2100年の生活学 by JUN IWASAKI : 2024.8.21

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2024.8.21

友人との別れを悟ったかのように秋の色を纏った光と柔らかさを含んだ空気は遠慮会釈なくぼくの日常に入り込んできた。
9時からPompernikkelへ行き、坂田さんはシナモンバンズとジュースとコーヒー。聖子ちゃんはシナモンバンズとカプチーノ、ぼくはパンオショコラとカプチーノを注文。楽しかった束の間の夏がもう終わるのかと昨日から寂しい気持ちになっている。右目にいれたコンタクトが裏表反対に入っていて、鼻がムズムズして、パンオショコラのチョコレートがこぼれ落ちる。一つの小さな違和感が全ての行動に影響して、行動に少しずつズレを生むような朝だった。家に帰り、コンタクトを外し、新しいものを装着して、塩水で鼻うがいをするとなんとなく感じていた少しずつのズレを正せた気がした。坂田さんに最近の作品と本をを見てもらう。もう少し真っ当なプレゼンテーションの仕方もあるのかなと思ったが、自分の家で、自分の作ったテーブルの上で自分の作品を見てもらえるというのはそれはそれで良いプレゼンテーションなのではないかと思った。数点持ち帰ってもらった。秋の光と柔らかさを含んだ空気に包まれた街はどこか寂しげで、友人と一緒に家の近くの魚屋へ行く間の散歩道の節々に哀愁を漂わせていた。魚屋で捌きたてのフレッシュなヘリングを一匹つずつ食べて、家に帰りチーズとサラダとパンを食べた。坂田さんの手入れされよく使い込まれたスーツケースを押し、最寄りのトラムストップまで見送りに行った。トラムが来たと思い別れをしようと思ったが、来たトラムには「ノーサービス」と表示されていて、あと少し次のトラムを待った。次のトラムが来て扉が開いた、ステラは勝手に車内に乗り込んで行った。慌てて車内に捕まえに行き、扉が閉まりそうになるのを手で押さえ、ハグをしたかしてないかも記憶にないくらいで笑いながら見送った。時々映画で見るような、付き合う前の男女が遠くからわざわざどちらかの街へ会いに来て数日を共にした翌朝の別れのような、お互いがお互いの感情を言葉にしないまでも理解しているようなどこかぎこちない別れだった。どのくらい別れを経験すれば人間は人生を理解できるのだろうか、別れは人間が人生を理解するのに必要なのだろうか。坂田さんがスイスに向けて旅立った。ぼくと聖子ちゃんは誰もいなくなった家に戻り、この海沿いの街に取り残されてしまったような気分になった。