先週、一通メールがCairo Apartmentのぼくのメール宛に届いた。「オランダに行くのでお会いできませんか」という内容だった。現在は東京在住で写真の活動をされているトーマスさん。Bowieで話す。
メールにも少し書かれていたが、話しているとPOSTでの森田幸子さんの展示に来てくれていて、Cairo Apartmentを知り、それから頭の片隅に残してくれていたそうだ。その後、共通の知人などからも話を聞くことがあり、つながった。
最近は、みんな知り合い、みんな友達、と感じていて、ぼくの作ったものが本当にどれだけ多くのフィルターを介さずに見てもらえているのだろうかと不思議な気持ちになることがある。
例えば、仲良しの気がいい人が作るものは友人として否定されづらいし、そんな関係を友人と言わないというアーティストもいるだろう、それでも実際にはそんな光景もよく見る。
ぼくはその関係性の中にいることにありがたい気持ちと同様に大きめの恐怖を覚えていて、時にこうやって本を見て興味を持ってくださって活動を知った方々と話せるのは、彼らがぼくの(ぼくたちの)実態を掴んでいるような気がして、心が満たされる。
まだまだ、ぼく自身の活動が批評も称賛も批判も成立しないほどの強度しかなく、知人や友人という間柄でしか成立していない言語のように感じることがありすごくモヤモヤとしている。もちろん、とても嬉しいことに、知らない人から連絡くることも少しずつ増え始めたり、以前書いたようなアルルで突然声かけてもらったような信じられないようなこともある。時々初対面で、「文章読んでます」と言われることもあるし、「JUN IWASAKIの人なんですね」と言われることもある。そう考えると知人や友人だけで成立している言語だけに限らず活動できてるのかなとも思える、か。
しかし、だ。例えば、ブックローンチを開催すると新しく自分自身が作ったものに対してのリアリティのある反応を実際的感じることが出来、心の栄養になる。もちろん、そこには書店やギャラリー、アーティスト、など彼らが既に築き上げてきたものがあり、その上でぼくは踊っているだけだとも言える。現場で、面と向かってものすごく褒められることが増えてきたので、またそれは嬉しいことである。
メールにも少し書かれていたが、話しているとPOSTでの森田幸子さんの展示に来てくれていて、Cairo Apartmentを知り、それから頭の片隅に残してくれていたそうだ。その後、共通の知人などからも話を聞くことがあり、つながった。
最近は、みんな知り合い、みんな友達、と感じていて、ぼくの作ったものが本当にどれだけ多くのフィルターを介さずに見てもらえているのだろうかと不思議な気持ちになることがある。
例えば、仲良しの気がいい人が作るものは友人として否定されづらいし、そんな関係を友人と言わないというアーティストもいるだろう、それでも実際にはそんな光景もよく見る。
ぼくはその関係性の中にいることにありがたい気持ちと同様に大きめの恐怖を覚えていて、時にこうやって本を見て興味を持ってくださって活動を知った方々と話せるのは、彼らがぼくの(ぼくたちの)実態を掴んでいるような気がして、心が満たされる。
まだまだ、ぼく自身の活動が批評も称賛も批判も成立しないほどの強度しかなく、知人や友人という間柄でしか成立していない言語のように感じることがありすごくモヤモヤとしている。もちろん、とても嬉しいことに、知らない人から連絡くることも少しずつ増え始めたり、以前書いたようなアルルで突然声かけてもらったような信じられないようなこともある。時々初対面で、「文章読んでます」と言われることもあるし、「JUN IWASAKIの人なんですね」と言われることもある。そう考えると知人や友人だけで成立している言語だけに限らず活動できてるのかなとも思える、か。
しかし、だ。例えば、ブックローンチを開催すると新しく自分自身が作ったものに対してのリアリティのある反応を実際的感じることが出来、心の栄養になる。もちろん、そこには書店やギャラリー、アーティスト、など彼らが既に築き上げてきたものがあり、その上でぼくは踊っているだけだとも言える。現場で、面と向かってものすごく褒められることが増えてきたので、またそれは嬉しいことである。
人間なので、誰かの友人だからとか、誰からお薦めされたものだからよく感じるということもたくさんあるだろう。しかし、そのような何かを好きになるまでのプロセスがあるにせよ、鑑賞者自身の中にある個人史とか、その時の感情やステージなどによって、喜びと感じられるだけの強度のあるものをぼくは自分の作品として発表したいと思っている。
やはり、もっと勇猛心を持ち無知で無鉄砲な存在ことが閉鎖的な社会を打破するには必要で、ぼくはそれを大声を上げずにも、きちんと自分なりの無鉄砲を実践していたいと思う。
ここ数日集中力がもたないので、なかなかパソコンに向かったりすることができない。
夜はフェンネルのリゾットを食べた。
やはり、もっと勇猛心を持ち無知で無鉄砲な存在ことが閉鎖的な社会を打破するには必要で、ぼくはそれを大声を上げずにも、きちんと自分なりの無鉄砲を実践していたいと思う。
ここ数日集中力がもたないので、なかなかパソコンに向かったりすることができない。
夜はフェンネルのリゾットを食べた。