デュッセルドルフの美術館N20でYOKO ONO展鑑賞。改めて、古典だろうが、近代作品であろうが、その時代の社会の認識や価値観、時代背景を踏まえて鑑賞することでしか理解しえない側面が作品にはあり、自分の知見のなさを思い知る。
「制作すること」、「ポジティブに捉える」ことこそがやはり今年の目標である。一人でいることを「孤独」と捉えるのではなく「自由」と捉えること。多作であることを念頭に置いた制作方法。バスでデン・ハーグに帰宅。帰りのバスで寝ようと思っていたが、時間を惜しむかのように結局また話し続けていた。ぼくが何を持ってこの土地をドイツとするかと考えていると、ちゃっぴは「この土地で起きる全ての現象、全ての物事を含めて、それもドイツである」という話をしていた。ぼくは、ドイツに行ったら、ソーセージやシュニッツェル、ライ麦のパンを食べたい。ちゃっぴはトルコ移民が多いのであればトルコの料理にもドイツが存在するので、トルコ移民が多いエリアに滞在しているのであればトルコ料理を食べることもドイツの文化を知ることだと言っていた。ぼくの理解と言語能力が低いことで彼の考えを書き出すことで読者に勘違いを生んでいなければと思う。彼の話には異論はないが、ぼく自身がそれをドイツという自分にとって未知の場所で旅行中にトルコ料理を嗜好するかどうかはまた別の話だと思った。
少し話は違うが、20分先にある、小麦が届ける暖かな太陽の光さえも感じるほどの香ばしさとバターの芳醇な光沢のある香りが溢れたオーガニックのパン屋に行くことよりも、目の前のチェーン店の存在が必要だろうか。ぼくは、20分先の小麦とバターの香りが溢れたオーガニックのパン屋へわざわざ足を運ぶことを好むが、これは本当に自分の好みの問題だろうか。決して、20分先の小麦とバターの香りが溢れたオーガニックのパン屋に行くことだけが正義だとは思わないが、小麦とバターの香りが溢れたオーガニックのパン屋に何の問題があるのだろうか。ここで20分と記載するように、時間の問題なのだろうか、それともそれを楽しみと捉えない人間の価値観の問題だろうか、往復40分も歩きたくないという人間の怠惰だろうか、もしくはお金の余裕だろうか、社会の成長だろうか。40分かけて買い物に行かなくても3分でパンが買えることが成長だろうか。3分でもパンを食べられるという選択肢ができたことが社会の成長だろうか。自分を豊かな香りと音とで包み込むことや豊かな味わいへの執着のなさだろうか。そもそも、知らないのだろうか。情緒を持ったパン屋がなくなるのは、結局は人間のせいだ。
「制作すること」、「ポジティブに捉える」ことこそがやはり今年の目標である。一人でいることを「孤独」と捉えるのではなく「自由」と捉えること。多作であることを念頭に置いた制作方法。バスでデン・ハーグに帰宅。帰りのバスで寝ようと思っていたが、時間を惜しむかのように結局また話し続けていた。ぼくが何を持ってこの土地をドイツとするかと考えていると、ちゃっぴは「この土地で起きる全ての現象、全ての物事を含めて、それもドイツである」という話をしていた。ぼくは、ドイツに行ったら、ソーセージやシュニッツェル、ライ麦のパンを食べたい。ちゃっぴはトルコ移民が多いのであればトルコの料理にもドイツが存在するので、トルコ移民が多いエリアに滞在しているのであればトルコ料理を食べることもドイツの文化を知ることだと言っていた。ぼくの理解と言語能力が低いことで彼の考えを書き出すことで読者に勘違いを生んでいなければと思う。彼の話には異論はないが、ぼく自身がそれをドイツという自分にとって未知の場所で旅行中にトルコ料理を嗜好するかどうかはまた別の話だと思った。
少し話は違うが、20分先にある、小麦が届ける暖かな太陽の光さえも感じるほどの香ばしさとバターの芳醇な光沢のある香りが溢れたオーガニックのパン屋に行くことよりも、目の前のチェーン店の存在が必要だろうか。ぼくは、20分先の小麦とバターの香りが溢れたオーガニックのパン屋へわざわざ足を運ぶことを好むが、これは本当に自分の好みの問題だろうか。決して、20分先の小麦とバターの香りが溢れたオーガニックのパン屋に行くことだけが正義だとは思わないが、小麦とバターの香りが溢れたオーガニックのパン屋に何の問題があるのだろうか。ここで20分と記載するように、時間の問題なのだろうか、それともそれを楽しみと捉えない人間の価値観の問題だろうか、往復40分も歩きたくないという人間の怠惰だろうか、もしくはお金の余裕だろうか、社会の成長だろうか。40分かけて買い物に行かなくても3分でパンが買えることが成長だろうか。3分でもパンを食べられるという選択肢ができたことが社会の成長だろうか。自分を豊かな香りと音とで包み込むことや豊かな味わいへの執着のなさだろうか。そもそも、知らないのだろうか。情緒を持ったパン屋がなくなるのは、結局は人間のせいだ。