2100年の生活学 by JUN IWASAKI : 2024.12.23

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2024.12.23

10時過ぎにアムステルダムへ向かう。Carmen Amsterdamで、一服。CarmenとAnneとJulieと話す。キッシュもコーヒーもケーキも、食材がきちんと胸を張ってそれぞれが自信を持っているような味がした。その料理からは作り手の環境や食材への信頼が伺えるようだったし、食材が自信を持てるようにいろいろな視点から誠実な愛を与えられていることが伝わるようだった。ここのところ、カフェやお店に行くとぐったりと疲れることがあるのだが、それは観光客を相手にした様なサービスや、ビジュアルとアイデンティティの乖離、ピュアネスの欠落、そして客としての自分の街における存在、などさまざまな理由によるものであるが、怒りとか、自分をよく見せようという背伸びした様なものも、何事も勢いでなんとかしようというような慢心も、Carmen Amsterdamには、そしてここで食べたキッシュにもケーキにもコーヒーにも存在しない気がした。オーダーを取る人、料理を作る人、サーブする人、食べる客、隣に座る人々、テーブルを整える人など、その環境を司る人たちのその間にハーモニーが存在しなければ簡単に崩れてしまう。個人的には、今日はパーフェクトだった。世界には、怒りも自己顕示欲も、慢心も、溢れすぎていている。グローバル化の弊害であるとぼくは思う。今日ここで食べたものは、何かを模倣して想像を加えたような曖昧なものでは決してなかった。言葉足らずだと確信しながら言うとすると、都会で食べる料理だと思ったし、家の近くにあるカフェがこれだったら、と羨望した。前回もそうだったが、本当に迎え入れられるようで良い気持ちにさせてくれる。料理の味に自信を感じたのも、そのせいだろうか。誠実さは人間が持つ特権である。Huis Marseilleも同様だ。ここのところ定期的に顔を合わせているので、みんな「おかえり」と言わないまでもそのような表情で接してくれる。アムステルダムにこういう場所ができてよかった。観光地や人間関係のないお店であれば、残念なことに誠実さも人々の自信が伝わる様子もいろいろな障害によって届かないことが多いと思う。店側からも客側からも気が狂ったかのような自己欲求がどこかに帰着することもなく、放たれている様は少し滑稽だ。
昨年、住んでいた時によく通っていた肉屋へいき、ホームメイドハムのために骨付き豚肉もも肉を調達。Stacks Dinerで一服し、帰宅。電車の中で成人男性の黒いリュックに子豚の太ももが入っていると思うとにやけてしまった。見えてない現実の奇妙さ。家について、すぐにハムの仕込みを始めた。おそらくみんな今日を境にクリスマスムードだろうから、もう返事が来ないのでメールや諸々の事務作業を夜中のうちに一気にやり切った。