慌ただしくしている。
東京の展示をしてくれる方とのメッセージのやり取りが込み入ってきたので、必然といえばそれまでだが自分の作品について客観的視点を感じながら考えることになっている。今のところはなんとなく名前を伏せておくことにする。別に言ってはいけないわけでもないし、サプライズがしたいわけでもないが、その方が興味が湧くではないか。彼自身は、編集者でも、キュレーターでもない。しかし、こうやって展示を企画提案してくれて自分の作品を作るかのように協力してくれる店主がいるだろうか。彼にはバックグラウンドである映画研究というものがあるにせよ、物事を深く考えるのやそれに対して自分の意見を持つこと、鑑賞者としての読み解きと同時に作家の意図を理解することが好きだとしても、それでも、このメッセージのやり取りが、ぼく自身にとって自分の作品への理解を深めることと、本当の意味で、作品としての品格というものについて、考えることになっている。自身による作品解説は、時に気付いていなかったような側面をも感じさせてくれる。
そのまま夕方まで、もう少し文章を推敲させようと没頭していると、身体全身がとても冷えてしまったので、足湯をしながら今更、村上春樹『街とその不確かな壁』読み始める。今更になってこの小説をkoobで買ったのも、特装版を10万円で300部限定販売していたというのをどこかでみたからだ。この手の特装版は、写真集などの特装版、プリントの付いたりマルチプルがついたりという類のものとは価格も部数も全く違う。今後Cairo Apartmentで出版する特装版を、愛蔵版という名前にしようかと思う。愛蔵版というと、本棚に置いておきたくなるような本を想像するだろうか。しかし、そもそも500部とか1000部しか出版していないで、愛蔵版を何部作るかというのも悩みどころだ。Cairo Apartmentだけではなく、ぼくもいつかA Song from the Laundry Roomの愛蔵版を作りたい。
足湯をしながら時折揺れる木漏れ日の光と窓の外の夕陽を見ていると、心地良くなり眠ってしまった。どのくらい寝ていたのだろうか。長かったような気もするし、たった15分くらいだった気もする。起き抜けにステラの散歩に行った。今日は日曜日だった。
足湯をしながら時折揺れる木漏れ日の光と窓の外の夕陽を見ていると、心地良くなり眠ってしまった。どのくらい寝ていたのだろうか。長かったような気もするし、たった15分くらいだった気もする。起き抜けにステラの散歩に行った。今日は日曜日だった。