ぼくにとって知り合ってまだ1-2年しか経っていないのだが、どうも気になってしまう大切な友人から突然連絡が来た。メッセージで送るには長い文章の最後に、「人生において制作/仕事と生活のバランスをどんな風に捉えていますか?岩崎さんの意見が聞きたくなりました」と書かれていた。ちょうど日が暮れて早めの夜の散歩に行こうと思っていたところだったので、歩きながら禅問答のように色々考えた。
ぼくにとってはやはりこの二人のこの言葉に生活することの全てが詰まっている。
ジャン・リュック・ゴダール
「最初は、あなたの一日を撮ってみなさい。朝起きてから、夜寝るまで、そして夜も夢を見ている。その一日を撮りなさい、本当のあなたの一日を撮ってみなさい。警察に話すようなやり方ではいけない。朝起きて、歯を磨いて、コーヒーを飲んで、仕事にいって、友達と会って話して、それから寝た、これは本当のあなたの一日ではない。本当のあなたの一日を語るように試してみなさい。カメラを使って、映像と音を採って、本当の一日を果たして語ることができるのかどうか。採ってみたら、本当の一日は語れないということがわかる。もしも自分が本当の一日を撮れたと思うなら、友達やお母さん、あるいは身近な人に見せなさい。見てもらって、果たして映画館の入場料と同じ十ドルを、これに対して払うことを受け入れてくれるかどうか聞きなさい。おそらく、観客は、自分に本当に近い人であっても、あなたの本当の人生にはまったく興味がないことがわかるでしょう。そうすれば、本当の映画とは何かという問題提起をはじめることができる。」
村上春樹
「どんな風に書くかというのは、どんな風に生きるかというのとだいたい同じだ。どんな風に女の子を口説くか、どんな風に喧嘩をするとか、寿司屋に行って何を食べるとか、そうゆうことです。
ひととおりそうゆうことをやってみて、なんだ、これならべつに文章なんてわざわざ書く必要もないやと思えば、それは最高にハッピーだし、それでもまだ書きたいと思えば、上手い下手は別にして、自分自身の文章がかける。」
「どんな風に書くかというのは、どんな風に生きるかというのとだいたい同じだ。どんな風に女の子を口説くか、どんな風に喧嘩をするとか、寿司屋に行って何を食べるとか、そうゆうことです。
ひととおりそうゆうことをやってみて、なんだ、これならべつに文章なんてわざわざ書く必要もないやと思えば、それは最高にハッピーだし、それでもまだ書きたいと思えば、上手い下手は別にして、自分自身の文章がかける。」
ぼくにはバランスなど存在せず生活しか存在しないのだ。