2100年の生活学 by JUN IWASAKI : 2025.7.9

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2025.7.9

昨日一日Avignionで過ごし、今日Arlesに到着した。
ローマ遺跡と中世の街並みの残る歴史の息吹を感じる街をふらふらと散歩していると、上質な仕立ての黒いシャツを着た男性に「すいません、岩崎淳さんですか」と声をかけられた。彼は京都在住でRencontres d'Arlesのプログラムの一つの展覧会の仕事で来ているのだそうだ。彼とは、一度書店で面識があったようなのだが、申し訳ないがぼくは全く覚えておらず、その際には大した話をすることもなく事務的な本の受け渡しと挨拶を交わしただけだったが、実は彼はその時点でぼくのことをすでに認識していたのだという。この文章をよく読んでくれていて、以前本も気に入って買ってくれているそうだ。それから、さらに面白い話を教えてくれた。昨年、ぼくが日本に滞在していた際に、六曜社で過去の自分自身を懐かしむような気持ちにさせられるような熱心な会話をするカップルを見かけた。ぼくは、入って左手の奥から2番目の席にカウンターを右斜前に座り、彼らは入って右手のカウンターの脇に座っていた。会話が聞こえるような距離ではなかったのだが、坊主頭の彼の熱心な話し方や彼女のそれに呼応するような仕草が35歳という人生の半分を過ぎたようなぼくが人生において失い始めているだろうものを彼らが具体的に持っているように感じ、それは自分が失っているという感覚でもなかったのだが、どこか懐かしさとまだ「それ」に触れていられるのだろうという羨ましさ、のようなものが入り混じっていた。人を眺めたりぼーっとするのが趣味のぼくは大体において一人でカフェに行くとiphoneなんて触る気にもならないので、その後も物想いに耽りながら彼らを見ていた。真っ直ぐに座ると彼らがど真ん中にいるのだから、目に入ってきていたとも言い訳ができる。気になって仕方ないので彼らの代金も払って店を出た。偶然にもその彼らとも友人なのだという。六曜社の熱心な坊主頭の彼もぼくのことを知っていたのか、その話になったのだという。カフェで、面識もないが文章を好きで敬愛している例えばバーナード・ルドフスキーを見かけて帰りに「お代はバーナードさんがが払ってくださいました」なんて言われると、それが偶然であろうが、ますます好きになってしまうのではないかと思った。彼はもう死んでいるので、それは起き得ない。しかし、代金を支払いたくなったのは、決して彼らがぼくの作品や文章を知っていたからではなくて、彼らの振る舞いが社会的にないしは少なくとも六曜社という場所にとって、京都という街にとって大きな価値があるような気がしたからであり、30分程度であったかもしれないが、ある種の映画を見せられたような気がしたのである。それから、今書いていて思い出したが、彼らの顔を突き合わせて熱心に話す姿に、ぼくはミルクコーヒーをおかわりしたのだった。普段はそんなことは滅多にしない。書いていると気になったので、2024年10月の滞在の頃の文章を読み返そうと思ったが、多忙すぎて何も書いていない。どれだけ忙しくても一言でも何か言葉を残さないと自分が本当に生きていたのか、何か行動をし思考していたのかすらをも感じられない。事実だったかは、今日Arlesの街で偶然にあった彼が覚えてくれているようだった。
道で偶然人に会うのは、いろいろな出来事が重なりあっている。渡邉さんに教えてもらわなければ立ち寄ることもなかった書店や、覗くこともなかっただろうカフェがあり、中世の街並みの中で角を曲がって彼に出会った。彼に出会わなければこんな愉快で心が満たされるような話を聞くことも思い出すこともなかっただろう。そのあと、夏帆ちゃん合流しと聖子ちゃんと1世紀に建てられたと言われる円型闘技場を眺めながらドリンクをしていると、目の前をLore Stsselと友人のNoemiが通りかかった。そのままディナーへ一緒に行った。この街はとてもロマンチックだ。