2100年の生活学 by JUN IWASAKI : 2024.8.25

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2024.8.25

今日は朝9時に家を出て電車でザントフォールトへ。アムステルダムから向かっている辻村さんとリリ世ちゃんとは現地で待ち合わせる。15時から決勝がスタートするが11時半に着くともうすでに昨日以上の入場者数であった。彼らは10時過ぎに到着していたようで、良い席を用意してくれていた。
昨日に続き、楽しめるポイントとしてはド級の初心者なので来客たちとはかなりズレていて、レースの動向にも、順位にもそれほど興味が持てず、各チームの細やかな戦略にも技術力にも知識も見解もましてやどの車に誰が乗っているのかすらわからないので、一箇所で隣人たちとワーワーと騒いだり共鳴したりああだこうだと言いながら観戦するということを楽しめず、コーナーリングでの駆け引きや即物的な直線の速さやエンジンの爆発音、鼻をつくゴムの焼ける匂いなどを感じながら、観戦するファンたちの熱狂や、ただ晴れ上がった空を楽しむかのようにサーキットに背を向けビールを飲んでいる人たちを横目に即物的に写真を撮りながら歩いていた。即物性にこそ、本来人間が持つ感性が宿るような気を感じながら。
同じ場所にじっとしていることが苦手で、その時に自分が見逃しているものがないかを見たくなる性格が災い、席を離れ一人で観戦することになり、早く席を取ってくれた二人には申し訳ない気持ちだったが、どうも人に用意された椅子は居心地が悪くなってくる。DSMでバイヤーになった時もそうだった。前任者の笹子さんが開拓してきた場所に同じように座ってそこで満足するということがどうもできず息苦しくなってしまった。人に教えてもらったことや与えられたもので満足するのではなく、そこにあるもの以上の視点や自分なりの価値観を見つけたい、自分自身の見方で世界を見たいと思っている。それが出来るかどうかには関係ないし、さらにその選択が決して良い方法でも成功に導かなかったとしても、だ。