近くのアジアスーパーに納豆が売ってますよと友人に教えてもらったので、それ以来時々買っている。ぼくは納豆が大好きだ。スーパーに売っているような大衆向けの納豆で十分に満足できる。日本に住んでいたときは、その容器に数粒だけ残し、ステラにあげていた。混ぜてるうちからぼくのすぐそばに寄ってきて律儀に座って見つめていた。そんな、ステラが納豆を食べなくなった。日本にいる時はあれほど好きだった納豆である。容器に粘りがなくなるほどに舐めて綺麗にしてくれていたので、一度もゴミ箱が納豆臭くなることもなかった。
オランダに来てからチーズやパン、バターばかり食べて、口が肥えたのか、西洋的なあじわいを覚えたのか、納豆の質素ながらも奥ゆかしいあじわいに興味を持たなくなったのか、「故郷でよく食べていた納豆なんて私は食べないわ」いう始末だ。ぼくがどれだけ容器をステラの顔に近づけても、粘る納豆をわざわざ手で口元に運んでも頑なに拒むのである。
その必死で拒む姿を見ながら、奥ゆかしさの美を感じられなくなるのであれば悲しいけれど、それでもぼくもステラくらい過去に執着せずに、今あるものを美しいと感じながら人間らしく生活できるだろうかと自問した。