時間の存在とその大きすぎる価値を忘れてしまっていたと言って良いほどに、いつまでも続きそうなのんびりとした心地よい午後を過ごす。ぼくの同級生が高校生の時にマルジェラのセットアップを着てスケートボードに乗って転げ回っていたように、大きな価値のあるものをたいそうに扱わないことがどれだけ人間らしく人生を謳歌できている状態であるかということを再確認するような午後だった。
先週だっただろうか、30代の壁とか近寄ってくる悪魔の存在とかそんな話をしたが、人生なんて順風満帆だけが正しいとは思わない。ぼくの目には、気をつけた方がいいとか、間違ったところに足を踏み入れてしまってるんじゃないかと思うような友人が何人かいる。少なくともぼくにはそう見えることもある。それに自分自身だってそうだ。ぼくだって大きく足を踏み外しているのかもしれない。しかし、もしそっちに行ってしまうと悪いことになるだろうと思っても、今後の人生が大きく狂ってしまったとしても、当事者のその時のその抱えている感情や心意気は他人の意見によって変えられるべきではない。心意気というものが人間が人生においてそもそも抱えているであろう困難とか、苦悩という大きな穴を飛び越える(もしくは、大きな穴から飛び出す)手助けになるだろう。もし、その先にどれだけ大変なことが、人生が、待ち構えていようとも、ぼくは他人の人生を正すことなどできないのではないかとも思うのである。それがぼくたちの持つべき人生なのかもしれないのだから。思うようにいかないことから生まれた多くの矛盾を含んだ「故障」みたいなものをたくさん抱えた不完全な人がいるのであれば、ぼくはそんな人を愛していたいし、また大きな穴の底から上を見上げている人がいるのであれば、ぼくは自ら彼ら彼女らの声が聞こえるところまで降りて行き、一緒に大きな穴から這い上がりたいと思う。時に、穴から這い上がることは本人にのみ許された行為であることは承知だとしても、だ。
先週だっただろうか、30代の壁とか近寄ってくる悪魔の存在とかそんな話をしたが、人生なんて順風満帆だけが正しいとは思わない。ぼくの目には、気をつけた方がいいとか、間違ったところに足を踏み入れてしまってるんじゃないかと思うような友人が何人かいる。少なくともぼくにはそう見えることもある。それに自分自身だってそうだ。ぼくだって大きく足を踏み外しているのかもしれない。しかし、もしそっちに行ってしまうと悪いことになるだろうと思っても、今後の人生が大きく狂ってしまったとしても、当事者のその時のその抱えている感情や心意気は他人の意見によって変えられるべきではない。心意気というものが人間が人生においてそもそも抱えているであろう困難とか、苦悩という大きな穴を飛び越える(もしくは、大きな穴から飛び出す)手助けになるだろう。もし、その先にどれだけ大変なことが、人生が、待ち構えていようとも、ぼくは他人の人生を正すことなどできないのではないかとも思うのである。それがぼくたちの持つべき人生なのかもしれないのだから。思うようにいかないことから生まれた多くの矛盾を含んだ「故障」みたいなものをたくさん抱えた不完全な人がいるのであれば、ぼくはそんな人を愛していたいし、また大きな穴の底から上を見上げている人がいるのであれば、ぼくは自ら彼ら彼女らの声が聞こえるところまで降りて行き、一緒に大きな穴から這い上がりたいと思う。時に、穴から這い上がることは本人にのみ許された行為であることは承知だとしても、だ。
ぼくたちは自分の人生や、持っているもの、得てきたものを大切にし過ぎる。そんなものに必要に執着もせず、いつだって心にマルジェラのセットアップを着てスケートボードに乗って転げ回っていたぼくの同級生のような心を抱いていたい。