慮も挨拶もなしに勢いよく潜り込んだ。人間の無駄な心配も、自戒の念さえをも犬の前では存在しない。