マーケットに行き、17時ごろ帰り道にフォトラボに立ち寄ると、「今空いてるから18時閉店の5分前に戻って来れますか?すぐ渡せるよ」と言われたので、上下レインウェアを着ているし、レインブーツを履いているし、たくさんの野菜が溢れ出すように入っているマーケットバッグを抱えているが、既に日が暮れた街を徘徊。人々は、電飾に明るく照らされた街の下でクリスマス前の最後の日曜日を楽しそうに過ごしている。最後の駆け込みで、クリスマスプレゼントを探す女性、買い物をしているだろう妻をカフェで待つ父と子、本当は既に買ってあるクリスマスプレゼントをお互いには秘密にしウィンドウショッピングをしながら「これが欲しい?」と愛を囁き合う男女。みんな各々にクリスマスを楽しんでいるように見えた。ぼくも、クリスマスギフトを調達。なんでもないが、聖子ちゃんが欲しいと言っていた、ワインの酸化防止キャップを買った。何か特定のものを買おうと思っていたわけではなく、ふと入ったデパートメントストアで棚に置かれていた、ただそれだけの理由である。今年も何か用意しないとと思っていたし、ワインのキャップは長くの間話題にのぼっている。素晴らしいタイミングだった。一緒に住んでいて一緒に仕事をしていると、どうも時間の共有が多くなる、特にデン・ハーグのような田舎に住んでいると尚更だ。美術館に行く、写真を撮りに行く、ビーチに行く、マーケットに行く、ステラの散歩くらいしか一人では行動していない。カフェにもレストランにも一緒に行くし、散歩も一緒に行く。「一緒にクリスマスプレゼントを買いに行こうか、予算はいくらで」とかいうほど付き合いたてのカップルが計画的に人生を主体的に楽しもうとするようなことをできる二人でもないので、これまでのクリスマスもサプライズまで言わないものの、時間がある時にお互いがフラッと一人で買いに行っていた。
オランダに来てからなのか、特にここ最近は、何かにつけて気負いすぎている。クリスマスはこうだとか、プレゼントはこうなければいけない、自分の人生はこうなければ、と思考が優先している。ということは自分の身体のリズムがなくなっている証拠だと思った。ぼくは、たいていの場合、思考が優先し、気負いすぎて失敗したり、諦めたりするのだ。日暮れに野菜が溢れたマーケットバッグを抱えて、上下レインウェアを着て、レインブーツを履いて、デパートメントストアで、クリスマスプレゼントにワインのキャップを買った。なんてことないが、自分の予想を遥かに超えるものに対峙しても乗り越えるだけのリズムが少しくらいまだ残っていたことに喜びを感じた。
オランダに来てからなのか、特にここ最近は、何かにつけて気負いすぎている。クリスマスはこうだとか、プレゼントはこうなければいけない、自分の人生はこうなければ、と思考が優先している。ということは自分の身体のリズムがなくなっている証拠だと思った。ぼくは、たいていの場合、思考が優先し、気負いすぎて失敗したり、諦めたりするのだ。日暮れに野菜が溢れたマーケットバッグを抱えて、上下レインウェアを着て、レインブーツを履いて、デパートメントストアで、クリスマスプレゼントにワインのキャップを買った。なんてことないが、自分の予想を遥かに超えるものに対峙しても乗り越えるだけのリズムが少しくらいまだ残っていたことに喜びを感じた。