明日からパリで、少々慌ただしい。
現地で時間に追われるのも嫌だし、いつも仕事や具体的な目的があって来るので、街をゆっくりと時間をかけて歩いたり、カフェで人を眺めたり、うとうと昼寝をしたりする時間が欲しいと思い、今回はあまり多くの人に連絡を取っていない。ファッションウィークで人々がいろいろなところから集まっているにも関わらず、だ。
そんな想いの中で、彼ら彼女らがパリにいまだに住んでいるとは思えなかったが、10年以上会っていない友人には連絡をしてみた。それは、ぼくが10年前に展覧会『To pretend, I actually do the thing: I have therefore only pretended to pretend. (ふりをする、私は実際にそれを実行する:したがって、私はふりをするふりをした)』をして、それ以来またこうやって自分の作品を展示する機会をいただけたことに対するぼくなりの喜びの表れであったし、10年という月日が経ってもその間全く会っていなかったとしても変わらず彼ら彼女らには各々の人生があったということ、ぼくにも同じように10年の月日で変化したことと変化を拒んだもの、変化せざるおえなかったこと、があるということが、作品を見てもらったり、コーヒーやお茶を挟んで同じテーブルに座ることによって、理解し合えるのではないかと思ったからである。
現地で時間に追われるのも嫌だし、いつも仕事や具体的な目的があって来るので、街をゆっくりと時間をかけて歩いたり、カフェで人を眺めたり、うとうと昼寝をしたりする時間が欲しいと思い、今回はあまり多くの人に連絡を取っていない。ファッションウィークで人々がいろいろなところから集まっているにも関わらず、だ。
そんな想いの中で、彼ら彼女らがパリにいまだに住んでいるとは思えなかったが、10年以上会っていない友人には連絡をしてみた。それは、ぼくが10年前に展覧会『To pretend, I actually do the thing: I have therefore only pretended to pretend. (ふりをする、私は実際にそれを実行する:したがって、私はふりをするふりをした)』をして、それ以来またこうやって自分の作品を展示する機会をいただけたことに対するぼくなりの喜びの表れであったし、10年という月日が経ってもその間全く会っていなかったとしても変わらず彼ら彼女らには各々の人生があったということ、ぼくにも同じように10年の月日で変化したことと変化を拒んだもの、変化せざるおえなかったこと、があるということが、作品を見てもらったり、コーヒーやお茶を挟んで同じテーブルに座ることによって、理解し合えるのではないかと思ったからである。