2100年の生活学 by JUN IWASAKI : 2024.8.1

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2024.8.1

ついに8月になった。オランダの気温は25度あたりをフラフラとしていて、なかなか夏の気分になれずじれったい。京都では40度を記録したというが、もう温暖化の話ではない。朝から気温が高く、1日を通じて温度が下がらないことが問題な気がするし、地球温暖化に対してC02を減らすことよりもヒートアイランド現象の方が人間にとって解決しやすい問題に聞こえるし、高層ビルが立ち並ぶようなコンクリートで囲まれる風景の街になっていくと風の通り道が失われ、アスファルトは熱を放出し、朝晩の気温も高くなるのではないだろうか。もちろん、どちらも行動しないことには始まらない。
5月末から6月頭は1ユーロが170円ほどでさらに7175円くらいまで上がったが、今は160円まで下落した。しかし下落したと言っても、1月には150円台後半だったので、それから考えると戻ってきたという考え方もできるのだろう。ぼくのように、一部日本円をユーロに動かしたものを使っている身からすると少し辛い部分もあるが、ユーロで稼いでお金を使っている分には円とユーロの比較などは存在せず自分自身の銀行口座にあるこちらで使うユーロの価値に何も変わりがないのも事実であるし、日本円で稼いで日本の口座に入れておく分には、日本で使うだけなので何の問題もない。自国で済ますのであれば自分の持っているものに関してそれほど悲観的になる必要もない。社会の歪みの方が心配であるし、ぼく自身も元々こっちで日本や他の国から輸入されたものを買うこともない。そもそも考え方の大前提としては、1-2ヶ月で1ユーロ15円もの変動がある時代に突入していることを実感すると言うことが重要で、さらにきちんと自分の財産と行動、思考、自分自身を守る方法、そして社会の動向、社会がどういう波に乗っているのかを知ることが大切である。財産はお金だけではなく、自分の思考や知性、技術に宿らせるべきであり、多重に重なる社会のレイヤーを自在に飛び越えたりスウィッチできるようにすることが重要なのであって、1ユーロ15円の変動に怯えているようであればまだ自分の生活や思考というものがかなりどちらかに偏っている、もしくは何かに執着しているとも言えるだろう。全ては自分の思考と知性を鍛えるための訓練なので、目の前に立ちはだかる、自分自身が対峙するものに対して、自分の心がきちんと反応するだけの豊かさを持ち合わせているのか、それらが与えてくれるものをきちんと受け取ることができるだけの知性を持ち合わせているかと言うことの実践でしかないのだ。目の前にあるものは早かれ遅かれ失われていくのだ。失われたものから何が残ると言うのだろう。