一人で暮らすということはとても忙しい。朝起きて昨晩の悪夢を洗い流すかのように口をゆすぎ、コップ一杯の水を飲む。服を着替えて40分ほどステラの散歩に行き、コーヒーを淹れて、トーストを焼く。昨日焼いたパンはあまりうまく焼けなかった。巻き込みが足りなかったのか、フォカッチャのような仕上がりになった。日記を書く。仕上げないといけない文章を推敲し、掃除機をかける。またパソコンに向かうとその頃にはもう13時ごろになっていて、テーブルの上にはまだバターとコーヒーカップと、空になってパンくずだけが残ったプレートが置かれている。その風景を見て、自分の居場所を思い出したかのように顔を洗い歯を磨いた。ランチを作る。衣替えもしたかったので、圧縮袋をスーツケースの中から取り出す。新しい額装が届いたので、壁にフックを取り付けたい。まだ場所を考えていない。ステラを留守番させてマーケットに出かける。卵とルッコラとわさびななどを買った。帰り道、古着屋でTシャツを物色。別にTシャツが欲しいわけではないのだが、自分の感覚を試されているような気にさせられるので、割と頻繁に物色しにきている。ステラが悲しそうに鳴いているけど大丈夫かと上に住む大家から連絡が来て、急いで帰る。最近留守番ができていたのだが、聖子ちゃんがいないことがステラには辛いのだろうか。家に帰り、ミルクティをいれ、ケーキを食べる。また文章を推敲。良いものを作りたいと思うと、この言葉は違うとか、表現がどうか、とか、時給でも月収でもない、納得いくものを作り続けることだけ。ステラと散歩に行く。ステラは寂しさを打ち負かすようにズンズンと力強く歩いている。気付けば二人でビーチに立っていた。足元の砂に足跡さえも残さないほどの強風に吹かれていた。全ての痕跡が風によって消し去られるのであれば、記憶は何を頼りにすればいいのだろうかと思った。行き場を失ったたくさんの記憶たちを憂いた。風が強いのと、誰もいないことをいいことに大声でイヤホンから流れたFrancoise HardyのMoi vouloir toiを歌いながらステラと走った。フランス語の曲なんて歌えるわけもない、強風にかき消されるくらいが歌えている気になる。結局3時間ほど歩いていた。帰ってからエリックロメール『パリのランデブー』を鑑賞。今日は誰とも会話をしなかった。
一人で暮らすということは、できる時にやるべきことをするということである。時間をなんとなくやり過ごすなんてことはなく、自分のしたいことやらないといけないことをできる時にする。後回しになんてしていると、カレンダーの最後には矢印だらけになってしまうかもしれない。