左の手足が終日じんわりと痺れている。きっと腰痛からくる痺れなのだろうと容易に想像できるが、長時間同じ姿勢で座ったりしていて痺れるようなことはあったが、何もしなくても痺れるようなことがなかったので、とても心配である。さらに左手の親指の外側は感覚を少し鈍らせている。歳を重ねるとさまざまな不調が振り回して蓋を開けた炭酸水のように溢れ出すような感じがある。突貫工事をしてもまた違う箇所が噴き出す。結局、その場しのぎの突貫工事では凌そうにないと思っていても、気付いた頃には噴き出すのをやめていて、まあ大丈夫だったのか、と直しもせずにそのままにしておく。すると、また同じようにある時期を迎えると噴き出す。ぼくの身体はそんな感じである。
今日で品川やでの展覧会Six Songs from the Laundry Roomが終わった。店主品川さんの熱意あるお声がけと理解によって開催にこぎつけたような会だったので、彼には言葉では伝えられないほどに感謝もしている。
本もよく売れてそうだし、来場者からも少なくないレスポンスもいただけた。さらに悩んだ挙句書くことにした超短編も他人に読んでもらえるという良い機会を得て、個人的には文章をもう少しきちんとした形で読んでもらえる機会を得たいと思っていたので、とても貴重な機会になった。さらには彼のぼくの作品に対する超主観的レビューも毎回楽しく読んでいて、自分がどれだけ自分自身の作品に対して無意識かとか、見えていないことを見ようとしてくれている人もいるのだということに感心した。
今日で品川やでの展覧会Six Songs from the Laundry Roomが終わった。店主品川さんの熱意あるお声がけと理解によって開催にこぎつけたような会だったので、彼には言葉では伝えられないほどに感謝もしている。
本もよく売れてそうだし、来場者からも少なくないレスポンスもいただけた。さらに悩んだ挙句書くことにした超短編も他人に読んでもらえるという良い機会を得て、個人的には文章をもう少しきちんとした形で読んでもらえる機会を得たいと思っていたので、とても貴重な機会になった。さらには彼のぼくの作品に対する超主観的レビューも毎回楽しく読んでいて、自分がどれだけ自分自身の作品に対して無意識かとか、見えていないことを見ようとしてくれている人もいるのだということに感心した。
プリント作品ではなく、複製の本を作品という形で見せてくれる方がいること。それから、鑑賞者に言葉を使うべきか、話さないという選択をするべきかを見極めながらその空気を作ることに熱心になってくれたことに。さらには、猛暑の中歩いてコーヒー屋へ作品を見に行ってくれた皆様にもここで感謝の意を表したいと思う。ぼく自身はこの涼しい海沿いの街で部屋に篭り悶々としているだけなのに、好奇心と熱心さを抱えてコーヒーを飲んでくれたことへのお礼は、ぼくには今後の活動を見せ続けていくしかないのである。