2100年の生活学 by JUN IWASAKI : 2025.8.4

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2025.8.4

朝からアムステルダムに向かう。デン・ハーグセントラル駅に着くと、人で溢れていた。電車が止まっているようで、人々はあちらこちらと動き回っていた。偶然にも、デン・ハーグセントラル駅で引越しで荷物を運んでいるアヤさんと遭遇。そのまま一緒にアムステルダムへ行く。
半年ほど前に戻ってきたカメラを再び修理に届け、Rijks Museumへ。
聖子ちゃんと交代してCafe de Pelで一服。聖子ちゃんもここでステラを連れて一服していたので、ステラは店員から「また来たのね」と声をかけられていた。CarmenでAnneとCarmenと話す。タイ料理屋で、夜ご飯を食べていると突然身体から大量の汗が出てきた。併せてめまいのような感覚も起きた。上海でJulioがなっていたのと同じような症状だと聖子ちゃんに言われるとなぜか安心して落ち着いてきたが、実際に血流が悪かったり、低血圧血糖値の上下がひどかったりするのだろうが、精神的な問題も大きそうである。そのあとは、家に帰るまでも家に帰ってからも何もなかった。
自分の体調異常に、気になることがあった。帰りの電車もあちらこちらに走り回らされた。
オランダにいると、システムが人のためにあるのではなく人がシステムのために働いていると感じる。例えば、電車の駅ではそのような光景を散見することになる。プラットフォーム2に到着する予定だったものか、遅延の影響でプラットフォーム10に変更になる。もし一本乗り過ごした場合、次はプラットフォーム8に変更になったりする。日本だとそれはなかなかあり得ない。行き先が同じであれば例外を除いてプラットフォームは常に同じであり、電車が遅れたり、自分自身が乗り遅れたとしてもその場で次の電車を待っていればいい。しかし、オランダはあちらこちらへと変更されて、常に掲示板を見ている必要がある。その都度、電光掲示板に表示された番号合わせるように人がゾロゾロとエスカレーターや階段を移動する。特にアムステルダムの駅にはスーツケースを持った旅人が大勢いるので、みんな大移動である。
結局のところ、人々は文句を言うこともなく、それが当たり前だと思っているし、無事電車に乗れ、飛行機に乗ってしまえば、旅のいい思い出なのである。
人々は、いつしかシステムがうまく機能するようにシステムに合わせて動くようになっている。それに何も感じずに受け入れていることも可能だろう。もしくは受け入れざるを得ない人もいるだろう。しかし、少なくともぼくたち人間は人間のための生活を保持しなければならないし、機械やシステムによって自分たちの喜びや楽しみを失うべきではない。