2100年の生活学 by JUN IWASAKI : 2024.8.27

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2024.8.27

リリ世ちゃんがうちにきて、夕飯に3種類のパスタとサラダを作ってくれた。26時ごろまで辻村さんとリビングで話して就寝。
辻村さんの自分の愛娘リリ世ちゃんへの眼差しを見ると、今後、昔のように一緒に住むことはないだろう自分の子供との時間はきっととても愛おしくて大切なんだろうなというのを強く感じる。親子の関係の中だけではなく、多くの人生の中でも言えることではあるが、あの頃あった過去と同じようには生活できないし、形はどんどんと変わっていく、親としての感情と多感で人生の基礎となるような10代後半から20代という時間を過ごす子供の感情とが複雑に混ざり合い、時に恥ずかしく、時に恥ずかしがったことを悔いるような時間をお互いに過ごしているのだろうか。何も深くは考えずにただそこにある今という時間に目を向けているのだろうか。親からすると、
子供がなんと感じようとどれだけ嫌がられようと求められようとも、子供への感情が大きくは変わるものではないだろうし、子供は目に入れても痛くないという溺愛する意味の諺があるからには、それはどんな時代でも普遍の感覚なのだろう。自分もいつかそんな感情を抱くことはできるのだろうか。彼らがその大切な時間を過ごせるのであればぼくは邪魔をしたくないし、それがうまく遂行されるように何か手伝えることがあれば手伝いたいと思っている。それがただのお節介であることは重々承知した上で。