社会が閉鎖的である時に、ぼくだって気が大きくなって社会を変革させたいとか、革命的な出来事を起こしたいとか、思っている時期があった。今はそれほどたいそうなことができそうにないと、小さな目の前の事象を変化させられないのであれば、大きな社会変革など存在しないと思っているのだが、それでも自分を含め少しでも多くの人が良い方向に向かず社会がこのままどんどん自由を失い閉鎖的に向かっていくのかもしれない時々絶望的な気分になっている。社会とは人の集まりであり、多くの人が動かない限りは社会は変わらないと思っていた。
しかし、今日なんとなく思ったのだ。社会には、変革していた一人の人間がいる。イエス・キリストだって、仏陀だって、大江健三郎だって、その他社会の方向を変えてきた人は、みんな一人の人間なのである。ぼくにだって一人のゲームチェンジャーを産み出すことやゲームチェンジャーになるだろう彼ら彼女らに大いなる勇気を与えることならできるかもしれない。今はそう思っている。キリストが一人生まれると社会は2000年も大きく違う方向に転換するのだから。大袈裟かもしれないが、社会の変革には自分自身が多くの人間を携えた変革者にならなくとも、1人のゲームチェンジャーを生み出すことができればいいのである。