朝起きてすぐにやらないといけないことが頭を埋める。その瞬間に、ベッドから飛び出して、リビングに行き、お湯を沸かす。歯を磨き、顔を洗い、髭を剃る。人に会わない日々を過ごしていると、何が自分の生活を律するのかと考えると、ルーティンである。そして、あの敬愛する人ならどうするだろうかという答えのない問いである。
アワードや紹介文などによって言語化されることは、曖昧であることを否定しているようであり、自分自身もしくは他者の言語力の低さ、ないしは、そもそもの言語の持つ不確実性によって、実体を歪んだ形に形作ることがある。もしくは、狭めた形にすることがある。世界は言語よりも広く柔軟である。同時に、言語は不確実だが、高確率で何かを他者に届けることができる。世界のような圧倒的で曖昧なものをそのまま受け取ることは時に狂気であり、多くの人はそれを拒む。言語化してくださいといわないでほしい、と時々思うが、言語化して欲しい人の気持ちも理解できる。
世界を言語化という小さな箱に収められないためにも、絵画や動きなど非常に理解し難い曖昧なものが存在するのではないだろうか。そして、二元論ではない。組み合わせによって新しい世界を構築することもできる。言葉を使いながらもわざと言葉が足りないという状態さえもが、正しい方向に向かわせることもある。それくらい曖昧なことがたくさん存在する、そんな状態がぼくが思う世界である。だから、カフェでのお支払いは後払いにして欲しいと切に願う。本当にお金がなければ、テラスでコップ一杯のエスプレッソだけ飲んで、勢いよく走り去ってもいいはずだ。
アワードや紹介文などによって言語化されることは、曖昧であることを否定しているようであり、自分自身もしくは他者の言語力の低さ、ないしは、そもそもの言語の持つ不確実性によって、実体を歪んだ形に形作ることがある。もしくは、狭めた形にすることがある。世界は言語よりも広く柔軟である。同時に、言語は不確実だが、高確率で何かを他者に届けることができる。世界のような圧倒的で曖昧なものをそのまま受け取ることは時に狂気であり、多くの人はそれを拒む。言語化してくださいといわないでほしい、と時々思うが、言語化して欲しい人の気持ちも理解できる。
世界を言語化という小さな箱に収められないためにも、絵画や動きなど非常に理解し難い曖昧なものが存在するのではないだろうか。そして、二元論ではない。組み合わせによって新しい世界を構築することもできる。言葉を使いながらもわざと言葉が足りないという状態さえもが、正しい方向に向かわせることもある。それくらい曖昧なことがたくさん存在する、そんな状態がぼくが思う世界である。だから、カフェでのお支払いは後払いにして欲しいと切に願う。本当にお金がなければ、テラスでコップ一杯のエスプレッソだけ飲んで、勢いよく走り去ってもいいはずだ。