デュッセルドルフからケルンへ。12時半過ぎの電車に乗る予定が、電車が遅れに遅れ14時ごろ出発。ここのところあまり電車が遅れたという経験をしていなかったので、電車が遅れるということをすっかりと忘れていた。現代社会において青空が広がる午後に電車が40分も遅れるというのはどんな理由からなのだろうか。路線網が発達しているので、各所で起きた些細な問題が蓄積すると40分の遅延になるのだろうか。文句もないが、仕方ないし、何もできないので駅中のBeck’sというビアホールで一服しながら時間を潰す。ケルンに到着し、駅前に観光客への配慮なくドカンと現れるケルン大聖堂を目の前にし、崇高の美を堪能。崇高といえば、大学の同級生だった前田くんを思い出す。前田くんは、崇高の美についての論文を書いていた。大聖堂の中を鑑賞してから塔に登ろうとするも流れ作業をする受付係がつっけんどんで、最近ヨーロッパを旅行していてもあまり感じてこなかった悲しい感情が生まれた。バルセロナも、マドリッドも、ロンドンも、アントワープやブリュッセルでも、ましてやイギリスの郊外も嫌な印象を受けなかったのだけれど、昨日ドイツに来てから自分の行動や発言を嫌がられることが多いと思った。どの街でも電車も遅れなかったが、今日は40分も遅れた。人口でいうと、ケルンはドイツで第4の都市、デュッセルドルフは第7の都市であるが、そのつっけんどんっぷりは都市生活者ではないという事実が生んでいるのだろうかとも思った。また、日々ストレスを抱えている日本人ともよく似ていると思った。たった数人との関わりではあるが、非協力的な印象を受けた。江戸っ子がずいぶん優しく感じる。
物事を経験するということは、鍛錬を重ねて何かがうまくなることではなく、対峙した時にどんな風に考えられるか、どんな風に行動できるかである。結果うまく行ったか行っていないかは重要ではなく、どんな風に考えられるか、どんな風な対応ができるかを育むのである。旅慣れしてようが旅にトラブルはつきまとう。そのトラブルに対峙した時に何を考え、どう行動できるか。今日、大聖堂でトイレに行きたくなって我慢ができなくなり1ユーロを払って公共トイレに行った。その前のレストランで、トイレに行っておくべきだった。どれだけ旅をしようとも入ったレストランでトイレに行きたくなくてもトイレに行っておくということを学んでいたとしても、それでも、トイレには行きたくなってしまうのだ。しかし、経験とはそのトイレに行きたくなった時にどんな風に行動を起こすか、なのである。お金を払ってトイレに行ったのは大正解だった。そうだ、こうやって過去の経験が自分の人生の助けになるのである。
物事を経験するということは、鍛錬を重ねて何かがうまくなることではなく、対峙した時にどんな風に考えられるか、どんな風に行動できるかである。結果うまく行ったか行っていないかは重要ではなく、どんな風に考えられるか、どんな風な対応ができるかを育むのである。旅慣れしてようが旅にトラブルはつきまとう。そのトラブルに対峙した時に何を考え、どう行動できるか。今日、大聖堂でトイレに行きたくなって我慢ができなくなり1ユーロを払って公共トイレに行った。その前のレストランで、トイレに行っておくべきだった。どれだけ旅をしようとも入ったレストランでトイレに行きたくなくてもトイレに行っておくということを学んでいたとしても、それでも、トイレには行きたくなってしまうのだ。しかし、経験とはそのトイレに行きたくなった時にどんな風に行動を起こすか、なのである。お金を払ってトイレに行ったのは大正解だった。そうだ、こうやって過去の経験が自分の人生の助けになるのである。