メールの返事をしたり、2025年全体を見渡して計画表を作り始めるが、カレンダーをみると今年も時間の経過は早そうだった。
一人で仕事をしていると、目の前には繰り返されてるような日常があり、本当に時間は過ぎ去っているのだろうか、そして未来はやってくるのだろうかと思うことがある。ぼくたちは、未来を追うような、もしくは未来から追われる様な形で、無慈悲にも過ぎ去る時間を過ごしている。そして、時間の方も遠慮もなく過ぎ去っていく。時間は未来から過去に流れているというが、しっかりと理解できる。自分は、ここにいるだけで、未来からやってきたものが自分のいる場所を経由して過去の方向に流れていくのだ。自分が前に進むという実感はどこにあるか、計画したことが未来から過去に流れる中で自分がそこに居合わせるのではないか。
ここに訪れる読者のみんなは、ぼくが日々できるだけ自分のリズムを作ろうと思っていることを知っていると思うが、世界で起きる心が締め付けられるようなニュース、日常に起きた些細な揉め事に惑わされたり、時に自分の社会性のなさや怠惰からリズムを失っていることも知っている。そして、時にLA Dogersの大谷選手がホームラン王になったとか、Liverpool F.Cの遠藤選手が活躍したいうニュースに希望を抱いたりしながらも、本当は時間なんてものは存在せず、ただ自分が今この瞬間だけにしか存在しないのではないかと思ったりもする。
一番大事なのは、時間だとか人の活動やニュースにとらわれず、自らの人生を生きるという決意と足の踏ん張りを持って、自分自身の歩みを時間の基準に計りながら、ものごとを考えていく方がずっとはるかに真っ当で健全な人生なのではないかとも思う。時間が過去から未来へ進んでいるとか、未来から過去へ向かっているとか、はっきり言ってしまうとどちらでもいいのである。存在するのは、自分の歩みを基準にした時間のみで、自分の足跡を残すという姿勢と足の踏ん張りなのである。
今日、昨年一度も感じなかったような驚くような安心感を得た瞬間があり、自分の住んでいる家が美しいと思えた。自分の家をもっともっと愛でる年にしたいと思った。
一人で仕事をしていると、目の前には繰り返されてるような日常があり、本当に時間は過ぎ去っているのだろうか、そして未来はやってくるのだろうかと思うことがある。ぼくたちは、未来を追うような、もしくは未来から追われる様な形で、無慈悲にも過ぎ去る時間を過ごしている。そして、時間の方も遠慮もなく過ぎ去っていく。時間は未来から過去に流れているというが、しっかりと理解できる。自分は、ここにいるだけで、未来からやってきたものが自分のいる場所を経由して過去の方向に流れていくのだ。自分が前に進むという実感はどこにあるか、計画したことが未来から過去に流れる中で自分がそこに居合わせるのではないか。
ここに訪れる読者のみんなは、ぼくが日々できるだけ自分のリズムを作ろうと思っていることを知っていると思うが、世界で起きる心が締め付けられるようなニュース、日常に起きた些細な揉め事に惑わされたり、時に自分の社会性のなさや怠惰からリズムを失っていることも知っている。そして、時にLA Dogersの大谷選手がホームラン王になったとか、Liverpool F.Cの遠藤選手が活躍したいうニュースに希望を抱いたりしながらも、本当は時間なんてものは存在せず、ただ自分が今この瞬間だけにしか存在しないのではないかと思ったりもする。
一番大事なのは、時間だとか人の活動やニュースにとらわれず、自らの人生を生きるという決意と足の踏ん張りを持って、自分自身の歩みを時間の基準に計りながら、ものごとを考えていく方がずっとはるかに真っ当で健全な人生なのではないかとも思う。時間が過去から未来へ進んでいるとか、未来から過去へ向かっているとか、はっきり言ってしまうとどちらでもいいのである。存在するのは、自分の歩みを基準にした時間のみで、自分の足跡を残すという姿勢と足の踏ん張りなのである。
今日、昨年一度も感じなかったような驚くような安心感を得た瞬間があり、自分の住んでいる家が美しいと思えた。自分の家をもっともっと愛でる年にしたいと思った。