2100年の生活学 by JUN IWASAKI : 2024.11.13

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2024.11.13

やっとデン・ハーグに戻った。10月15日に家を出て、上海でOiviaに会い、千葉の三好耕三さんのアトリエに滞在し、実家のある京都に帰り、再び東京へ行きDover Street Market Ginzaでのイベントに参加し、再び京都に戻り残りの日本滞在を家族と過ごし、デン・ハーグに一瞬戻り、パリへ行きParis PHOTO、Polycopies、Librairie Yvon Lambertでのブックローンチと怒涛の日々を過ごした。
久しぶりに帰った家は、ぼくに落ち着きをもたらし、そしてヨーロッパにいるということを再確認させ、がらんとした空間にヨーロッパのクリーナーの香りが立ち込めた静かな空間からは、どこか自分らしいなとも感じさせられた。
実家も、滞在させてもらった友人たちの家も、自分のいる場所ではないという感覚があった。それがどれだけ刺激的でも快適でも、ぐっすりと眠れようがそうでなかろうが、自分の空間などは1ミリもそこには存在できないほどにその場所にはそこの生活が充満していて、気を抜くとその圧力で追い出されそうなほどであった。人の生活を覗くと、人間の営みが存在する限り良い生活とか悪い生活とかそういうものは決して存在しないようにも思うが、ぼくが滞在した場所には自分の居場所なんてものはどこにもなかった。しかし、家族を含め彼らはみんな自分のベッドや寝室、時に部屋を譲ってまでぼくたちを滞在させてくれたのである。そんな一ヶ月を過ごしたぼくに何をいうことができるというのだろうか。全ては人の家であり、自分の居場所は自分自身で作るのだ、そこは四角い部屋であったとしても、動けば形が変わるバブルのようであった。
昼下がりに日本で買って帰ってきたkoboで大江健三郎『親愛なる手紙』を読み、読了。大江健三郎には、忍耐と思考こそが人間が未来に向かうためには必ず必要なのだと感じさせられ、希望とか勇気という形ではなく、彼の文章には自分の人生のダイレクションをしてくれるような強い言葉がある。そのあと、Paris Image UnlimitedのDavid M. Skoudyと一緒に作った『The Pictures on My Wall』を初めて心の穏やかな状態で読んだ。完成してから、いや完成する前からも何度も見ていたはずなのだが、恥ずかしながら初めて心で感じながら読むことができたというべきだろうか。なんと良い本なのだろうか、デイビッドが写真を選ぶ際に提示していた「オルタナティブメンズウェア」というコンセプトなどはっきり言って意味を持たないほどに、写真選びに芯があり、そして写真一枚一枚が時代の荒波を乗り越えてきた強度としなやかさとを持ち合わせた竹のようで、竹林のような作品群を目の前に自分たちはすごいものを作ったんだなと感じたし、これをきちんと伝える責務が存在するということを改めて感じて、すぐにDavidに感謝と今の気持ちを綴ったメールを送った。