2100年の生活学 by JUN IWASAKI : 2024.8.3

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2024.8.3

夕食後、ステラを自転車のカゴにのせ、夕暮れのビーチへいく。今日は事前に話し合っていたかのように誰もいないビーチを強風に逆らうように歩く。ビーチで、Leica M6とステラをどちらも持っているのはかなり気を遣う。カメラも修理したばかりだし、ステラはカモメを追いかけ走り回る。リードを離すことができれば何の問題もないのだが、そんなのはいつになるのか。カモメも強風を楽しむように飛ぶことをやめふわふわと風の力を借りて浮いている。
砂浜に腰かけ水平線を眺めると、強風に吹かれ流れいく雲の隙間から時々強い夕陽の光が差し込み、毎秒ごとに空の表情を変えていくのがとても目についた。17世紀オランダの絵画によく見られるような、地平線と空があり、地平線を低く、空を広く取る構図、砂風のせいでほとんどモノトーンにまで色味を限定し、光と影の微妙な移ろいを描いたような風景が広がっていた。17世紀のオランダ絵画で描かれていたような叙情的で静謐な画面のなかで、唯一動的なものは雲の流れるさまだけなのだということがこの土地にいると、全く400年以上の月日が巡ったとしても変わらず存在していることを当たり前と思うかとても尊いことだと感じるべきなのだろうかとふと考えた。変わりゆく街、変わり続けることで呼吸をしているように見える東京の風景、もしくは日本の都市部の姿に慣れ親しんだこともあり、変化を受け入れながら、流行を漢字とりながら生きていくことを当たり前のように捉えていたが、デン・ハーグでは17世紀に描かれた風景がここにまだ存在してることが不思議な気もした。変化と普遍性