2100年の生活学 by JUN IWASAKI : 2024.9.17

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2024.9.17

大谷翔平の活躍がメディアによって伝わってきた。それは、アメリカのラジオだったので、大谷翔平は日本だけで盛り上がっているわけではなく、アメリカでも偉大な成績を残していると報道されているのだということを知りなんとなく世界のズレみたいなものを受け取らずに済んでほっとした。同時に、アメリカが中国のメディアを追い出したというニュースも見た。日本びいきなアメリカに戻ってきたのは、中国と戦うためか宣戦布告か、というような話だったと思うのだが、そのあとSHOGUNの真田広之がエミー賞を受賞したというニュースを見た。
もしメディアが操作されているならば、プロパガンダとして利用されているというのであれば、もちろんそうだろう。それでも、その中で日本がアジア枠として取り上げられることを光栄と思うのか、プロパガンダ利用の日本贔屓では評価に値しないと思うのか。作り手として、ここに問いを持たない人はいないのではないだろうか。みんなの意見を聞きたいなと思う。
そもそも他人の評価というものが自分の人生においてどれほど価値があるのだろうか。評価はモチベーションになるし、自分が進めないところに足を運ぶだけの勇敢さを与えてくれるが、結局のところ歩を進められるのは自分自身なのだ。
評価されることに最大の喜びを見出さずに、自分がいかに達成感と満足のいくものを作り上げられたか、他人の指標なしにも最高だと思えるものが作れるかどうか。勢いと勇敢さは人との関係によって産み出されることが多い。
ぼくは、この文章を書き殴っているとどうもハイになってしまって、気が大きくなってしまって、イキってしまい、大声を出したくなることがある。割と頻繁に。酔いの魔法。ナチュラルハイ