2100年の生活学 by JUN IWASAKI : 2025.6.30

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2025.6.30

オランダに帰ったものの、パリの暑さもなかなか堪えるものがあったが、デン・ハーグもなかなかの暑さでバテてしまった。昼寝する。
昨日、パリの Fondation Henri Cartier BressonでRichard Avedon『In the American West』の展示を見たが、心に心地よくない引っ掛かりができてしまった。
『In the American West』は、1979年から1984年の5年間の間にRichard Avedonが1000人以上のアメリカ西部の住民を撮影するためにアメリカ西部を旅をして、鉱山労働者、牧畜業者、興行主、セールスマン、豊かな歴史を持つ人々を撮影したシリーズである。ポートレート作品として、歴史的価値があるのだろう。しかし、壁に書かれていた一つの言葉がとても気になってしまった。
「My subjects here are people nobody looks at. But they make the world move. They do the work.」(私の被写体は、誰も見向きもしない人々だ。しかし、彼らが世界を動かしている。彼らは仕事をしている)
本当にそうだろうか、ぼくは困惑してしまった。彼らがアメリカの社会を変えたのだろうし、その時代に見向きもされなかったのかもしれない。これは搾取だろうか、写真を撮ることが彼らにとって何か生活を豊かにすることに繋がるのだろうか。姿勢や、表情、彼らの仕事で失った腕や、特徴などをぼくたちがRichard Avedonの写真を通じて見ることは、どんな意味を持っているのだろうか。
見向きをされないものに目を向けることが本当に良い行為なのだろうか、ぼくは見向きもされないものが、世の中を支えているのは当たり前だと思い過ぎているし、それは人も物語も同様である。見向きもされないような人間であるから見向きもされないような人や物語を語るに値するのではないかとも感じられることもあるし、自分が民衆を変えられるだけの影響力のある人間であったり作品を作れるからそれらに目を向けるきっかけになる作品を作るとも言える。
しかし、見向きもされないような立場にいる今の自分が見向きもされないような物語の重要性を語る『A Song from the Laundry Room』のシリーズと、影響力のあるRichard Avedonが『In the American West』を通じて「私の被写体は、誰も見向きもしない人々だ。しかし、彼らが世界を動かしている。彼らは仕事をしている」というのは全く意味が違うと思った。恐れずにいうならば、ぼくはこの言葉を読んだ時に怒りのような感情を覚えた。
ぼくが作品作りにおいて社会問題をテーマにしないこと、人をあまり撮影しないことの本質はここにある。自分と関係ないことを取り上げて作品にするほどにぼくは人の頑張りを自分の手柄にしたいとは思えない。ぼくにとっては、自らの人生を通じた苦悩や喜び、実験の結果だけが作品にする価値があるのではないかと思えてならないのである。
それにしてもパリの街にFondation Henri Cartier Bresson、興奮するほどに美しい。雑踏を抜けて、ふと現れるモダンな空間に18歳の頃に憧れて初めて訪れたパリを感じる。