6日から3日後の8月9日も原爆が長崎に落とされた。考えたくなくても考えていることは多くあるが、日付というものは、ぼくたちの記憶に残すのに簡単なキーワードとなる。
ある物事についてきちんと考えたり想いを馳せたりするような人が増えれば増えるほど、その出来事は記憶され続けるだろうし、もし考えたくないとしてもいやでもそれがその時期や場所に残ってしまうのだ。
例えば、正月。毎年みんながお節料理を楽しみにして、それについて話せば話すだけ、正月にお節が食べられないということが起きた時に不思議な気持ちになるのである。
8月といえば、そんなプログラムがあったり、ドラマや映画がテレビでやっていたり、戦争について考えたり、平和について考えたり、する機会が増えるべきだろう。ぼくが小さい頃はそんなイメージがあった。8月15日とお盆の死者が帰ってくるという言い伝えがなぜか関係している気さえしていた。そうやって、死について考えたり、過去と今の自分の関係性をその間にある長い時間というものを通り越して見つけたり、ご先祖さまがいつでも自分の頭の上にいることを感じたり、いつだって自分自身を見てくれているような気にさせてくれていた。そんなことが、ぼくにとっての8月だった。
ある物事についてきちんと考えたり想いを馳せたりするような人が増えれば増えるほど、その出来事は記憶され続けるだろうし、もし考えたくないとしてもいやでもそれがその時期や場所に残ってしまうのだ。
例えば、正月。毎年みんながお節料理を楽しみにして、それについて話せば話すだけ、正月にお節が食べられないということが起きた時に不思議な気持ちになるのである。
8月といえば、そんなプログラムがあったり、ドラマや映画がテレビでやっていたり、戦争について考えたり、平和について考えたり、する機会が増えるべきだろう。ぼくが小さい頃はそんなイメージがあった。8月15日とお盆の死者が帰ってくるという言い伝えがなぜか関係している気さえしていた。そうやって、死について考えたり、過去と今の自分の関係性をその間にある長い時間というものを通り越して見つけたり、ご先祖さまがいつでも自分の頭の上にいることを感じたり、いつだって自分自身を見てくれているような気にさせてくれていた。そんなことが、ぼくにとっての8月だった。
話は、ずれたが、やはり8月6日と9日という日本人にとって忘れられない、そして忘れてはいけない日付けは常にどんな時代になろうともどんな形であろうと語られ続けるべきだ。そして、ぼくたち日本人は世界で唯一の原爆被曝国だということをきちんと記憶し、その被爆国として亡くなった人間たちの命を掬い取るように生き続けることができるのではないか。
夜はカレー。なんだかんだと作業が溜まっていて、始めてしまったら一気にやることになった。夜中3時ごろまで起きていたら、途中坂田さんが起きてきた。目をこすりながら「まだ起きてるの?」とだけ言ってトイレに行かれた。
夜はカレー。なんだかんだと作業が溜まっていて、始めてしまったら一気にやることになった。夜中3時ごろまで起きていたら、途中坂田さんが起きてきた。目をこすりながら「まだ起きてるの?」とだけ言ってトイレに行かれた。