youtubeで武満徹と羽仁進の対談をきいた。
とても興味深い話が満載だったので、気になる人にはきくことをお勧めするが、その中でも個人的に興味を持った話が2つあった。
1つは、ディジュリドゥの話をしていて、ディジュリドゥとはオーストラリアの先住民アボリジニの楽器で、シロアリに食われたユーカリの木から作られているため形が一つずつ異なる。それをとにかく吹くことによって音を鳴らすわけだが、自然にできたものを人がどう処理するか、という構造は、ぼくが自分の生活に求めるものと同じだと思った。
それから、2つ目は、アフリカの民族ごとに持つ特有の「リズムはずれ」の概念の話をしていてそれも興味深かった。各民族が独自のリズムを持っていて、それはただ踊りなどに付随するリズムではなく、会話とか生活スタイルとかそういうものを指している。
しかし、同じ民族の中でもどうしてもその自分の民族のリズムを掴めない人がいる。彼らはリズムはずれと呼ばれ、現代社会的な考え方の中では排除されるという傾向にあるのだが、
生活にいずれ変化は起きるという風に考えるアフリカの民族は、そのリズムはずれな人を取り残さずに、同じ民族に残すのだという。同じリズムを持った人間だけで一つの民族を構成すると、そのリズムが失われた時にその民族は死んでしまうというのだという。そこで民族の存続を救うのがリズムはずれな人なのである。
ここからはぼくの解釈だが、現代でいうと、ぼんくら、空気を読めない人、気狂い、社会不適合者などがそれにあたり、彼ら(ぼくら)は、現代社会のリズムが崩れた時にも、自分のリズムを失わずに行動をすることができる社会を救う可能性を含んだ人間であるということである。