昨晩、朝方4時ごろまで起きていたこともあり、10時ごろ目が覚めた。
部屋の中で自分の制作に集中しすぎていると、自分の作るものにものすごく興奮しているがふと自分と作品との関係に第三者が加わると、全く違う方向に行っていたなんてこともある。最近、ひたすらにネガのスキャンをしているが、現像していると、自分はなんていい写真を撮っているんだと酔いしれているが、いざ聖子ちゃんに見せるとふと我にかえりこれではいけないんじゃないかと思わされる。文章を書いていても同じだ。それの繰り返しだ。それは、決して作品制作の話だけではなく、自分の環境に環境にこもって同じことをやり続けていると、ふとした時に自分が社会からは離れたところにいることに気付くだろう。社会のために発表するのであれば、やはり社会との関係性というものを保ち、自分の身体を持って社会に対峙することが健康的である様にも思う。
部屋の中で自分の制作に集中しすぎていると、自分の作るものにものすごく興奮しているがふと自分と作品との関係に第三者が加わると、全く違う方向に行っていたなんてこともある。最近、ひたすらにネガのスキャンをしているが、現像していると、自分はなんていい写真を撮っているんだと酔いしれているが、いざ聖子ちゃんに見せるとふと我にかえりこれではいけないんじゃないかと思わされる。文章を書いていても同じだ。それの繰り返しだ。それは、決して作品制作の話だけではなく、自分の環境に環境にこもって同じことをやり続けていると、ふとした時に自分が社会からは離れたところにいることに気付くだろう。社会のために発表するのであれば、やはり社会との関係性というものを保ち、自分の身体を持って社会に対峙することが健康的である様にも思う。
オランダに来てから、90mmのレンズが日本で使っていた時以上にしっくりくるのだが、何よりも日本での撮影よりもクリアな写真が撮れる。レンズのディープクリーニングをしたわけでもないのに、日本で使っていた時よりも抜けのある写真が撮れるようになった。f4のレンズなので暗い写真になってしまうことは十分承知であるが、その暗さを許容して写真を撮れば良いということだろう。ずいぶん長く使っていなかった90mmレンズ、当分の間使ってみようと思う。写真を撮るということは、被写体に対する敬意である。写真を撮るということが時にいかに凶器になり得るかを忘れずに認識しているだろうか。自分の個人的なエクスプレッションのためだけに社会の断片を利用していないだろうか。ぼくは、傲慢にはならず、アーティスト至上主義にもならず、常にフラットでありたい、社会を搾取するような絵を作りたいとは思わない。