2100年の生活学 by JUN IWASAKI : 2025.8.11

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2025.8.11

 ちゃっぴから突然電話があった。お盆休みだから暇だということと、人の犬の世話をしていてなかなか楽しいという内容だった。ああだこうだと話す。こういう話をしていると10代からほとんど変わってないと思う。
電話というと緊急の急ぎの内容や要件があるようなことしかなかったのだが
年を重ねると、何か要件があったりする際にしか人と連絡を取らなくなってきている。特に、電話やメールなんかはそうだ。返事に困るようなメールや電話はないと思っていたが、返事しなくてもいいような内容の電話やメールが友人から来るというのは自分がいかに堅苦しい頭を持っているかということに気付かされる。ぼくにとっては電話やメールはいつだって質問されることが多く、電話なんてものはできるだけ受話器をあげたくないと思ってしまう。
ぼくは、ソファでスイカを食べながらテレビをみたり、お風呂に入りながら電話をするような時間の過ごし方をこれまでの人生であまりしてこなかったので、そんな生活ができる人に羨望の眼差しを向けている。忙しかったり、仕事に出て、家に帰ると自分のしなければいけないことが待っていたりするからだ。自分が今抱えている生活か良いかどうかなんてものは誰にも判断される必要はない。しかし、何もすることがない、スイカを食べて暇だから友人にでも電話しようかという時に確実に存在するだろう心の余裕が少しくらい欲しい。