2100年の生活学 by JUN IWASAKI : 2025.7.8

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2025.7.8

 ずいぶんと旅といえるような旅行をしていないということに今更気付いた。ヨーロッパに来てから、色々と違う国に訪問したり移動をしたりしているが多くの場合、仕事であったり営業であったり、もしくは再訪だったりする。
その中で慣れが自然と生まれたり、はたまた行き先が新しい街だったとしても、旅というのではなく目的地への移動というだけのものになっていた。
旅というのが、ある目的地へ行くこと、目的地から目的地へ移動するだけのものとなってしまっては、旅本来が持っている本質的な価値をつかめていないのではないか。
目的地から目的地の間にある名のない場所はどうだろうか、その目的地から目的地の間にある名のない場所には意味がないのだろうか。ある人からすると曖昧である場所は、またある人の一度しかない出生の地であったり、永遠の愛を誓った土地であったり、わすれられない街であったりもする。ある人からすると曖昧である場所をぼくたち移動する旅人は何もないかのように見過ごしてしまうわけにはいかないのである。目的地と目的地の間にも物事や瞬間は存在し、その土地は風景がある。例え、合理性によって、社会の成長によって形成されたよくあるタイプの街であったとしても、だ。旅人とは目的地と目的地を移動する人ではなく、連なりある世界の分け隔てを自分の歩幅で歩く人のことをいう。

昨日、聖子ちゃんと歩いていた際に、シュヴァルの理想郷の話になった。というのも、今回の旅で、もし時間があれば行きたいと思っていた場所であるからだ。坂を登りながら、「石ころを見つけるまであと、4年だね」と言われた。郵便局員をしていたフェルディナン・シュヴァルは40歳の頃、仕事中に転びそうになった。その原因となった石ころを拾いその奇妙な形に魅了された。翌日、同じ場所を通りかかった彼はさらに奇妙な石ころを見つけたのでまた家に持ち帰り、その後石ころの収集をするようになった。その日から彼は仕事中に見つけた様々な石ころをポケットに入れ家に持ち帰り始めた。配達が終わった夜に積み上げ始めた。村の住人たちは一人で奇怪な建築を造り続ける彼を馬鹿者呼ばわりし、働いていた郵便局の局長からもその奇妙な行動を問いただされたのだが、彼はその趣味に情熱を燃やすのをやめることはなかった。そして、33年かけて自らの理想郷を作り終えた。
ぼくは今36歳である。ぼくが奇妙な石ころにつまずくまでには4年の時間があるのだ。