6時に起床し、Den Haag Central駅を7時半出発のバスでデュッセルドルフへ向かう。街に灯りを漏らさないためなのか車内は消灯され、暗闇を目的地に向かって淡々と走り続けるバスの中でぼくたちは話し続けた。日があけるのを窓の外に眺めると、尺八や琴の音色によって運ばれる日本で感じるような正月のムードなどは入り込む余地などが存在しない風景が広がり続けている。昨晩、数時間しか寝れなかったのでバスで寝ようと思っていたがちゃっぴとの会話が盛り上がり、気付いたら辺りも明るくなり、デュッセルドルフに到着した。眠気をよそに話し続けたぼく自身も、旧友との旅行を待ち侘びていたのだろう。身体は睡眠へと向かいつつも心が旧友との会話を待ち侘びていたようだ。ホテルにチェックインし荷物を起き、街へ繰り出した。デュッセルドルフアカデミーに初詣をし、19時半からKunst Palast のGerhard Richter展へ。リトルトーキョと呼ばれるエリアでラーメンを食べた。海外で日本人が作るラーメンを食べに行こうなんて思っても見なかったが、デュッセルドルフの日本人街は興味深いということだったので、好奇心と大きめの不安と、どこからか生まれたのかわからない罪悪感にも似た感情を持ってお店に入った。ラーメンを注文。壁には鏡がはられていて、埃が溜まっている。日本の王将やラーメン屋さんを思い出させるようなガラスが貼られた真っ赤なカウンターの中のキッチンでは威勢の良い日本の男の子たちが働いている。彼らの誰の表情からも後ろめたさなどは感じさせず、労働の喜びのようなエネルギーも感じた。彼らがここにいる経緯は知らない。駐在員2世かもしれない、交換留学で1年の留学をしている大学生かもしれない、何か日本国外での野望を持ったワーキングホリデーかもしれない、スポーツの夢を諦めきれず道を探しているのかもしれない。一人の移民として、彼ら彼女らのここに行き着いた背景などを考えていると、彼らだけの意思ではなく、日本が貧困に向かい始めているという現状への危機感とか、社会の変化の速さへの困惑とか、そんなものが見えたようで、悲しくなった。彼らの姿が悲しく見えたのではない、自分を含めて移民として国外で働く、何か希望を抱いて生まれた国を飛び出して新しいコミュニティを作ろうとしている姿に涙が出そうになった。
そこで作られたラーメンは、日本でラーメンと言われているものとは違い、具のたくさん入ったスープという感じを受けた。お世辞にも美味しいとも言えない、自炊をする大学生が友人宅でクラスメイトを招いて一生懸命料理をしたようなラーメンは、ぼくの心に落ち始めていた影をさらに深くした。
そこで作られたラーメンは、日本でラーメンと言われているものとは違い、具のたくさん入ったスープという感じを受けた。お世辞にも美味しいとも言えない、自炊をする大学生が友人宅でクラスメイトを招いて一生懸命料理をしたようなラーメンは、ぼくの心に落ち始めていた影をさらに深くした。