2100年の生活学 by JUN IWASAKI : 2025.10.22

Translate

2025.10.22

 昨日書いたように、日本行きのチケットを買った。そして、その瞬間から、あれこれとやりたいことが溢れてきたし、ずいぶん長く会っていない友人や家族、いきつけのお店のおじさんやおばさんの顔が思い浮かんだが、これくらい自分がやりたいことがあると自分自身でも驚いた。日々の中で消化できていない自分の中にある欲求を解放したいと思うのだ。それは、他の国に行くことを決めた時にも時々思うので、ぼくはこの海のある田舎町での生活では、自分が本来持っている憧れや理想、趣味や嗜好さえをも抑え込んでいるのだということに気付く。いや、抑えているのではなく、それを受け取ってくれるだけのものがこの場所には存在しない。例えば、サーファーが海のない街に住むようなもので、海へ行こうと思ったら心が踊るのと同じように、良いしつらえの服を着て街をふらつき前にある普通のカフェに入り、人を眺める。うるさくない特異なキャラクターを持つ友人に会い、趣味の良い器に入った抑制の効いた普通の料理を食べる。クラブに行く。
そして、それに向けてスケジュール調整を始めると、3週間程度というのはあっという間に過ぎ去ってしまうだろうというのが容易に想像つく。特に、ふらっと帰るわけではなく、仕事や目的があり帰国する場合はなおのことである。スケジュールばかり決めているのもあれだなと思い、何がしたいか何か食べたいか、と考えてみた。食べたいものがあるようだが、特に食べたいものがあるわけでもない。実家の母の作る料理がいいというのは、誰でもが思うだろうが、それを除けば少し遅めのお昼にみりあむでそこの家具の一部のように座っている常連さんの日常に起きるドラマを盗み聞きしながら、カレーを食べたい。平日の夕方に忙しくなる前の静寂の中あるとんきでとんかつを食べたいし、小さい漆のお椀に入ったあさりの味噌汁のついた焼き魚の定食が食べたい。それほどたくさんうなぎが乗ってなくていいから、うな重も食べたい。できれば関東風のものがいい。立ち食いのただのかけ蕎麦も食べたい、それも東京で。東京で食べるそばは濃くて本当に美味しくないし、そばも太いのだけれど、そこには風情がある。風情が美味しい。