日曜日らしい街の風景が広がっている。「まあ今日は日曜日だからね」とか思っていると昼寝をしていた。起きるともうすでに16時で窓の外の風景は随分と暗くなっていた、昼寝に失敗した時の辛い寝起きであった。低血圧はこれだから困る。
ゴミ捨てと買い物に行き、クリスマスツリーの販売が終わりを迎え始めていることに気付く。18時前にアヤさんとLisaとLisaの犬コージーがうちにきて、みんなで夕食。華やかではない我が家で、人を迎え入れるには、模様替えが必要だと思った。クリスマスが迫っているのに今年のぼくたちは何もしていない。2024年の年の瀬のぼくの心の中には漠然とした不安のような感情だけがぐるぐると巡っていて、新鮮な気持ちを持ってその瞬間を楽しもうとすることを拒むようである。クリスマスだということも、年の瀬だということも、日本では師走だと言って忙しくなっていることも、この街では、いやぼくの今のこの街での生活では関係を持たないような気がした。これまでの自分を取り巻く環境がどれだけ他者の行いや外部からの影響によって時間の感覚を自分自身に与えてくれていたのかがよくわかる。良くも悪くも日本にいると季節の移ろいと時間の変化を感じられる。街の変化も服装の変化も、食事も、お店の催し物も、12月を「師走」と呼ぶことも、ちょっと面倒だと思っている人も増えたお歳暮も年賀状など、花見とか紅葉とか、海開きとかの季節行事も、全てがそうだ。日本は季節の変化を受け身でもとても楽しむことができると思う。シンプルに気楽に生きることができる。人が溢れる春も、大雨が降り続く初夏も、感情的になる晩夏も、あっという間に過ぎ去る美しい秋も、突然訪れる冬も、厳しい中にも美しさが宿っていると思う。文句は何にだって言える。問題提起は何にだってできる。問題は問題だ、「君は住んでいないからそんなことを簡単に言えるのだろう、実際に息苦しくなるような長すぎる夏を過ごしていないのに何もいうべきではないのではないか」とどこからか聞こえそうであるが、しかし季節の変化はとても人間の営みを豊かにしていると思うし、思考を刺激する。
ゴミ捨てと買い物に行き、クリスマスツリーの販売が終わりを迎え始めていることに気付く。18時前にアヤさんとLisaとLisaの犬コージーがうちにきて、みんなで夕食。華やかではない我が家で、人を迎え入れるには、模様替えが必要だと思った。クリスマスが迫っているのに今年のぼくたちは何もしていない。2024年の年の瀬のぼくの心の中には漠然とした不安のような感情だけがぐるぐると巡っていて、新鮮な気持ちを持ってその瞬間を楽しもうとすることを拒むようである。クリスマスだということも、年の瀬だということも、日本では師走だと言って忙しくなっていることも、この街では、いやぼくの今のこの街での生活では関係を持たないような気がした。これまでの自分を取り巻く環境がどれだけ他者の行いや外部からの影響によって時間の感覚を自分自身に与えてくれていたのかがよくわかる。良くも悪くも日本にいると季節の移ろいと時間の変化を感じられる。街の変化も服装の変化も、食事も、お店の催し物も、12月を「師走」と呼ぶことも、ちょっと面倒だと思っている人も増えたお歳暮も年賀状など、花見とか紅葉とか、海開きとかの季節行事も、全てがそうだ。日本は季節の変化を受け身でもとても楽しむことができると思う。シンプルに気楽に生きることができる。人が溢れる春も、大雨が降り続く初夏も、感情的になる晩夏も、あっという間に過ぎ去る美しい秋も、突然訪れる冬も、厳しい中にも美しさが宿っていると思う。文句は何にだって言える。問題提起は何にだってできる。問題は問題だ、「君は住んでいないからそんなことを簡単に言えるのだろう、実際に息苦しくなるような長すぎる夏を過ごしていないのに何もいうべきではないのではないか」とどこからか聞こえそうであるが、しかし季節の変化はとても人間の営みを豊かにしていると思うし、思考を刺激する。
オランダでそして主に家で生活をしていると、11ヶ月くらいを長袖で過ごし、家は常に20°Cくらいの温度で、空はいつもグレーだ。たった1日の青空を喜び急いでビーチへ自転車を走らせる。この国では、自分の生活を自分で司ることを試されるような、「自分の人生の主役は自分だ、自分の人生は自分で作らないといけない」と言い聞かされるような気にさせられる。上に書いたような嫌でも季節の変化に敏感にならざる得ない生活環境を好んで育った日本人にはなかなか酷だなと思う。世界の変化に敏感になるというよりは、自分が世界を変化させていくしか時間の変化も、季節の移ろいをも感じられないのだ。主体的に動く以外に世界の変化は存在しない。ダッチデザインを見ても分かるように、主体的に色を加えないと、主体的に季節を楽しもうとしないと、何もかもがここには存在しないのだ。それが自由だという人もいるだろう。ぼくには、まだその感覚があまり理解できずにいる。しかし、自営業とはそういうことだろうか、誰も何もやってくれない。自分が自分で決めたことを自分なりの解釈で行う。
今夜、みんなと話していて「まだオランダに来て1年も経っていないんだ」と思った。ぼくはこのままこの場所で自然な時間の流れの中にある自分の成長をゆっくり待つような生活の仕方をしていていいのだろうか、もっと外部からの強いエネルギーを毎日のように自身の身体に与え続け、鋭気を持って自分を奮い立たせて、自分の頭を誤魔化しながら身体がその騙された思考を追いかけるような生活する必要があるのではないだろうか。思考はすぐに甘える、そして身体にすぐ嘘をつく。鋭い思考を自分の身体が追いかけるということ。
今夜、みんなと話していて「まだオランダに来て1年も経っていないんだ」と思った。ぼくはこのままこの場所で自然な時間の流れの中にある自分の成長をゆっくり待つような生活の仕方をしていていいのだろうか、もっと外部からの強いエネルギーを毎日のように自身の身体に与え続け、鋭気を持って自分を奮い立たせて、自分の頭を誤魔化しながら身体がその騙された思考を追いかけるような生活する必要があるのではないだろうか。思考はすぐに甘える、そして身体にすぐ嘘をつく。鋭い思考を自分の身体が追いかけるということ。
もしくは自分で活気を持って自分の生活を司り、嵐のように人々を巻き込み時間の変化を生み出すような生活をするべきだろうか。
そんなことを考えていると、今日の街が日曜日らしい幸せな活気を持っていたことも、ぼく自身が日曜日だからと昼寝をしたのも、デン・ハーグというグレーで包まれた変化の乏しい街で時間を捉えるためには小さいながらも大切な生活の営みであると思った。