朝、近所に住むアヤさんとLisaに誘われていたが、早く起きれず。朝起きると、彼女たちから「10時に待ち合わせしましょう」と連絡が来ていた。起きたのは9時過ぎだったが、色々していて結局メッセージを見たのが9時45分だった。聖子ちゃんも寝ているし、ぼくもまだ何の準備もしていないので、時間をずらしてもらって、10時半くらいに準備ができたので目的地に向かって歩いていると、話を勘違いしていることに気付いた。目的の場所は歩いて15分くらいの場所ではなく、歩いて30分のところだった。すでに約束の10時から30分遅れて出発していたので、さらに30分、合計1時間も待たせるのは、どうも申し訳なくなり断りの連絡を入れた。二人で少しその辺を散歩して家に帰って、コーヒーを淹れて、Du pain et de ideesのPain des Amisに、Galerie planète rougeでいただいたノルマンディーのハチミツを塗って食べた。
今日もひたすらに営業メール。どのくらい返事があるのかはわからないが、送らないことには何も始まらないし、ぼくたちのような小さな出版社が恐れることなどは何もない。本が売れないことには、書店に並ばないことには作家も悲しむのではないだろうか。もしこれを趣味でやっていると思うと、趣味に時間を費やしているような人生は豊かだなと思うけれど、もしこれをお金稼ぎとしているのであれば儲けの少ないことに対してもっと悲壮感を漂わせていないといけない。趣味なのか、金稼ぎなのか、そんなことを決めたところで、人々の態度が変わるわけでもないけれど、自分たちの考え方が変われば人の態度も変わる。現状、趣味か金稼ぎかどちらかに決めることなど非常に難しいし野暮ではある気もするのだけれど、少なくともアーティストと本を出したいという熱意と、良い本を作りたいという気概があり、自分たちの未来に対する少しの提示ができればいいと思っている。それから、自分が穴に落ちずに転がり続けることができるのか、もしくは一度穴に落ちたとしてもその穴から何をきっかけに這い上がることができるのかを、自分の体を持って体験する以外には人生が自分に与えてくれるものを受け取ることができないのだから、趣味だろうが金稼ぎだろうが継続するしかないのである。
昼は、昨日のスープの残りとクスクス、こんな食事を与えてくれる食堂がうちの近くにあればいいのになと思った。そのお店に行けば毎日日替わりのメニューがあり、何を食べても信頼できて、毎日行ったとしても飽きないお店。
今日も昨日に続いて夕方ランニング。今日はほとんど歩かず30分くらいを通しで走った。22時ごろに布団に入り、大江健三郎『河馬に噛まれる』を読み進める。
昼は、昨日のスープの残りとクスクス、こんな食事を与えてくれる食堂がうちの近くにあればいいのになと思った。そのお店に行けば毎日日替わりのメニューがあり、何を食べても信頼できて、毎日行ったとしても飽きないお店。
今日も昨日に続いて夕方ランニング。今日はほとんど歩かず30分くらいを通しで走った。22時ごろに布団に入り、大江健三郎『河馬に噛まれる』を読み進める。