2100年の生活学 by JUN IWASAKI : 2024.8.4

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2024.8.4

8時すぎ起床。昨晩、本を読みながらソファの肘置きに首を乗せたままうとうととしてしまったせいで首の血管を圧迫していたのか、めまいをフラフラしたまま就寝したせいか、朝から少しフラフラしていたが、まずはいつも通りステラの散歩に行く。朝起きて気分が良くなかったり、風邪とかではなく何となく今日はだるいなという日でもステラの散歩に行って、何か飲み物を飲んでいるころにはだいたい朝感じていた辛さを忘れてしまっている。今日も同様だった。
それほど天気も良くない日で、日曜日ということ以上にヨーロッパの街が8月に持つであろうバカンスの雰囲気にのまれていて、ぼく自身もグダっとしていると、何か日本語のテキストを読みたくなった。みうらじゅん「さよなら私」をkoboで購入し、2時間ほどで読了。そこで書かれていたのは、主に仏教の説教を彼の手によってトランスフォーメーションしたようなもので、未来のことや人生の意味は誰にもわからないのだから、安定なんてものはこの人生には存在せず、不安定な状態が通常であるということから、自分を守ろうとしたって自分なんてものは本当に存在するのか、それは脳が勝手に自分を自分だと思い込んでいるだけではないかということ、他人と比べても仕方ない、他人への期待もしない、必ず死は訪れるので永遠なんてものも存在しない、人生は死ぬまでの暇つぶしであるだとかまで「自分探し」ではなく「自分失い」で人生を楽しくしようというものだった。ぼくにとっては、みうらじゅんは同郷であり、彼の母校にぼくの弟も通っていたということ、漢字が違えど名前が同じということもあってかどうも昔から遠い存在には思えない。結構、彼の著書を読んで活動を追ってきたと自負しているが、どうも頭では理解しても彼のようには行動できないのだ。ぼくは常々、日本人の性格や日本文化の性質には、笑い、くだらなさ、常軌を逸した行為、エキセントリックさなどの特徴が含まれていて、自分自身もそれらを愛してきたという自負がある。例えば、ノーベル賞だけではなく、日本人のイグノーベル賞の受賞者が多いことは、日本人が世界に誇れることの一つだと思っている。他にもファッションでも川久保玲やヨウジヤマモトが80年代に世界のファッションシーンを席巻したのはアヴァンギャルドであったし、日本の環境音楽やノイズというオルタナティブミュージックのジャンルは世界に認知されている。しかしなぜ、イグノーベル賞の受賞者が多いのかは、人口が多いこと、バブルの影響、細分化された社会構造が大きく影響しているのではないか思っていたが、おそらく決してそんな近代社会の流れに沿ったものだけではなく、この本を読んだ後のぼくの見立てでは、神仏混淆の思想の元に、生活の中にいる八百万の神を信じ、諸行無常の響きを受け取りながら生きている日本人は、人生なんて死ぬまでの暇つぶしなんだから好きなことに熱中しようと熱心に研究や活動をした結果、世界的な賞を受賞しているのではないだろうか。仏教思想だけでは辿りつかないところまで神仏混淆によってエキセントリックな愛を見出しているんじゃないかと思える。みうらじゅんの活動は偉大だなと改めて思った。