昼から日本vsブラジルを観賞。テレビ局も、選手たちも、試合前から気合いが入っていてこちらまで興奮してしまった。ブラジルには行ったことがないが、ブラジル国歌から、土地の持つ鮮やかさや広大な大地に降り注ぐ光、美しい緑を感じ、国歌はよく練られた漫才のようで掛け合わせが、一つ一つの音が持つ表情を逸脱させて、大きな立体物のように具体的な形を纏っているように感じた。音という無形物が、建築のような大きな造形物を形作っている様だった。スピーカー、ましてやテレビ越しの音でそんな風に感じていたところで、君が代が始まった。重さを感じるような薄暗さの中にあるどこかしなやかな軽さという矛盾しているような音と、ブラジル国家のように爽快で美しい夢のようなものではなく、抑制が効いていて、これも日本人が大切にしてきた、もしくは大切にしようとしてきた精神性をうまく表現された国歌だと思った。君が代を聞いているだけはわからないようなもの、時々、対象物が存在することによってそのものの特徴がより際立つことがある。君が代の正しいスピードが知りたいと思った。午後、アヤさんが遊びにくる。